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第2章〜「正義」の作り方お教えします〜㉒

 ヘルシンキでの首脳会談を最後まで見届けることなくワシントンに舞い戻ると、憔悴した表情の壮馬が、オレたちを出迎えた。


「昨日より、確実に状況は悪化してるよ。SNSでエイダン・マクスウェルが新首相にエールを送ってから、ネット上の世論は、トラ・ドニ側に傾いているし、テレビや新聞も大統領のヘルシンキ会議の演説を抑えて、パニチェフの首相就任がトップニュースだ」


 そう言って、高級紙や大衆紙の紙面をデスクに軽く投げつけた。

 壮馬の言葉に出てきたマクスウェルとは、火星移住と不老不死を求め、逆張り投資で世界を操ろうとしている、などど揶揄されているカリスマ起業家だ。


「やっぱり、エイダン・マクスウェルの影響は大きい、か……」


 独り言のようにつぶやくと、鳳花さんが、各紙の一面に目を通しながらも、オレの言葉を拾って返答する。


「パニチェフ首相は、これまで、エイダン・マクスウェルのような人間とは距離を置いていたみたいだけど……トランス・ドニストール側は、どう動くかしらね? これからは、ミロシェンコ大統領だけでなく、パニチェフ首相の動向にも注意をはらうようにしましょう」


 彼女の言葉で、トランス・ドニストール共和国の新しい首相に就任した人物の経歴を、あらためて三人で整理することにする。


 ミラノ・パニチェフ(46歳)・男性


 出身: モルタヴィア共和国(トランス・ドニストール地方)


 設立企業: 「AegisGridイージス・グリッド社」

 事業内容: 独自の分散型暗号アルゴリズムを用いた、インフラ企業(電力・通信)向けの次世代サイバーセキュリティソリューション。

 

 このあとには、パニチェフの半生が、つづられている。 

 

 旧ソ連の崩壊期に幼少期を過ごした彼は、物資が不足する中、父親が拾ってきた型落ちのIBM製PC互換機が唯一の宝物だった。

 大学で数理科学を学ぶが、経済混乱で大学の予算が底をつき、教科書すら買えない状況に。しかし、持ち前の頭脳で「紙と鉛筆だけ」で高度な暗号理論を独学。卒業後は日銭を稼ぐため、地元の小さな工場で配線工として働く。

 

 数年後、わずかな貯金と1つのスーツケースだけを持ってニューヨークへ渡米。しかし、英語が拙く、東欧の学位が評価されなかったため、テック企業への就職は叶わなかった。

 昼はブルックリンの自動車修理工場で働き、夜は深夜のオフィスビルで清掃員として働く超過酷な生活。清掃の仕事が終わった午前3時、安アパートの片隅で、ジャンク品を集めて自作したPCに向かい、ひたすら独自の「分散型セキュリティコード」を書き続ける。こうした下積み生活を何年も続ける。

 

 清掃員として働いていたテック企業のオフィスで、ホワイトボードに残されたバグだらけのセキュリティ数式を発見。パニチェフは夜中にそれを消さず、隅に正しい解法と独自のアルゴリズムのメモを書き残した。

 翌朝、それを見た若きエリートCTO(最高技術責任者)が驚愕。防犯カメラからパニチェフを特定し、「うちのシニアエンジニアとして働いてくれ」と直談判。30歳にして、ようやく能力に見合う職を得る。

 

 この企業で、アメリカのビジネス習慣と英語を完全にマスターした彼は、自身のアルゴリズムが、現代のサイバー犯罪の脅威に対する最も有効なセキュリティだと確信し、36歳で「AegisGrid」を起業。

 

 派手なシリコンバレーの若手起業家とは違い、彼の武器は「絶対に破られない堅牢さ」と「泥臭い信頼性」。2020年代のサイバーテロ多発時代に彼の技術と自己資金による起業であることから一気に大注目を浴び、40代にして評価額10億ドルを超えるユニコーン企業のCEO(最高経営責任者)となった――――――。


 「こうして見ると、なんだか、異世界に転生したくらいの無双ぶりだね。このネタでウェブ小説を書けないかな?」

 

 ようやく、いつもの皮肉屋っぽい言動を取り戻した壮馬が、苦笑いしながら感想を述べる。 同僚にして親友の表情が、普段のものに戻りつつあることに安心しつつ、オレはチーム・リーダーに意見を仰いだ。


「それだけ、アメリカには、チャンスが転がっているということだろ? ところで、鳳花さんは、パニチェフ氏を首相に抜擢したミロシェンコ大統領の狙いをどう見ます?」


「トランス・ドニストール側の思惑としては、『アメリカの地で成功した人間を新しい首相にすれば、アメリカの首脳たちも気を良くして制裁を解除してくれるだろう』『パニチェフ氏は、政治の素人だから傀儡として都合よく動くはずだ』と言ったところじゃないかしら?」


「冷静に考えれば、やっぱり、ただの操り人形ってところですか? まあ、会社経営の経験があるとは言え、政治の世界では素人ですしね」


「ただ、気になることもあるのよね……」


 鳳花さんは、珍しく神妙な面持ちでつぶやく。


「えっ? なんですか? 気になることって?」


 オレの問いかけにリーダーは、言葉を選びながら答えた。


「今回のミロシェンコ大統領の決断は、トランス・ドニストール共和国として誤算になるかもしれないわ」


「誤算……って、どうしてですか? ハナからパニチェフ首相をお飾りにするなら、少なくともトラ・ドニ国内の締め付けは、問題ないでしょう?」


「えぇ、パニチェフ氏が、あくまで傀儡としての役割に甘んじるのであれば、ね……でも、彼もアメリカに渡って、一代で巨大企業を起ち上げた人物よ。そんな人が、独裁者的な人物とは言え、他人の言いなりになる役割に甘んじるかしら?」


 鳳花さんの考えが、どれだけ的を射ているものなのか、いまのオレには判断がつかない。

 ただ、自分たちの依頼人の前に大きな壁が立ちはだかろうとしているのは、確かなようだった。

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