第2章〜「正義」の作り方お教えします〜⑳
会談が行われている最中、なるべく目立たないようにタイミングを見計らって部屋から退散したオレは、一足先に廊下に出ていた鳳花さんにそっと訊ねる。
「会談参加者のようすをうかがっていたのは、こっちだけじゃなかったみたいですね。パーカー長官は、オレたちのことを気にしているんでしょうか?」
「まあ、東欧のモルタヴィア共和国の政府一団に東洋人の私たちが同席していれば、『あの二人は何者だ?』と気になるのは間違いないでしょうね。イオニスク大統領はともかく、ラドレスク大臣に通訳が必要ないことくらい、合衆国の一団もすぐに理解できるでしょうし」
「オレたちの存在が気になったパーカー長官が、スタッフの受け取っていた名刺を確認すると、自分たちの国のPR会社の人間だった……と」
「長官が、民間人の同席を気にするタイプかどうかはわからないけれど……過去の国務長官の中には、政府と官僚以外の人間を会談から締め出す人も居たというから、大事をとっておかないとね。スタッフに名刺を手渡して、私たちが会談に参加することも伝えておいたんだけど、先方に最終確認を取らなかった私のミスだわ」
鳳花さんは、淡々とした口調で自身の不手際について語るが、時間の余裕がない中で、国務省のスタッフから返答を受け取ることは難しかっただろう……と、そばに居たオレは思う。
幸いなことに、パーカー国務長官からは、特にお咎めは無かったようで、会談の相手側からオレたちの列席に対する苦情の声は出てこなかった。
オレが席を立ってから、しばらくすると、ドアの向こうから談笑する声が聞こえてきた。
どうやら、モルタヴィア共和国とアメリカ合衆国の会談が終了したようだ。
首脳会談の会場となっていた一室の扉が開くと、ラドレスク大臣が、真っ先にオレたちの元に駆け寄ってきた。
「二人とも、どうして途中で部屋を出て行ったんだい? なにか問題でも起こったのか?」
「いいえ、大臣閣下。ご心配なく。合衆国の列席者に対する配慮です」
かすかな笑みを浮かべながら、鳳花さんは大臣に対して、手短かにオレに話してくれたようなことを伝える。
「そうか……なにも、問題が無かったのなら良かった」
あらためて、胸をなで下ろすラドレスク大臣。
「ところで、大臣閣下。会談の首尾はいかがでしたか?」
鳳花さんの問いかけに、大臣は、満面の笑みで応じる。
「あぁ、すべて、つつがなく終えることができた。キミたちが退席したあとも、あちらの大統領は、とても熱心に話を聞いてくれてね。このあとの演説にも期待がもてるよ。すべて、キミたちのアドバイスのおかげだ」
「ご希望に沿う仕事ができたようで、私たちにとっても何よりです」
自分たちの助言が役立ったことを実感し、鳳花さんも安心したように表情をほころばせる。
どうやら、ラドレスク大臣は、合衆国大統領に対して、|Ethnic Erasure(民族抹消)というフレーズを強く印象づけることに成功したようだ。
そのことは、肩の力が抜け、安堵が入り交じった晴れやかな表情からも見て取れる。
ただ、この大臣の悪い癖は、こんな緊張感たっぷりのはずの現場でも治癒されていなかったようだ。
「どうだい、ミス・ハナガネ? 会談の成功を祝して、今晩、一緒に祝杯でも―――」
その相変わらず女癖の悪さを感じさせる一言に、心の中でため息をつきながら、オレはラドレスク大臣に向かい、チーム・リーダーに代わって返答する。
「ラドレスク大臣、お酒を楽しむ予定を立てるのは、合衆国大統領の演説を聞き終えてからにしませんか? あと、祝杯をあげるなら、ぜひ、僕も同席させてください。なにせ、ヘルシンキに来たのは初めてなもので、どこでお酒を楽しめば良いのかわかりませんから」
オレの言葉に、水を差されたように、さきほどまでの熱気はどこへやら、スッと温度のない真顔に戻ったラドレスク大臣は、
「そうだな、クロダ。もちろん、キミにも感謝してるよ。私の行きつけのレストランに招待しよう」
と答える。
その表情の変化を楽しんでいるのか、鳳花さんは、クスクスと笑いながら大臣の言葉に応じた。
「私どものメンバーを思いやっていただき、感謝いたします。夜のお食事を楽しみにしています、大臣閣下」
こんな風に、相も変わらず、危なっかしい悪癖を隠すことが苦手なラドレスク大臣だが、自分の職務に関わる事柄に関する見立てだけは、信用して良いようだ。
モルタヴィアとアメリカの二国間協議が行われた数時間後、オレたちは、この首脳会談の成果を目の当たりにする。
ヘルシンキ会議のクライマックスは、合衆国大統領の演説だった。議場の中央に登壇した大統領は、これまでの政策表明にはなかった厳しい口調で、トランス・ドニストール陣営の蛮行を非難した。この演説は、ドラマチックな言葉で締めくくられる。
「モルタヴィアの国民に残された時間は多くない。いま、我々が話し合いを行っているこの瞬間にも、|Ethnic Erasure(民族抹消)は行われているのです」
合衆国の大統領は、|Ethnic Erasureという単語を特にゆっくりと、大きな声で強調して発音した。それは、母国語が英語であるイギリスの首相にも、母国語が異なるフランスの大統領やドイツの首相にも、ハッキリと聞き取れるものだったようだ。
しっかりとした足取りで演壇から降りる大統領に対して、会場全体から大きな拍手が送られる。
その光景を目にしたオレは、鳳花さんが言っていたアメリカの政界を動かす三角形のすべての頂点を自分たちの手中に収めることができた、と感じたのだが――――――。
Pipipi……Pipipi……!
社内通話専用に設定してあるスマホの通知音が響く。
スピーカーを通して耳に入る、珍しく切迫した壮馬の声で、オレは自分の見通しが甘かったことを悟った。




