第2章〜「正義」の作り方お教えします〜⑰
三角形の最後の頂点であるアメリカ大統領官邸へのアプローチは、モルタヴィア共和国のイオネスク大統領の親書をアメリカ大統領に手渡すところから始まった。
ただ、現職の大統領官邸の主人は、
「アメリカは、もはや世界の警察官ではない」
「ホワイトハウスで熟考を重ねた結果、軍事行動を取るには慎重にならざるを得ない」
という声明を出したあと、国務省の役人たちとは異なり、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』というフレーズを口にすることもなく、これまでモルタヴィア紛争に対して積極的な発言をするようなことはなかった。
それは、この地域の紛争に介入することによって、事態が泥沼化することを恐れているのだろう、ということが想像できる。
そんな中――――――。
首都ワシントンでも、本格的な夏の到来を感じさせる時季になった7月はじめ、現職の大統領に、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』というワードを売り込むチャンスが巡ってきた。
その最初の機会は、7月4日のアメリカ独立記念日だった。
モルタヴィア共和国は、いまから40年前の8月にソビエト連邦からの独立をはたした。そのとき、真っ先にこの国の独立を承認したのが、アメリカ合衆国なのだ。
今年は、モルタヴィア共和国の独立40周年の記念すべき年にあたるそうだが、そんな独立国から、18世紀にイギリス独立から果たした、自由と民主主義の国の大先輩でもある合衆国に対して、独立記念日のお祝いの手紙を書こうというアイデアだ。
建国から、まだ250年程度のアメリカ合衆国は、2000年以上の歴史を持つヨーロッパの伝統と格式というものに、あこがれとコンプレックスが入り混じった複雑な想いを抱いている。
小国とは言え、そのヨーロッパ諸国の一国から、
「自由と民主主義の先輩」
という言葉をかけられれば、プライドがくすぐられるだろう、というのが鳳花さんの考えだった。
鳳花さんが、何度か手直しを行った親書は、イオネスク大統領の直筆という体裁を取って、A4用紙一枚に本文16行という簡潔な内容にまとめられ、7月4日の独立記念日当日の日付で、ラドレスク大臣から、アメリカ大統領の側近である首席補佐官に手渡された。
その内容の一部を紹介しておこう。
「アメリカ合衆国が、その独立をお祝いする機会に際して―――。自由と独立を手にしてから歴史の浅いモルタヴィア共和国の国民と政府を代表し、まだ成熟期を迎える前の私たちの国の民主主義に対して、貴国が施してくれている勇気あるご支援に対して感謝する思いと言葉をお受け取りください。(中略)私たちモルタヴィア共和国のような小国にとって、アメリカ合衆国は、全世界に向けて自由と正義、そして、民主主義のみちしるべとなる灯台なのです」
手紙の内容が短く簡略にまとめられているのは、多忙な大統領がこれを読むのに1分も掛からないという計算だ。
そして、親書の終盤は、こんな言葉で締められていた。
「どのような国も、他の国が行う、チカラによる現状変更や、住民の追放および虐殺、“|Ethnic Erasure(民族抹消)”と言った行為は許されないはずです。貴国がこれまで示してきた勇気と決断に敬意を込めて―――」
草稿の中身に対して、鳳花さんから意見を求められたオレは、即答した。
「個人の感想を述べるとすればですけど―――鳳花さんは、いまの仕事を辞めても、ラブレターの代筆屋としてビジネスを始められると思いますよ」
「あら、私は、シラノ・ド・ベルジュラックになるつもりはないんだけど? それに、最近はそういうこともAIが代行してくれんじゃないの?」
「鳳花さん、容姿に悩んだことの無い人間がそんなこと言っても同情されませんよ? あと、色々な命令を駆使しても、AIはここまで気の利いたことは書いてくれないんじゃないですかね?」
こういうジョークはさておき、モルタヴィア共和国は、自由と民主主義という価値観について、アメリカ合衆国と共通するものを持っているということを強調する狙いは、十分に効果を発揮するのではないか、という期待を持つことのできる内容であることは間違いない。
そして、手紙の終盤で、さり気なく世界最強の軍事力を持つ国の大統領に決断をうながしている点も見逃せない。
「いずれにしても、トランス・ドニストール陣営の大統領はもちろん、モルタヴィアのラドレスク大臣にも思いつかない文面だとは思います。大臣とコミュニケーションを取っていて思い知らされましたけど、彼らは小国なりに伝統あるヨーロッパの一員だ、という強烈なプライドを持っていますからね。アメリカの政治家の自尊心のくすぐり方って奴を勉強させてもらいました」
オレが、頭を下げて鳳花さんの手腕に敬意をあらわすと、彼女は少しだけほおの緊張を解いて、
「黒田くんの言うとおり、上手く行けば良いけど……」
と謙遜しながらも、軽く笑みを浮かべる。
終盤の内容に込めた|Ethnic Erasure(民族抹消)の言葉に引用符を付けた効果が、ホワイトハウスの主の心に、どんな影響を及ぼすのか、この時点では未知数だった。
だが、この手紙が次の機会への十分な布石になったことは、すぐに明らかになった。




