第3章〜彼らの「正義」と我らの「正義」〜⑥
会見場に戻ってきたパニチェフ首相の発言に対して、オレと鳳花さんは、すぐに対応をはじめた。
ホープ議員とミラさんに訪問させてもらったお礼をすると、一目散にAGS本社のオフィスに向かう。
「やられましたね……まさか、三大ネットワークのテレビ局が、トラ・ドニと接触していたなんて……完全にノーマークでした」
「パニチェフ氏も、経営者時代に色々な人脈を築いていたでしょうから、そのことは想定しておかないといけなかったわね。事前にUBCテレビにもっと根回しをしておくべきだったけど……いまさら、後悔しても仕方ないわ。色々と前倒しになってしまうけど、私たちもモルタヴィアに飛びましょう!」
「了解しました! すぐに移動の手配をします」
オフィスに戻ったオレは、航空券の予約とともにモルタヴィア共和国の入国に必要な種類などの準備を慌ただしく行う。
・パスポート
・英文の在職証明書
・滞在費用を証明する英文の残高証明書
・海外旅行保険の加入証明書
オフィスで用意できるものは、こんなところだが、他にも入国の際には、現地企業や組織からの「招聘状」というものが必要で、これはモルタヴィア共和国の大統領府からメールで送信してもらわなければならない。
ヘルシンキからの帰国のときも慌ただしくはあったが、まだ、自分たちのホームグラウンドであるワシントンにに戻れるという気楽さはあった。
ただ、今回の目的地は、自分も鳳花さんも初めての場所となる東欧の小国だ。
しかも、現在、内戦による戦闘が継続中の紛争地帯とあっては、緊張感が半端じゃない。
「内戦の真っ只中とは言っても、パニチェフ首相が訪問するわけだから、戦闘も停止すると思うわ。むしろ、彼がキシナヴィアに滞在中の方が安全かもしれないわ」
初めて訪れる土地に対する不安が顔に出ていたのだろうか、渡航の準備を進めるオレに気をつかうように、鳳花さんが声をかけてくる。
「そうか……そう考えると、少し緊張が和らぎますね……」
オレが笑顔で返答すると、彼女はニコリと微笑んでから、新たな業務をリクエストする。
「大統領府と連絡を取るときに、現地で難民支援を行なっているNGOとコンタクトを取って、女性の避難民を探しておくように伝えてくれないかしら。今回の首脳会談の結果がどうなるのか、先行きがわからないから、あらゆる事態に備えて、色々と準備をしておきたいの」
「わかりました。大統領府に伝えおきます」
そうして、急ごしらえで東欧行きの準備を終えたオレと鳳花さんは、当日の夕方の便でモルタヴィア共和国へと旅立った。この時間であれば、現地時間の昼過ぎには、首都のキシナヴィア国際空港に到着できる。
今回の渡航の目的は、トラ・ドニ陣営の真意を確認することと、和平交渉が始まったときの対応について、イオニスク大統領やラドレスク大臣と協議するためだ。
ビジネスクラスのシートに背中を預けながら、オレは隣の席の鳳花さんに語りかける。
「和平交渉が進んでくれると良いですね。ただ、そうすると、モルタヴィアからの報酬は、少なくなってしまいそうですけど……」
「そうね、ここで停戦が合意されれば、モルタヴィア共和国と私たちとの契約も打ち切りになるでしょうし……それでも、平和であることが一番よ。ビジネスとしての考え方とは相容れないけれどね―――」
「たしかに、これ以上、モルタヴィアの惨状が広がらないのであれば、それに越したことはありませんね」
ラドレスク大臣と出会う前は、その国に関する知識はあったものの、自分にとって、モルタヴィアの人たちは、縁の遠い存在だった。
だが、毎日のようにモルタヴィアの情報に触れている今となっては、(人格に多少の問題があるとは言え)国難に立ち向かっている外務大臣や、国民の期待を背負って大国との会談に臨む初老の大統領、そして、トランス・ドニストール陣営の攻撃にさらされているモルタヴィア本国の人たちのことを思うと、自分の仕事のことを忘れて、彼らの国から一刻も早く戦火が遠ざかることを願うばかりだ。
自分の業務以外のことを考えるなんて、会社員失格かもな……。
そんなことを思いつつ、東ヨーロッパの小さな共和国の未来に想いを馳せていると、英語の機内アナウンスが流れた。
「皆様にお知らせいたします。当機が向かっておりますキシナヴィア国際空港におきまして、現在、滑走路の安全上の理由により、すべての航空機の離着陸が一時的に停止されているとの連絡がまいりました。このため、当機は目的地を変更し、ルーマニアのヤシ国際空港へと向かいます。現時点でのヤシ国際空港の着陸予定時刻は、午後1時30分の見込みです。最新の情報が入り次第、改めて機長または客室乗務員よりご案内いたします」
機内アナウンスに耳をすませながら、ふたたび、鳳花さんに声をかける。
「キシナヴィアの空港は、安全上の理由で滑走路が閉鎖ですか……パニチェフ首相が来訪することと関係あるんでしょうか?」
「どうかしら……?」
彼女は、小さく返事をしたあと、
「なにか、良くないことの前兆でなければ良いんだけど……」
と、自分に言い聞かせるように、ポツリとつぶやいた。




