30話 親の都合なんて聞いてない! エピローグ
消毒液の臭いが鼻を刺激するけど、もう慣れた。もはや、落ち着くまである。
病室にあるのはベッドと椅子が一つずつ。白いベッドには抹吏くんがギプスを吊られて寝かせられていた。
果乃子ちゃんと龍青はふてくされた抹吏くんを半目で眺めている。
「また入院するなんて……」
「いっそ、ここを生徒会室にするか?」
二人の軽口に、抹吏くんは背を向けようとする。けど、ギプスのせいで動けないみたい。首だけ明後日の方を向いていた。
「そんなこと言わないでよ。また助けられたんだから」
警察が来た途端に抹吏くんは倒れた。
私は軽い検査だけで済んだんだけど、抹吏くんはまた入院。
病室に一つしかない椅子は私が譲ってもらった。果乃子ちゃんはベッドに軽く腰掛けて、ギプスをコツンと叩いた。
「あの時は私も大変だったんだよ? 抹ちゃん、すぐにでも飛び出そうとするんだから」
龍青も顔を綻ばせながら、腕を組んで抹吏くんを見下ろしている。
「スタッフに通電を止めさせたからな。暗闇に乗じての奇襲だからこそ、あんなにもうまくいったんだ」
「よく暗視ゴーグルなんてあったわね」
「優秀な奴らだ。虎白兄さんにボーナスを弾んでもらうさ」
ベッドの抹吏くんがボソッと呟く。
「けど、助けに行くのが遅れた」
「ちゃんと間に合ったもの。本当にありがとう」
抹吏くんは背を向けたまま、少しだけ首を動かした。
「それにあいつ、銃まで持っていたわ。明るいままだったら、怪我していたかも」
龍青はスマホを開き、視線を滑らせる。
「緋翼は反社との繋がりもあったようだ。愚息を切り捨てたところで法務の追求は止まらない。もう手遅れだろうな」
微笑んだけど、目は笑っていない。
私はつい、椅子を引きずって彼から離れた。
「これで……陽葵さんも少しは安心できるかな?」
果乃子ちゃんが病室の白い壁を見て呟く。
「……千樹さんには伝えた」
それだけ言って、龍青は口を閉ざした。
病室の外から、静かな足音が聞こえてくる。
それが突然、慌ただしいものへと変わった。バンと音を立てて、扉が開く。
「あたる!」
扉の向こうから現れたのは、ビジネススーツを着た女性だった。髪を振り乱した彼女はパッと笑顔になって、私めがけて駆け寄ってくる。
「怪我はない!? 大丈夫?」
「う、うん……」
「良かった……」
椅子に座った私の目線に合わせて屈んで、抱きしめてくれた。
力が強くて息苦しい。
でも、
お母さんの匂い、久しぶり……。
自分だけじゃなくて、お母さんの鼓動まで感じる。
「お母さん……お母さん!」
負けないくらいの力で抱きしめ返す。お母さんの髪やスーツが僅かに湿る。
久しぶりに触れるお母さんの身体は、記憶よりも細く感じた。
しばらくして、お母さんから体を離した。像がぼやけた顔を見て、口を開く。
「ねえ、お母さん。お願いがあるんだけど……」
「何? 何でも言って!」
フラグだと思って避けていたけど、悔いが残らないようにしよう。
* * *
三日後の夜、私はちょっと値の張るイタリアンレストランに入っていた。
家族が一緒だった頃にお母さんがお食事券をもらってきては、みんなでディナーを楽しんだところ。
二年ぶりのディナーで、胸が弾んでいる。
私とお母さんは借りたドレスを着て、お父さんとお兄ちゃんを待っていた。
お母さんは仕事の時とは違った華やかなメイクをバッチリと決めていた。手鏡を覗き込んでは、
「あたる、おかしくない?」
「ううん、キレイだよ」
何度目かな?
苦笑しながら応えるけど、悪い気はしなかった。
入口の扉が開いた。
背の高いウェイターが、二人の来店客を案内しながら近づいてくる。
着慣れていない、というかタキシードに着られているような二人の男性を、私達は立ち上がって出迎えた。
「あ、あなた……。仙一も」
「お父さん、お兄ちゃん……」
お父さんは退院したときに来てくれたから、一ヶ月も経っていない。
お兄ちゃんに会ったのは離婚して以来だから、二年ぶりかな。
大学生になったせいか、記憶より随分と大人びて見えた。
お母さんを見て、お父さんは目を細めた。
「まさか、お前から食事に誘われるとはな……」
「あたるが会いたがっていたのよ」
「あたるが? いろいろ大変だったとは聞いたが……」
二人は探り探りと言った様子で会話をしている。
元夫婦の邪魔をしないよう、私はお兄ちゃんに声をかけた。
「ひ、久しぶり」
「あ、ああ……」
お兄ちゃんはそっぽを向いてきて、むしろ安心した。
昔と全然変わらない。
私達が席に着くと、ウェイターが水を持ってきた。なんか歩き方がぎこちないというか、左足を引きずっているような……って、
「抹吏くん!?」
「え……あ、あたるのお友達の?」
私達の反応にお父さんとお兄ちゃんは口を半開きにしていた。
よく見たら龍青と果乃子ちゃんも店の制服を着て働いていた。私の視線に気付いて、果乃子ちゃんが小さく手を振ってくる。
「ど、どうして……っていうか入院は?」
「三日も経てば退院できますよ」
そんなわけないでしょ。また脱走?
