第2章〜「正義」の作り方お教えします〜㉓
7月の半ば、パニチェフは、トランス・ドニストール共和国に帰国し、国会の場で全会一致で首相就任を承認された。テック企業の創業者は、正式にこの自称・共和国の政府首脳の一員となった。
首相就任の所信表明では、彼は母国語で長々と演説を行ったが、その最後の一言に、
「So, help me God.」
と英語で演説を締めくくった。
オレたちは、そのようすをインターネットのライブ中継で、注視していた。
映像を見るかぎり、国会に集まったトラ・ドニ共和国の議員たちは、パニッチの演説の最後の言葉に一瞬、戸惑ったようだが、全員が立ち上がって、大きな拍手で新首相の就任を歓迎している。
ルーマニア語に近いとされるモルタヴィア地方の言語は理解できなかったが、新首相が発した最後の一言については、その言外のメッセージも含めて、オレにも十分に理解することができた。
パニチェフが神に捧げた英語の祈りは、議場にいる議員たちやミロシェンコ大統領に向けられたものではない。それは、その場に詰めかけた欧米各国のメディアのカメラやネットのライブ中継を通じて、就任演説を目にしている西側諸国に向けてのものだ。
アメリカ合衆国の西海岸に豪華な邸宅を構えていた彼が、以前に説明した数奇な運命をたどり、ふたたび母国に戻って首相に就任する……というストーリーは、すでに多くのメディアが特別な感心を示し始めているようだ。
そんなミラノ・パニチェフ新首相とトランス・ドニストール側の動きは、PR会社のネットワークを通じて、すぐにオレたちの耳にも入ってきた。
首相は、情報大臣のドラガン・ペリシチョフをアメリカ合衆国に派遣して、PR会社の行脚をさせていると言う。大胆不敵と言うか、おどろくべきことに、ペリシチョフ情報大臣は、オレたちが所属するアルコ・グローバル・ストラテジー社にも訪問してきたと言う。
「外交的に対立している両国と契約を結ぶことは出来ない」
という社内規定により、アルコ社はトランス・ドニストール共和国の申し出を断ったようだが、これまで、ほとんど動きが見られなかったトラ・ドニ側の動きは、パニチェフの首相就任とともに、急速に活発化してきていることは間違いない。
オレたちが、ヘルシンキからワシントンに戻って以降、国際電話で頻繁に連絡をしてくるようになったモルタヴィア共和国のラドレスク大臣は、心配げなようすで、訊ねてくる。
「クロダ、最近、相手側の活動が活発なようだが、大丈夫なんだろうね?」
「トランス・ドニストール側も本格的に逆襲を始めて来た、とご理解ください。パニッチ新首相の政治外校の手腕は未知数ですが、手強い相手になるかも知れません。なにせ、彼が動かせる資金力は、こちらを遥かに上回っていますからね」
オレの言葉には、若干ながら、毎月ごとの契約金の支払いが滞りがちな顧客に対する牽制も含まれている。
「やはり、億万長者の起業家と、我々のような国では、やはり資金力の差が―――」
「ですが、ご心配なく。先日、ヘルシンキでもお伝えしたとおり、大臣閣下は、引き続きご公務に専念してください」
「むぅ……わかったよ」
オレたちと出会って以降、こちらのアドバイスや返答などに難色を示すことは少なっていたラドレスク大臣も、日に日に報道量が増えているトラ・ドニ共和国の動向に不安が募っているようだ。
依頼人である大臣には告げていないが、彼の懸念するとおり、パニチェフの首相就任が報じられて以降、インターネット上では、これまでモルタヴィア共和国を擁護し、トランス・ドニストール陣営の非人道的行為を避難する声で溢れていた論調の風向きが、一斉に変化しつつある。
第二次大戦当時に、ナチスドイツと手を結んでいたモルタヴィア側の人々が、旧ソ連領であったトランス・ドニストール地方で行った残虐行為から、モルタヴィア共和国のイオニスク大統領やラドレスク大臣に対するネガティブ・キャンペーンまで、ショート動画やSNSの言論は、
「これが、メインストリームメディアが報じないモルタヴィア情勢の真実だ!」
という論調で染まりつつある。
説明するまでもないと思うが、メインストリームメディア(レガシーメディアと表現されることもある)とは、日本でオールドメディアと揶揄される新聞・テレビ・ラジオ・雑誌などのメディアのことだ。
「これは、スマホ農場で、世論工作をされてるね……」
数日前から、ネット上で突如として始まったトラ・ドニ擁護とモルタヴィアに対するネガティブ・キャンペーンについて、情勢を分析していた壮馬が、特定したアカウントの投稿に関する閲覧数や、ハートおよびサムズアップ(日本で言うところの「いいね」)の数を表示したグラフを共有する。
スマホ農場―――。
日本でも2020年代なかばから、オールドメディアでも、その存在が報じられるようになったが……。
これは、大量のスマートフォンを並べて自動操作し、SNSの「いいね」や動画再生数、アプリのダウンロード数を不正に水増しするシステムや施設のことだ。世論工作やアクセス稼ぎ、広告詐欺に悪用されることでも有名だが、欧米をはじめとした諸外国では、遅くとも2010年代なかばから、こうした世論工作が行われていたという。
「この規模だと、500万ドルから700万ドルくらいの資金が必要になるんじゃないかな?」
「日本円で1億円近くか……相手の資金力は、ハンパないな……」
壮馬の言葉に、オレは短く唸ることしかできない。
電波を遮断するシールドルームで、冷却水を自動供給される数千台のスマホの画面が青白く明滅を繰り返すようすが脳裏に浮かぶ。それは、さながら、新しい世論を醸成させる農場そのものだ。
数日前、ヘルシンキで行われた首脳会談の場では、三角形の頂点すべてに対するアプローチに成功した、と思い込んでいたのだが……。
ショート動画やSNSの投稿一覧を目にすると、その頂点の一角が、足元から崩れそうになっていることを実感せざるを得なかった。




