第2章〜「正義」の作り方お教えします〜⑭
高級紙と呼ばれる全国的な影響力を持つ大手新聞を購読するアメリカ国内の富裕層と、ネットメディアで情報収集を行なう中間所得層の間で、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』という言葉が世間を賑わし始めると、オレたちAGS社のチーム・ヴェスパにも、モルタヴィア情勢に関する問い合わせをするメディアが増えてきた。
オレの地道な電話営業の活動が、ようやく実を結びはじめた、と言って良いのかも知れない。
この日も、大手新聞社の記者から、オレ宛に電話が掛かってきた。
「モルタヴィアの担当をしているクロダという社員は居るかい?」
―――黒田は、自分ですが?
「おぉ、キミか。『メトロポリタン・タイムズ』のエイブラムスだ。先日、キミが言ったとおり、いくつか質問したいことができたから連絡させてももらったぞ」
―――ありがとうございます、エイブラムスさん。どういったご質問ですか?
「『|Ethnic Erasure(民族抹消)』という言葉は、すっかりバズワードになったな。現地の言葉で、『ștergere etnică』(シュテルジェレ・エトニカ)と言うそうだが……これは、モルタヴィア政府やラドレスク大臣から発信された言葉なのか?」
―――それは、どういう意味でしょうか?
「失礼だが、資料にあったキミたちのチームのメンバーの名前を見ると、みんな日系のようだ。東欧の現地の言葉なんて、日本人の言語感覚から思いつくことではないだろう? かと言って、モルタヴィアの政府に、こうした言葉をバズらせることができるセンスがあるとは思えない。彼らなら、もっとストレートに虐殺などの単語を使いたがるだろうからね」
さすがは、大手新聞社の記者と言ったところで、読みが鋭い。もちろん、ここで、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』というワードの出所について、すっとぼけても良いのだが……。
エイブラムス記者との今後の関係性を重視して、公言できないことをほのめかしながら、質問に答える。
―――おっしゃるとおり、実はここだけの話ですが、あの言葉は、私たちの社内やモルタヴィア政府周辺から出たワードではありません。とある上院議員のブレーンの方が、東欧にルーツを持つ方だったので、その方に教えてもらった言葉を参考にしました。
「ふむ……有力上院議員の側近の中で東欧に関係する人間と言えば……ホープ議員のところのイリエという女性秘書か―――? ウチの紙面に掲載されたウクライナや東欧情勢に関する論考は、彼女が草稿を書いているというウワサがあったからな」
独り言のようにつぶやく相手の言葉に、オレの背中には、冷や汗が流れる。
こちらの短い言葉からミラさんのことにたどり着くとは、新聞記者おそるべし……と言ったところだ。
ただ、持ちつ持たれつとはよく言ったもので、こちらが自分たちの手の内をみせたことで、エイブラムス記者は、彼らがつかんでいる情報をオレたちに提供してくれた。
「記者仲間の話によれば、国務省も、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』というキーワードに心を動かされているようだ。タットラー報道官が、近々、なんらかの声明が発表するらしいぞ。キミらの仕事の成果だな」
最後の言葉は、PR会社の業務に対する皮肉なのか、それとも、純粋にオレたちの仕事ぶりを評価したものなのかはわからないが……とにかく、まだ自分たちが把握できていなかった国務省の動きがわかったことには感謝したい。
エイブラムス記者との通話を終えたオレは、彼からもたらされた情報を鳳花さんに伝える。
ただ――――――。
「アメリカは、もはや世界の警察官ではない」
「ホワイトハウスで熟考を重ねた結果、軍事行動を取るには慎重にならざるを得ない」
大統領を頂点とするアメリカ政府のモルタヴィア共和国の紛争に対する公式見解は変わらないままだった。
アメリカ国内の世論は少しづつモルタヴィア側に傾きつつある、という手応えは感じているのだが、政府中枢の動きは、鈍いままのようだ。
そこで、オレは、エイブラムス記者の言葉を信頼し、国務省の会見に注目する。
国務省が行なう記者会見で、マージョリー・タットラー報道官は、モルタヴィア国内で行われているトランス・ドニストール陣営の行為について質問され、こんな返答を行った。
「モルタヴィア情勢については、私のもとにも毎朝のように情報があげられています。私の人生の中で見たことも聞いたこともないような恐ろしい出来事が発生しているという事情も把握しています。『|Ethnic Erasure(民族抹消)』という言葉で表現されている現在の状況を思うと、心が揺さぶられることも確かです。こうしたことが自分や家族の身に降り掛かっていないことを神に感謝せずにはいられません」
電話で語られた新聞記者の言葉に希望を見出していたオレは、少しガッカリする。
これは、報道官の私的な見解であり、国務省の公的な動きを示すことでは無いようにも感じられるのだが――――――。
記者会見の模様を一緒に見ていた鳳花さんの見解は、オレとは異なるようだった。
「国務省も難しい選択を迫られているみたいね」
「どういうことですか?」
「国務省が、ラドレスク大臣の発信した『|Ethnic Erasure(民族抹消)』という言葉を記者会見で使ったのは大きいわ。これは、政府としての動きはなくても、少なくとも、国務省はモルタヴィア寄りの姿勢を示し始めていることの証よ」
「それは、心強いと思うんですけど……どうして、国務省はモルタヴィアのサイドに心情を寄せているんでしょうか? 石油も採掘できなければ、軍を動かすメリットも無さそうですけど……?」
オレの問いかけに、鳳花さんは微笑を浮かべて応じる。
「貴方がミラさんから受け取って来た言葉と、黄瀬くんの動画のおかげで、この国の世論もモルタヴィア共和国に同情を始めているから……政権側でも、中間選挙の期間中に『どうして、モルタヴィアへの支援をしないんだ!』という声が高まれば、その世論に抗うことは出来ないと考えているんでしょう」
秋に行われる選挙を見据えて、政治の世界も色々な動きがあるということだろうか?
国務省報道官の会見は、鈍かった国全体の動きが少しずつ変わってきた、という実感をたしかに感じる出来事だった。




