第2章〜「正義」の作り方お教えします〜⑪
マザー・クライスにアドバイスをもらってからの鳳花さんの動きは早かった。
早速、モルタヴィアの大統領府に連絡を取り、イオニスク大統領の首席報道官を務めるアリーナさんに依頼する。
「今後、首都キシナヴィアをはじめ、モルタヴィア共和国の国内で起きるトランス・ドニストール陣営が行う非道な行為について、情報発信を行なっていきます。そうした事例があれば、すぐに、ワシントンの私たちに知らせて下さい」
大統領の娘でもあるアリーナ・イオニスクは、鳳花さんの要請に応えてモルタヴィア国内の各地から寄せられた情報を集め、その日のうちにチーム・ヴェスパにメールを返信してくれた。
情報を確認したオレと鳳花さんは、その結果をメディア向けのメーリングリスト『モルタヴィア通信』にまとめた。
アリーナさんからの報告を元にA4サイズに印刷可能なファイルには、四ページに渡って、30件の『Ethnic Erasure(民族抹消)』の事例をつづっている。
これまで、『モルタヴィア通信』を配信する場合は、読みやすさを考慮して内容をA4一枚に収め、行間も広めに取っていた。理由は、もちろん、一見して読むのに時間が掛かると思われると、添付ファイルがデスクトップのゴミ箱行きになってしまうからだ。
だが、今回だけは例外的措置を取ることにした。
これまでの内容と異なり、四ページに渡ってびっしりと埋め尽くされたテキスト、という書式そのものが、モルタヴィアの地で、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』という行為が行われているか、ということを物語っている。
そして、『|Ethnic Erasure』という聞き慣れない言葉が、一度メディアに出回りはじめれば、感度の高いジャーナリストが、時間を割いて、その具体例が満載されたこの文書を読み込んでくれるだろうことを想定していた。
たしかに、アリーナさんからもたらされた情報は、メディア向けのネタの宝庫だった。
新聞記事風に、情報を列挙すると、こんな感じだ。
『モルタヴィア人5万人追放 トランス・ドニストール系市長が命令、「民族移送」名目で』
【パルティ】 モルタヴィア北部の都市パルティで、モルタヴィア人住民約5万人が強制追放されたことが明らかになった。
地元当局などによると、今回の措置はトランス・ドニストール系の市長による命令に基づくもの。当局側は一連の追放を公式に「民族移送事業」と呼称しているという。事実上の|Ethnic Erasure(民族抹消)にあたるとの見方もあり、人道上の観点から今後、国際的な批判が高まるのは必至とみられる。
『トランス・ドニストール人が凄惨な暴挙、殺害した住民の頭部で「サッカー」』
【チミシャ】 首都近郊のチミシャで、トランス・ドニストール人が殺害したモルタヴィア人の遺体の一部を損壊し、凄惨な行為に及んでいることが分かった。
現地の情報によると、トランス・ドニストール人のグループが、殺害したモルタヴィア人住民の頭部をボールに見立ててサッカーに興じているという。戦時国際法や人道倫理を著しく踏みにじる残虐行為であり、現地の緊張と対立が極限に達している実態が浮き彫りになった。
『子供を母親の前で殺害、感想強要 兵士による残虐行為が露呈』
【フォカチャ】フォカチャの街で、トランス・ドニストール人の兵士が民間人に対して極めて残虐な行為を働いていたことが分かった。
生存者らの証言によると、同地に進駐したトランス・ドニストール人の兵士が、幼い子どもたちをその母親の目の前で刃物で切り刻んで殺害。さらに、我が子を失ったばかりの母親に対し、その場で事件の感想を述べるよう強要したという。非戦闘員である子どもや女性を標的にした非道極まる戦争犯罪であり、国際社会からの激しい非難は免れない情勢だ。
ここまでの文書には、どこにも、「ナチス」や「ホロコースト」と言った言葉は使っていない。
だが、一つ一つの事例が、90年近く前にナチス・ドイツが東方に侵攻した際に、現地住民やユダヤ系の人々を相手に行ったとされる蛮行をイメージさせるものになっている。
また、こうした状況に加えて、現地からの情報によれば、現在モルタヴィアの各地には、追い出したモルタヴィア人を閉じ込める「強制収容所」が建設され始めていると言う。
この「強制収容所」という言葉は、これから世界を揺り動かすキーワードになるという予感が、オレにも鳳花さんにもあった。
翌日、鳳花さんが草稿を書いた、ラドレスク外務大臣から国連の安全保障理事会議長に手渡された手紙には、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』という言葉が三回登場し、
「フンチェシティという街にいるモルタヴィア人は、常に右腕に白い腕章を付けるように命じられています」
という一文が添えられていた。
これは、世界中の人々が映画などで目にしたことのあるナチス・ドイツの「ユダヤ人狩り」をイメージさせるエピソードだ。
この手紙は、二日続けて配信された『モルタヴィア通信』で、すぐにメディアに公開する。現地からもたらされた情報が真実なら、二十一世紀の現在でも、東ヨーロッパは、ふたたび前世紀の悪夢に直面することになる。
「これは、早速、真偽の確認に走らなければ……!」
ジャーナリストたちにそう思わせるには十分なインパクトを持っていた。
各新聞社やテレビ局の記者たちは、こぞって、現地の実態をスクープしようと駆け出す。
それからは、各社の特派員が行う取材によって、モルタヴィアの大統領府でさえ把握できていない実情が判明し、『|Ethnic Erasure(民族抹消)』の実例が次々に報道されるようになっていった。
たった一つのキャッチフレーズの影響で、世界が動き始めた――――――。




