第2章〜「正義」の作り方お教えします〜㉔
モルタヴィア共和国の受難は、さらに続く―――。
ミラノ・パニチェフのトランス・ドニストール共和国首相就任の一報から、わずか一週間で、モルタヴィア情勢に対する報道姿勢は一変した。
ネットメディアに遅れること数日、新聞・テレビでもトラ・ドニ陣営の主張に寄せた報道が増え始めている。
さらに、
『投資家のエイダン・マクスウェル氏が、国際連合での国家承認を目指すトランス・ドニストール共和国に対して、資金提供を行なう準備がある』
という報道は、モルタヴィア共和国を依頼人とするオレたちにとっても、衝撃的なものになった。
「エイダン・マクスウェルが動いたか……こうなると、今回のスマホ農場を使ったと思しき世論工作も、彼が暗躍してるんじゃないか、と考えてしまうなぁ」
テック企業や投資家の動向に詳しい壮馬のため息をつくようなつぶやきに、鳳花さんが反応する。
「黄瀬くんの想像も間違っていないかも知れないわ。パニチェフ氏は、これまで、スマホ農場のよな世論工作には否定的な立ち場だったみたいだから……」
「サイバーテロを防ぐ、セキュリティ企業の創業者とすると、デジタルの抜け穴を突くような行為は、許せないのかも知れませんね。でも、あのマクスウェルがトラ・ドニ側に投資するとなると、モルタヴィア側の自分たちとは、さらに資金力に開きが出ますねぇ……」
鳳花さんの言葉を受けたオレも、肩を落として、苦しい息を吐き出すことしかできない。
投資家にして、起業家でもあるエイダン・マクスウェルは、その資産が総額で1兆ドルを超える世界初のトリリオネアになること間違いなし、と言われている資産家でもある。
これまで、民主主義や人道主義に対して、逆張りを行ってきたこの大富豪が、つい先日まで、非人道的行為を非難されていたトランス・ドニストール陣営に肩入れするのも、十分に予測される行動ではあった。
国外のそんな動きだけでなく、パニチェフ首相自身とトランス・ドニストール共和国の動きも、先月までとは比べ物にならないくらい、活発なものになっている。
トランス・ドニストール国内での人脈に乏しいと思われていたパニチェフは、すでに触れたように、情報大臣にアメリカ合衆国で人文科学の研究をしていたドラガン・ペリシチョフを抜擢し、PR会社のパートナーを探している。
また、創業したAegisGrid社の秘書室にいた、アメリカ人のデービット・アレフを起用して、トランス・ドニストール本国に連れて行っている。
アレフは、広報のプロという訳ではなく、生粋のアメリカ人ゆえに、モルタヴィアやトランス・ドニストール地方の言語や文化に精通している訳ではないようだが、欧米各国のメディアがパニチェフにインタビューや取材を申し込む際に、その窓口が秘書と広報担当を兼ねた彼であることは、メディア側の好感度が高いという大きなメリットがあるようだ。
モルタヴィア共和国の窓口となっているオレたちチーム・ヴェスパのメンバーも、アメリカ合衆国のPR企業の一員だし、語学力だって、鳳花さんもオレも、ネイティブな人たちと遜色が無いと自負しているが、東洋人である見た目の差は小さくないハンデになってくるかも知れない。
こうして、トラ・ドニ国内に人脈が無いと考えられていたパニチェフ首相は、自分の周囲を英語が得意で欧米のメディアにもウケの良い人物でかため、欧州各国を目まぐるしく訊ねて回っているようだ。首相就任から二週間あまりで十三カ国をめぐり、フランス大統領、イギリス首相、ドイツ首相、ロシア大統領など主要国を含む27人の政府首相と会談を重ねたパニチェフは、いまや、モルタヴィア共和国のラドレスク大臣以上に、注目を集める存在になっている。
これは、それまでのトランス・ドニストール共和国の政治家にはない、派手な外交スタイルだ。
しかし―――。
PR会社の社員であるオレの見立てを言わせてもらえるなら、各国の要人とコミュニケーションをはかること以上に大切なのは、パニチェフが行く先々で、各国の記者やテレビカメラの注目を浴びることだった。
現在、軍事的に攻勢を強めているトランス・ドニストール陣営の首都ディラスポリは、押し込まれる一方のモルタヴィアの首都キシナヴィアと違い、軍事的圧力にさらされている訳ではないと言う。
ただ、あちら側の首都は、戦下のキシナヴィアに比べると、圧倒的にメディアへの露出が少ないため、パニチェフ首相は、(モルタヴィア側に比べれば)比較的安全な首都に引きこもること無く、欧州各地を巡って精力的に活動しているようだ。
各地で記者に囲まれたパニチェフは、言葉巧みに母国のアピールを行う。
「私は、トランス・ドニストールという海賊船を平和の船に変えるためにやってきました」
こんな風に印象的な比喩を交えた民間人出身の首相の言葉は、そのまま記事に引用され、新聞や雑誌の見出しを飾る。
さらに、彼は、これまでモルタヴィア共和国の専売特許であった、「|Ethnic Erasure(民族の抹消)」という言葉も積極的に使っている。
「|Ethnic Erasure(民族の抹消)という行為は、我が国の恥さらしだ。世界の人々は、トランス・ドニストールに住む人々を野蛮人と考え始めている。私は、これをすぐにやめさせる」
「|Ethnic Erasure(民族の抹消)を行ったものは、誰であっても逮捕され、国際法廷で裁かれるべきだ」
それは、まるで、モルタヴィア共和国のイオニスク大統領やラドレスク大臣が語りそうな内容でもあった。
|Ethnic Erasure(民族の抹消)と呼ばれる行為が行われていることを認め、それをやめさせる、と発言することは、ミロシェンコ大統領をはじめ、それまでのトランス・ドニストール陣営に居る者からは出て来ない発想だったはずだ。
そして、いまやネット上の世論だけでなく、欧米のメインストリームメディアをも味方につけ始めたパニチェフは、さらに大胆な行動に出る。
「モルタヴィア共和国側と和平交渉が行われる際は、ぜひ、アメリカ合衆国のテレビ局をご招待しましょう。それが、国際連合に我々トランス・ドニストールという国家を承認してもらえる近道ですから―――」
一見、平和的に見えるこの新首相のアピールは、PR会社に所属するオレたちチーム・ヴェスパに対する挑戦状のように感じられた。
そして、それは、場合によって、自分たちチーム・ヴェスパのメンバーも戦下の首都キシナヴィアへと移動する必要がある、ということでもあった。




