第3章〜彼らの「正義」と我らの「正義」〜②
欧州の闇、ふたたび――――――
トランス・ドニストールに「強制収容所」の実在を確認
8月の初旬、新聞の見出しを強烈なインパクトを持つをフレーズが飾った。
アメリカとヨーロッパの西欧近代社会には、単なる「歴史上の一大悲劇」という枠組みを超え、「近代文明の崩壊」「人類史上絶対的な悪の基準」として位置づけられている出来事がある。
それが、第二次世界大戦中に行われたとされる、強制収容所におけるユダヤ人の虐殺行為、『ホロコースト』だ。
オレたちが、モルタヴィア共和国のPRを引き受け、そのキャッチフレーズについて、慎重に言葉を選びながら、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』というフレーズを選択したように、ドイツ、アメリカ、イスラエルなどの各国では、ホロコーストという人類的な悲劇は、問題が発覚してから80年以上が経過した現在でも、大きな禍根を残している。
ドイツは、その悲劇を招いた当事者として。
アメリカは、その悲劇を防げなかった当事者として。
イスラエルは、その悲劇から逃れられなかった当事者として。
こうした背景を持つ各国にとって、『強制収容所』という単語は、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』というフレーズ以上に直接的にホロコーストを思い起こさせるセンシティブなキーワードなのだ。
この言葉を耳にしたとき、日本人と同じく欧米の人々が想像するのは、アウシュヴィッツだ。全財産を没収され、やせ衰えたユダヤ人たちがガス室に送られるイメージは、フィクションやノンフィクションを問わず、多くの映像作品で繰り返し取り上げられ、世界中の人々に強烈なインパクトを与えている。
そんな劇薬とも言えるキーワードが、新聞の紙面を飾ったのは、夏も盛りに入ってからのことだった。
ニューヨークを拠点にしている『デイリー・ニューズ』という大衆紙が、トランス・ドニストール地方に、モルタヴィア人を収監する「強制収容所」が存在するというスクープを掲載したのだ。さらに、この一報に、他のメディアも後追い報道で追随し、このニュースのインパクトを劇的に増幅していった。
それは、モルタヴィアのラドレスク大臣とイオニスク大統領やトラ・ドニ側のパニチェフ首相はもちろんのこと、アメリカ国務省や連邦議会、そして、当然のようにオレたちAGS社のチーム・ヴェスパのメンバーをも巻き込むバズワードとなった。
「本意ではないけれど、このムーブメントに乗らない手は無いわ」
売り上げ優先で、センセーショナルな見出しをつけることを厭わない大衆紙の紙面に目を向けながら語る鳳花さん。その言葉にオレは苦笑しながら応える。
「正直、真偽の保証が怪しい記事も多いですからね……」
事実の報道よりも、読者の興味を引くためにスキャンダル、性、暴力、犯罪などを誇張・捏造して報じる、煽情的な報道スタイルのことをイエロー・ジャーナリズムと言うのだが……オレは、高校時代に経験したある事件をきっかけに、鳳花さんから、そのイエロー・ジャーナリズムの弊害について、たっぷりと教え込まれた経験がある。
ときに戦争を起こす要因となり、ときに人種的偏見をあおる記事で売り上げを伸ばした過去を持つ、アメリカの新聞社の方針に対して、我らが、チーム・リーダーは、決して肯定的な感情を持っていないだろう。
だが、今回のこのニュースは、大富豪で投資家のエイダン・マクスウェルの資金力を背景にネット工作を仕掛け、欧州各国を飛び回って外交交渉を行い、今度は合衆国のPR会社との契約にもこぎつけたというトランス・ドニストール陣営にとって、痛手になる報道であることは間違いない。
この日の『デイリー・ニューズ』紙の一面は、
《死のキャンプ》
という巨大な活字が踊り、トランス・ドニストール地方北部のバレニ・アドゥカの街にある強制収容所から逃れてきたという元囚人の証言が記事の中心になっている。
そのうちの一人は、63歳でこの収容所に捕らえられ、彼の顔写真と収容所内bの見取り図が添えられていた。
彼の証言によれば、この収容所では、およそ8000人ものモルタヴィア人が、鉄条網で仕切られた柵の中に閉じ込められ、ある者は銃殺され、また、ある者は、餓死して行くのだと言う。
この記事は、オレたちチーム・ヴェスパの活動とは無関係に書かれたものだ。
記事に署名のあるカットマン記者も、オレたちが作成したメディアや政界関係者のコンタクト・リストに名前がある訳ではない。ただ、その記事は、これから自分たちが行おうとしているPR戦略に大いに役立つものだった。
アメリカのメディアで、強制収容所の報道がされ始めていることを聞きつけたラドレスク大臣は、ヨーロッパの地から、すぐに連絡を取ってきた。
「アメリカでも、ようやくトランス・ドニストールの強制収容所が話題になり始めたそうだね? 自分たちの立ち場をアピールするには、なにをすれば良いだろう?」
大臣の質問に鳳花さんは、即答する。
「モルタヴィア共和国で取材中の欧米各国の記者に、可能な限りの便宜を図りましょう。首都キシナヴィアはもちろん、モルタヴィア各地の情報をひとつの場所に集約して、メディアが報道しやすいようにするんです」
「そのためには……具体的にどうすれば良いんだ?」
「それは、キシナヴィアに欧米の記者のためのメディアセンターを開設することです、大臣閣下」
鳳花さんの一言で、モルタヴィア共和国の大統領府とオレたちチーム・ヴェスパのオフィスは、慌ただしく動き始めた。




