3話 渋川抹吏は間に合った
廊下を歩いていると、顔に陽の光が当たった。眩しさに目を細める。換気のために窓も開けられていて、風が気持ちいい。
生徒会室の隣の空き教室は戸が開けられていた。遅れて入ると、先に来ていた生徒会のメンバーの話し声が聞こえる。俺に気付いた果乃子が大きく手を振ってきた。
「抹ちゃん、こっちこっち!」
思わず口元が綻ぶ。近くの椅子には龍青先輩も座っている。ここに座れ、とばかりに椅子を動かしてくれた。
「あれ、紅葉先輩は?」
生徒会のメンバーは全員で八人だ。だが、よく見ると教室には七人しかいない。
勧められた椅子に座り、俺はブレザーのポケットから詰将棋の本を取り出した。
「忘れ物があるそうだ。教室に向かった」
「忘れ物?」
北側に向かったのだろうか?
けど、教室があるのは南校舎だ。階段も南側の方が近い。嘘でも吐いたのか? 何のために?
疑問が湧き上がるものの、思考は果乃子の明るい声に中断させられた。
「そんなことより抹ちゃん、モナカちゃんといつ知り合ったの?」
眉を上げるが、果乃子の表情は真剣そのもの。
俺は軽く息を吐き、詰将棋の本を机の上に置いた。読んでいる暇は無さそうだ。
「いきなりなんだ? 果乃子だってモナカ先輩のことは知っているだろ?」
「だって、あたしが生徒会に入ってから一週間もしないうちにモナカちゃん入院したんだもん。やっぱりキレイだよね〜」
「そうだったな。選挙が終わり、新生徒会が始まってすぐに休学したんだった。せっかく生徒会長になったというのに……」
龍青先輩の言葉に、果乃子はうんうんと首を縦に振る。
「普通だったら、副会長の龍くんを後任にするでしょ。なのに抹ちゃんをわざわざ生徒会長の後任にするなんて……、きっと特別な関係なんでしょ〜」
彼女は鼻息も荒く、大きな目を輝かせる。
俺は軽いため息と共に口を開いた。
「そんなんじゃない。入学してすぐにモナカ先輩から声をかけられたんだ」
「モナカちゃんがわざわざ? どうして?」
「何か探し物があったらしい。それで僕が新入生に名探偵がいる、と教えたんだ」
俺が応えるよりも早く、龍青先輩が言ってくれた。果乃子は感心したように彼を見上げる。
「龍くんは抹ちゃんのこと知っていたんだ」
「虎白兄さんから聞いたんだよ。抹吏が中学生の頃、ジムで起きた事件を解決したそうだ」
俺は首を縦に動かした。虎白さんにはそれ以来、プロテインのサンプルをもらったりと世話になっている。
「それでそれで、モナカちゃんには何を頼まれたの?」
「愛用の手鏡を探してほしいって頼まれたんだよ。教室に置き忘れただけだったけど……、その後も何回か」
「ああ見えて、モナカも結構抜けているからな……」
龍青先輩はしみじみと言った。実感のこもった言葉だ。
「そのたびにお茶を奢ってもらって……、それだけだよ」
果乃子は勢いよく身を乗り出した。鼻息がますます荒くなっている。
「お茶? それってデートじゃん!」
手を振って否定する。
「そんなんじゃない。ただのお礼だよ」
「え〜、つまんない。絶対そんなんじゃないでしょ?」
「つまんないって……」
助けを求めて龍青先輩を見ると、お手上げだという風に掌を上に向けた。
「抹吏に聞いても無駄だ。モナカは確か六組だったな。果乃子は五組なんだから、自分で聞けばいいだろう」
「無駄って……」
そんな言い方はないでしょう。軽く睨みを利かせたつもりだが、龍青先輩には軽く無視された。
「そっか。モナカちゃん、もう一回二年生になったんだっけ……」
口元に手を当てて、考え込む素振りをする。そして果乃子は決意を示すかの如く、拳を握った。
「よし、あとで聞こ!」
「お前がいるんなら、モナカ先輩も退屈しないだろうな」
ぼそっと呟く。すると、果乃子は半目で睨んできた。
「抹ちゃん、それってどういう意味?」
「いや、それは……」
「近くに果乃子がいるから安心だ。そういう意味だろ?」
「そう? うん、あたしに任せてよ!」
果乃子が自信ありげな笑顔になって胸を張る。
流し目を向けてきた龍青先輩を、小さく両手を合わせて拝んだ。
そのとき、壁越しの激しい音が俺の鼓膜を震わせた。
「今のは……」
しかも、音がしたのは生徒会室だ。
モナカ先輩に何か……?
紅葉先輩もこの場にいない、まさか!
即座に教室を飛び出し、生徒会室の戸に手をかける。戸が途中で引っかかったのを、勢いと力づくで一気にこじ開ける。
戸が激しい音を上げて叩きつけられるのと同時に、生徒会室へ足を踏み入れる。
室内で広がる光景に、頭の中が赤く染まった。
紅葉先輩がモナカ先輩を組み伏せていた。その上、彼はトロフィーを大きく振り被っている。
床を踏み抜き、弾丸のように跳躍する。トロフィーがモナカ先輩の顔を潰すよりも早く、俺の右足が紅葉先輩を蹴り抜いた。
紅葉先輩は軽かった。抵抗も無く背中から棚に叩きつけられる。
棚に並べられたトロフィーが倒れ、カセットプレイヤーも床に落ちた。
モナカ先輩は無事だろうか。
振り返ろうとした俺を、か細く揺れるような声が止めた。
「み、見ないで……」
僅かに見えてしまった、乱れた前髪から覗く彼女の顔は真っ赤になっていた。顔を覆う指も小刻みに震えている。
怪我はないみたいだ。だけど、ひどく怯えているように見える。
「抹吏、どうした!?」
「何かあったの……モナカちゃん!?」
遅れて龍青先輩と果乃子も来てくれた。絶句しているのが声の調子からも伝わる。
「モナカ先輩を頼みます」
振り返ることもない。紅葉先輩へ向けて、ゆっくりと歩を進める。
紅葉先輩は会計としても優秀で、色々と助けられてきた。真面目で誠実な人だと思っていたけど、犯罪者になってしまった。
握りしめた拳に力が入った。爪が食い込む。
俺が一歩踏み出すたびに、彼は後ろへ下がろうと後ずさった。だが、背後には棚がある。逃げられはしない。
佐藤紅葉を見下ろし、片膝立ちとなって、胸ぐらを掴み上げる。
「ひっ……!」
怯えた目で見上げてくる。いっそ哀れにすら見えてくるが……。
チラリと後ろを見れば、果乃子に介抱されるモナカ先輩の姿が見える。彼女はまだ肩をわなわなと震わせていた。
締め上げる腕に力が入る。
容赦はしない。
「忘れ物なんて嘘だった。ここでモナカ先輩と二人きりになるつもりで、反対側の教室に隠れていたんだろう。きっと、一人にしてあげようと言った時から……」
彼の目は見開かれたまま、動かなくなった。
俺は低く抑えた声で問い詰める。
「詰みだ……!」




