第3章〜彼らの「正義」と我らの「正義」〜⑤
「地方行政官は、こう言っています。『強制収容所ですって? そんなものあるわけないでしょう。信じられないなら、いつでもここに見に来てくださいよ』もちろん、私は彼の言葉を信じています」
トランス・ドニストール共和国に点在するという強制収容所に関するうわさについての質問を投げかける記者に対して、パニチェフ首相は、余裕の笑みで受け答えを行っていた。
―――それは、パニチェフ首相、自らが聞き取りを行ったということですか?
「いえ、国内の情報収集については、すべてペリチョフ情報大臣に任せています」
―――では、ペリチョフ情報大臣が報告した内容だということですね?
「そのとおりですが……さっきも言ったように、私は情報大臣から上がってきた情報も、地方行政官の言葉も真実だと考えています。良ければ、強制収容所があると言われている場所まで、記者の皆さんをお連れしましょう。それが、根も葉もないウワサであることが、すぐにわかりますよ。そこに『強制収容所』なるものが無ければ、それで、この話はおしまい。ということでいかがでしょう?」
テレビの画面に映し出されているのは、トランス・ドニストール共和国の強制収容所問題に関する質疑会見の模様だった。
これまでの経営者時代の経験に加えて、この夏、多くのメディア対応をこなしてきたパニチェフの態度は、実に堂々としたもので、その取材慣れした風格は、モルタヴィア共和国のラドレスク大臣にも劣らない。
相変わらずのパニチェフ首相の存在感に舌を巻きつつ、自分たちの陣営を窮地に追い込みかねない収容所問題について、強気に出ている彼の言動の真意を探ろうと、テレビ中継の画面を食い入るように見つめる。
欧米各国の記者に向けて、『強制収容所検証ツアー』を提案したトランス・ドニストール共和国の首相の表情には自信があふれ、少なくとも、彼自身は、強制収容所の存在など、これっぽっちも信じていないようだ。
「もし、記者の皆さんが、現地で『強制収容所』を見つけることが出来たら、私のポケットマネーで賞金5000ドルを進呈しましょう」
記者たちの間からは、小さな笑い声が起こっていることが、テレビの画面を通じてもわかった。
トランス・ドニストール地方の領地内にあり、その政府首脳の権限がおよぶ地域であれば、いくらでも、収容所の状態を取り繕うことは可能で、そうしたプロパガンダは、第二次大戦のときにも、見られた。
それでも……。
ここまで言い切るなら、やっぱり、収容所なんて無いんじゃないか―――?
パニチェフの口ぶりは、現地の事情に詳しくない人間に対して、そう思わせるのに十分な余裕を感じさせるものだった。
「ずい分と余裕しゃくしゃくだな……」
フン、と鼻を鳴らして、事務所の主であるホープ上院議員が言葉を吐き出す。
これまでの経緯から、パニチェフの派手で耳目を集める言動に対して、好意を抱いていないであろうことが明白な連邦議会の重鎮は、顔をしかめ、露骨に嫌悪感を示した。
しかし―――。
一人の記者の質問が、会見の場の空気を一変させる。
「昨日から、ネット上で出回っている映像に関して質問させてください。この映像に映っている男性は、鉄条網の向こうからこちらに視線を送っています。映像は、バレニ・アドゥカという街で撮影されたものだそうですが……この収容所について、首相の見解をお聞かせいただけますか?」
それまで、落ち着いた口ぶりで語っていたパニチェフ首相の顔色は、記者から手渡されたスマートフォンで映像を確認した途端、サッと変わってしまった。
「この映像については……現在、情報大臣が確認中なので、しばらく、回答をまっていただけませんか? 詳細がわかり次第、お伝えします」
これまでとは、打って変わって、歯切れの悪い返答に終始した首相は、
「一度、会見を中断します。記者の皆さまは、そのままお待ちください」
という司会進行役の言葉を受けて、舞台袖に消えて行った。
「おやおや、どうやら、なにかのトラブルのようだ……」
軽く笑みを浮かべるホープ議員の姿を横目に見ながら、オレは壮馬からメッセージアプリに送られてきた動画を鳳花さんに共有する。
それは、余裕を持って会見に臨んでいたトランス・ドニストールの新しい首相を動揺させるのに、十分な影響力を持っていた。
ヨーロッパの人間だと一目でわかる人間が、残忍な行為を受けている映像は、欧米のマスメディアにとっても、大いに関心を引くものであることは間違いない。
トランス・ドニストール政府首脳の間で、どのような話し合いが行われたのか、オレたちにはわからないが……。
しばらくして、会見場に戻ってきたパニチェフ首相は、いく分か落ち着きを取り戻した表情で、会見中断前の質問の返答の続きを行った。
「先ほどの映像に関する詳細は、現在も引き続き調査中ですが、我々トランス・ドニストール共和国がいつでも、メディアの皆さんに対してオープンであることを示すための機会を設けることができました」
首相は、そう言ったあと、テーブルに置かれたコップから、水を一口だけ含んだあと、オレたちチーム・ヴェスパでさえ把握できていなかった衝撃の発表を口にする。
「先ほど、モルタヴィア共和国のイオニスク大統領と私自身が会談を行うことが決定しました。つきましては、先方の首都キシナヴィアまでの往復の道中をアメリカ合衆国のUBCテレビに密着していただき、私たちの和平への取り組みを取材していただくことになりました」
その一言は、自分たちにとって、まさに青天の霹靂であると同時に、オレと鳳花さんのモルタヴィア共和国行きのスケジュールが、一気に早まる出来事でもあった。