軽く睨んじゃったけど、抹吏くんはどこ吹く風で頭を下げた。
「それでは、ごゆっくり」
そして店の奥へと消えてゆく。お母さんが私の肩を叩いた。
「ねえ、あたる。あの子って……」
「うん。どうして……あ」
メニューに描かれたレストランのシンボルに目を向ける。
烏丸グループのマーク……あ〜、そういうこと。
女性客に声をかけられている龍青に目をやる。
わざわざみんなで見守りに来るなんて、お節介というか心配性というか……。
入れ違うようにやってきた本物のウェイターが、ワイングラスへ紫色の液体を注いだ。
弾けるような芳醇な香りに誘われ、思わず手が伸びる、
「こらっ!」
ペシッと叩かれた。涙目で見上げる。
「お母さん、酷い……」
「まだ早い! あたるはまだ未成年でしょ」
「少しくらいいいでしょ。しばらく飲んでないんだから……」
「しばらくってどういう意味!?」
お母さんは目をつり上げている。
しまった!?
転生前はワインを飲んで入浴するのが日課だったから……。
「う、ウソウソ! 飲むわけないでしょ!」
慌てて言い訳する私を見て、お父さんが苦笑まじりに言った。
「まったく……あと四年くらい待てないのか?」
「父さん、あたるはもう十七だよ」
「そうだったか?」
お兄ちゃんもワイングラスの足を摘んでいた。もう二十歳だっけ、いいな……。
「モナカちゃんはこっちだよ」
果乃子ちゃんがワイングラスにグレープジュースを注いでくれる。
いいもん。果乃子ちゃんのお酌なんて、いくら金を積んでも受けられないんだから。
メインディッシュも終わって、あとはデザートを待つだけ。その間に私の話を聞いたお父さんとお兄ちゃんは、酔いが醒めたみたいな真顔になっていた。
「そ、それは災難だったな」
「うん」
「本当、せっかく退院したのに。いっそ環境を変えてみる?」
「か、環境って?」
もし引っ越しとかなら断ろう。
お母さんを見上げると、顔を赤くしていた。
「うん。お母さん……再婚しようと思って」
私とお兄ちゃんは揃って吹き出した。
果乃子ちゃんと龍青が慌てた様子でふきんを持って駆けつけてくる。
「も〜、モナカちゃんったら〜」
「ご、ごめんなさい」
再婚なんてお父さん、どう思うか……。
目を向けてみれば、お父さんは不自然に顔を背けていた。お母さんもどこか熱っぽい視線を注いでいる。
まさか……。
お母さんは弾んだ声で続けてくる。
「久しぶりに話をしたら、転勤がもうすぐ終わるっていうのよ。もともと別居が原因で喧嘩したわけだし……。だから、ね」
開いた口が塞がらない。
私は震えながら、両親を交互に指差す。
「じゃ、じゃあ再婚って……」
お母さんはうっとりと微笑んで、お父さんは何も言わない。
お兄ちゃんは頭を抱えて、テーブルに突っ伏した。
「ったく、今さら……」
「いいじゃない! おめでとう、お父さん、お母さん」
私は一人拍手する。すると、お母さんが柔らかく微笑んだ。
「これもあたるのおかげかもね」
「私の?」
「そうよ。この人、戻ってくるなんて言ってなかったんだから。あたるがみんなで食事したいって言うから……」
「そっか。私のおかげ、私の……」
顔がにやける。
私、誰かを傷つけるだけじゃなかった……。
「ところでお兄ちゃんはどうするの? 帰ってくる?」
「俺は大学があるからな。一人暮らしを続けるよ」
「そっか……」
犯人フラグはまだ折れそうにない。
「でも、父さん達が再婚するなら……たまには帰るかな」
「うん。待ってる……」
それでも、進展はしたと思う。
* * *
ようやくデザートがきた。
ホールケーキが載せられたカートを押すのは果乃子ちゃん。抹吏くんと龍青も一緒に歩いてくる。
テーブルの中心にケーキが置かれた。
「あなた、どうせなら……」
そう言ってお母さんは、ナイフの柄を差した。お父さんも困ったような顔をしながら、二人でケーキに切れ目を入れる。
「いい年してケーキ入刀かよ……」
その言葉に抹吏くんと果乃子ちゃん、龍青の肩が揃って跳ねた。
ああ……。
「心配なんてしなくても、死体なんて出るわけないでしょ」
小声で伝えると、三人は変な顔をした。
果乃子ちゃんが、そっと囁いてくる。
「モナカちゃん、見てなかったのになんで知っているの?」
ま、また余計なことを言っちゃった!?
ここまで読んでくださってありがとうございました。
30話で第一部完結になります。
ここから書き溜めに入りますので、いったん完結済とさせていただきます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。




