第2章〜「正義」の作り方お教えします〜⑨
一方、モルタヴィア政府から送られた資料を持ってきた壮馬は、オレたちの会話に加わり、そのまま発言する。
「特定の民族を追い出したりするのって、時代や場所が変わっても起こることものなんですね。ボクなんかは、つい第二次大戦の悲劇を思い起こしてしまいますけど―――」
そんな部下の言葉に、うなずきながら、鳳花さんが、ふたたび口を開いた。
「それは、欧米の人たちも同じでしょうね。ただ――――――」
リーダーの言葉に、今度は、オレが反応した。
「ただ?」
「早い段階で、『ナチス』や『ホロコースト』の言葉を過剰に連想させるような表現は、避けておいた方が良い、と個人的には思うわ」
「それは、どうしてですか? モルタヴィア系の民族を地図上から消し去ろうとしているなら、イメージ戦略として、そうしたワードを浸透させて行く方が良いと思うんですけど……?」
「それには、繊細な配慮が要求されるわ。ユダヤ系の人たちにとって、それらの言葉は軽々しく使ってほしくないキーワードのようだから……ここは、モルタヴィア地域の歴史や言葉に詳しい人の知見が必要ね」
オレが最近、知り合った中で東欧地域にルーツを持つ人と言えば―――。
「それなら、先日、ホープ上院議員の事務所を訪れたときに応対してくれたミラ・イリエさんは、どうでしょう? モルタヴィアの問題にも関心を持ってくれているようすだったし、彼女なら協力してくれると思いませんか?」
オレの言葉をうなずきながら聞いていた鳳花さんは、「そうね……」とつぶやいたあと、チーム・リーダーとして指示を出す。
「それじゃ、ミラさんとのコンタクトは貴方に任せるわ。なにかあったら、すぐに連絡をちょうだい」
そんな訳で、すぐに議員秘書を務める女性に連絡を取ったオレは、彼女にアポイントを取ってから、連邦議会の上院の院内総務を務める有力議員の事務所を訪れることにした。
前回とは異なり、事務所内にある自身のプライベートルームに案内してくれたミラさんは、穏やかに微笑みながら会話を切り出す。
「やはり、あなた達のようなPRの専門家でも、モルタヴィアの主張をプロデュースするのは難しいのかしら?」
「これまで、自分たちなりに情報収集を行って、社内でもモルタヴィア共和国に関する知見では、誰にも負けない、と自負しているんですけど……やっぱり、特有の言語やその土地の詳細な歴史は、その地域にルーツを持つ人でないとわからないことも多いと感じています。どうか、ご協力いただけないでしょうか?」
「相変わらず、あなた達は、人をその気にさせるのが上手いわね」
ミラさんは、そう言って、少しだけ肩をすくめたあと、母国の隣にある小国の歴史について語ってくれた。
「モルタヴィアの地域では、第二次大戦中に『ștergere etnică』(シュテルジェレ・エトニカ)と言う言葉が使われていたそうよ」
「語感から言って、ミラさんの母国のルーマニアの言葉ですか?」
「えぇ、英語で言うと、|Ethnic Erasure(民族の根絶・民族の抹消)と言ったところね」
「民族の根絶・抹消ですか……穏やかでない言葉ですね」
「えぇ。第二次大戦時に私の母国も枢軸国として戦っていたことは、あなたも知っていると思うけど……1941年にナチスがソビエトに侵攻した際、モルタヴィアの辺りでは、ルーマニア系の民族がユダヤ系の人たちを追い出すために使っていた言葉だと言われているわ」
「なるほど……モルタヴィア系の人たちが迫害を受けているいまとは、正反対の状況で生まれた言葉なんですね」
「そうね……それくらい、時代によって、大国の思惑に翻弄されているのが、あの地域ということになるわね。複数の民族が共存するのは、それだけ難しいということなのかもね」
ミラさんは、寂しげな表情で少しうつむいたあと、「そうだ、話は変わるのだけど……」と思いついたように、私室の壁に掛けられた一枚の絵画を指差した。
「クロダ、あの絵について、知っていることはある?」
彼女が指し示した先には、上部に輝くような黄色、下部にどっしりとしたオレンジ色の大きな四角形が配置されたキャンバス画が飾られていた。パッと見た感じでは、シンプルすぎる構造の絵画にしか見えないのだが……。
「すみません、現代アートは、まだ勉強中なもので……良ければ、ご教授いただけますか?」
「あれは、ロシア系ユダヤ人のマーク・ロスコという画家の絵なの。一見すると、オレンジとイエローの二色構造にしか見えないけど、境界線に注目すると、背景のピンクがかった色がモヤモヤと混ざり合っているのが分かると思うわ。色の塊がキャンバスからこちら側に迫ってくるような、あるいは奥へと沈んでいくような、不思議な立体感を感じられるから、。もし、本物のキャンバス画を見る機会があったら、その感覚を楽しんでみて」
愛好家特有の饒舌な語り口で芸術作品について解説をしてくれるミラさんの言葉は、オレの関心を引くものだった。
「なるほど……まるで、いまのモルタヴィア国家のようですね」
つぶやくように感想を述べると、上院議員の有能な秘書にして、現代アートの愛好家である彼女は、満足そうに微笑みながら語る。
「フフフ……さすがは、ホウカの下で働いているだけはあるわね。クロダ、モルタヴィア以外でも東ヨーロッパで困ったことがあれば、いつでも相談してちょうだい。チカラになれることもあると思うわ」
その言葉に、
「ありがとうございます! ミラさんのような方にそう言ってもらえると、この仕事の自信に繋がります」
と、最大限の感謝の言葉を述べたあと、上院議員の事務所からの去り際に、大事なことを思い出したオレは彼女に声をかけた。
「僕たちの故郷のそばに、イリエという名前の有名なパン屋があるんです。そこのクリームパンは絶品で個人的には日本で一番の味だと思っているので、ぜひ、ミラさんにも食べてもらいたいです。近々、日本から冷凍空輸する予定なので、今度、ご馳走させてくれませんか?」
「ありがとう、クロダ。ぜひ、食べてみたいわ」
議員事務所で、今後の広報活動において、たしかな手応えを掴んだオレは、その帰り際にミラさんが推していた現代アートの画家について調査する。
その画家マーク・ロスコの作品は、一枚のキャンバス画が(絵画としては最高額の)1億ドル近い値段で取り引きされているということを知って、自分の不勉強さを痛感するのだった。




