29話 私、どうして頭に血が昇るとこうなんだろ…… 最上中誘拐事件
車内にはタバコの臭いが染み付いていた。鼻が曲がりそうだけど、塞ぐこともできない。
腕には手錠がかけられていた。
しかも両隣を男達に挟まれている。虫が這うような感触に肩が跳ねた。
「いや!」
身を捩る。拘束された両手で服の中に入れられた手を跳ねのける。
バシィッ!
また頬に痛みが走った。
「おいおい、傷物にするなよ。リュートさんに殺されるぜ」
「俺はこいつに殴られたんだぞ。少しくらいいいだろうが」
「シルシも落としたもんな。これ以上、怒らせない方がいいんじゃねーの」
周りの男達の品のない嘲笑。隣の男は憮然として腕を組んだ。
「ちっ……」
不快な感触こそなくなった。でも、安心なんてできるわけがない。
窓の外はもう暗くなっていた。何も見えない。
私、これからどうなるんだろう。
本当、馬鹿なことしちゃった。
陽葵さんの無惨な姿が脳裏に焼きついて離れない。私のせいで誰かがあんなことになるくらいなら、いっそこのまま……。
ブレザーに染みが生まれた。
「な〜に泣いてんだよ。すぐに俺なしじゃいられないようにしてやるよ」
隣の男が、無理やり私の肩を抱く。すぐさま、逆隣の男がその男を突き飛ばした。
「てめえには無理だろ。この間の女だってすぐに壊しやがって!」
「お前が遅いのが悪いんだよ!」
「リュートさんに取り入りやがって……」
ただひたすらに、男達の下品で身勝手な会話を聞かされ続ける。耳を塞ぎたいのに、動きすら取れない。
ただ、果乃子ちゃんがこんな目に遭わずにすんでよかった……。
そう思うしか無かった。
* * *
車が止まった。
両腕を取られて、人気のない工場を歩かされる。
隣の男が足元を照らした。カツン、カツンと靴音が反響する。
しばらく歩くと、前方に灯りがあった。
安物のソファーに男がふんぞり返っている。
真っ赤に染めた髪を逆立てた男だ。ピアスやネックレスも山のように付けている。顔立ちはまだ幼さが残っているけど、歯はヤニで真っ黄色になっていて清潔感のカケラもない。
私を拘束する男達も、よく見れば高校生くらいだ。多分、この空間に二十歳超えの人はいない。だというのに、タバコや酒の臭いが立ち込めている。
赤髪の男は、露出の多い派手な女に酌をさせていた。私以外で唯一の女性だけど、誰とも目を合わせようとしていない。きっと……。
私達が近づくと、男はグラスを持ち上げた。
「リュートさん、連れてきました」
「おう……何やってんだ!」
リュートは隣の男へグラスを投げつけた。グラスは男の額にぶつかり、中の液体がぶちまけられた。
強いアルコールの臭いが鼻をつく。……ブランデーかな。
「龍青の女を連れて来いと言っただろうが! なんだそいつは!」
「こ、この女も龍青と親しそうにしていましたよ。新しい女じゃないですかね!」
「ほう……」
リュートは私の顎をくいと持ち上げた。怖気に身を震わせる。
「ガキみたいなのが好みかと思っていたが、趣味が変わったか?」
「りゅ、龍青って……あなたは?」
リュートは私を突き飛ばした。
制服が泥……というより油まみれになる。クリーニングで落ちるかな……。
ブレザーの襟が掴み上げられた。男は怒りを滲ませた顔で睨みつけてくる。
「この俺をあんな生まれだけのボンボンと一緒にするんじゃねえ!」
龍青に対するこの敵対心。それにリュートって……。
「もしかしてあなた、緋翼龍翔? ……緋翼家の?」
リュートは目を大きく見開いた。
きっと、果乃子ちゃん誘拐事件……。
「ほ〜、よく知っているな。だが、この間の女のように帰れると思うなよ?」
抹吏くん、私じゃ助けに来てくれないかも……。
小さくなって肩をすくめる。
リュートは勝ち誇ったようなにやけ面で、唾を飛ばしてきた。
「この間の女って、陽葵さん?」
「名前なんか知らねえよ。あの女、俺が声をかけてやったのに無視しやがったからな」
口が開きっぱなしになった。
下劣な笑いを浮かべながら、さらに顔を近づけてくる。
「俺の女にしてやる。ただ生まれがいいってだけで調子に乗っているボンクラなんかとは違うぜ。泣いて喜ぶんだな」
吐きつけてきた息に思わず目を背ける。きっと歯も磨いていない。煙草だけじゃなくて色々なものが混じり合った、酷い口臭だ。
「大人しくしていれば、天国へ連れてってやるぜ」
今は黙って従うのが正解。ここで逆らったところで、痛い目に遭うだけ。
頭では分かっていたはずだった。
でも、この男の言葉は……。
「痛ぇっ!?」
リュートが鼻を押さえてのたうち回る。おでこに気持ちの悪い感触が残るけど、気分はスッとした。
「鏡、見たことないの?」
ぼそっと呟くと、クスクスという笑いが聞こえた。
髪に負けないくらい、リュートは顔を赤くする。そして、懐に手を入れた。
乾いた破裂音。天井の鉄骨に火花が散る。
「うるせえ!」
途端に静まり返る。
リュートの手には、白い煙の立ち上る拳銃が握られていた。
「優しくしていればつけあがりやがって!」
銃口をおでこに押し付けてきた。熱を持った金属が急速に冷えていく。
銃がガチャガチャと音を立てて……違う。私が震えているんだ。
人死にが出ない事件だったはずなのに……。
抹吏くん……果乃子ちゃん……龍青……。
お母さん……。
やっぱり……死にたくないよ……。
視界が滲む。
品のない嘲笑に取り囲まれる。
「死にたくなければ……分かるよなあ?」
リュートが舌なめずりをした。好色な視線が私の身体を舐め回してくる。
歯を食いしばり、目を閉じる。
ブレザーのボタンに手をかけると、下卑た歓声が上がった。
「この間の女より頭がいいな! 手間が省けて楽だぜ!」
「しかも上玉だ! リュートさん、次は俺に回してくださいよ!」
「馬鹿野郎! この間もお前はリュートさんの次だっただろうが! 今度は俺だ!」
「ふざけんなよ! この間よりいい女じゃねえか!」
殺されるわけじゃないんだし……豚の鳴き声なんて聞こえない。悪夢と思って、過ぎ去るのを待つしかない。
でも、すぐに手が止まった。
「どうした? 痛い目を見ないと分からないか?」
頬を銃でペチペチと叩かれる。
冷たい感触に縮み上がる。
「ひっ、ひぐ……」
嗚咽が漏れる。囃し立てるようなヤジを飛ばしてきた。
「泣くにはまだ早いぜ! これからなんだからな!」
三番目のボタンに触れた瞬間、
ブツッと音がして周囲は暗闇に閉ざされた。
「な、なんだ!?」
ガシャアッ!
ガラスが砕ける音。静かなモーター音が近づいてきて、
「ギャア!?」
「グハッ!?」
「ゲホッ!?」
醜い悲鳴と何かが折れる鈍い音。それが何度も繰り返された。
何が起こっているの……。
照明が復活したとき、リュート以外の男は全員倒されていた。全員の赤いジャケットに轍が刻まれている。
リュートが侍らせていた女の人は、ソファーで身を小さくして震えていた。
この場に立っているのは私とリュート、そしてバイクに跨った男だけ。
顔はヘルメットに隠されているけど、濡羽高校の制服を見間違えるわけがない。ギプスは無いけど……。
「な、何なんだお前!」
リュートに銃を向けられても、バイクの彼は微動だにしない。
銃口の方が震えている。
バイクのスロットルが唸りを上げた。
「う、動くんじゃねぇっ!」
悲鳴のような恫喝にも、バイクの彼は止まらない。
リュートは目を瞑って叫び、
「う、うわあぁっ!」
引き金を引いた。乾いた破裂音が反響して耳を打つ。
でもバイクの彼は倒れなかった。
掲げたバッグに、小さな弾丸がめり込んでいた。
あのバッグ……。
リュートは呆然と口を開けていた。
バイクの男はバッグを投げ捨て、バイクを急発進。
もう一度銃を向けられる。けど跳ね上げた前輪で殴りつける方が早かった。銃は地面を転がり、リュート自身も油まみれの地面に倒された。
私の顔にも何かが跳ねた。
生温かくて、気持ちが悪い。
「ま、抹吏くん?」
「無事……ですか?」
ゆっくりと頷く。彼は私に背を向けたまま、ヘルメットを脱いだ。ヘルメットの下にもゴーグルを付けていて、それも外す。
「モナカちゃん!」
愛らしい声とともに、私の胸に小柄な女の子が飛び込んできた。
「モナカちゃん大丈夫? 酷いことされてない!?」
大きな瞳が潤んでいる。見上げた果乃子ちゃんはハッと気づいたように、ハンカチで私の頬を拭ってくれた。
ハンカチが赤く染まる。果乃子ちゃんは私の頬を慎重に触ってから、ほっと口元を緩めた。
「酷いことは、されたけど……」
犯人の男は全員、油まみれの床に転がっている。
気までは失っていないみたいで、全員が苦しげなうめき声とともにのたうち回っていた。
果乃子ちゃんが離れた。
抹吏くんがバイクを押して、ゆっくりと近づいてくる。
彼は私のバッグを拾い上げていた。
「すみません、届けるつもりだったけど汚しちゃいました。新しいのを買わせてください」
前に斬りつけられた傷と弾痕、おまけに油塗れになったバッグは酷い有様だ。でも、私は抹吏くんから奪うようにバッグを受け取る。
「ううん。私、これがいい」
そして抱きしめる。制服だってどうせ油塗れだし、構わない。
「俺も、このバッグに助けられました。なら、せめて洗わせてください」
「うん。……その足を治したらね」
抹吏くんは苦笑いを浮かべる。
そこへ声をかけられた。
「無事なようだな。よかった」
龍青はスーツ姿の男を従えている。男は工具箱を持っていた。
「龍青も来てくれたのね」
「り、龍青だと……」
怨嗟に塗れた声。倒れたままのリュートが手を伸ばす。
グリップに手が届いた瞬間、龍青は銃ごとその手を踏みつけた。
「痛ェッ!?」
「誰だか知らないが、モナカをこんな目に遭わせたんだ。ただで済むと思うなよ」
絶対零度の声音。思わず足が一歩下がった。
「ふざけるな! この緋翼龍翔を知らないなんて……」
「お前が緋翼家の愚息……いや、元愚息か」
その瞬間、リュートの目が大きく見開かれた。
「元……だと?」
「法務部が緋翼蓮次郎に問い合わせたところ、息子はいないと言っていたそうだ」
「ウ、ウソだ! そんなわけが……」
リュートはなおも吠えかかる。けど、声に力は感じなかった。その様を冷徹に見下ろしつつ、龍青はスマホを取り出した。
「嘘だと思うのなら本人に聞けばいい。電話を繋いでやる」
「や、やめろ……やめてくれ!」
スマホからの呼び出し音はすぐに止まる。
緋翼龍翔の悲痛な叫びが建物内に反響した。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
面白いと思っていただけたなら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。
次話で第一部最終話の予定です。




