28話 渋川抹吏は血眼で捜す
排気ガスの臭いに咳き込む。
黄昏の光の中で、一人の少女へ何人もの男達の手が伸びる。
「モナカ先輩!」
駆け出すが、松葉杖のせいでまともに走ることもできなかった。アスファルトの道路へ額が打ち付けられる。
即座に顔を上げる。少女が頬を叩かれる光景が目に焼き付けられた。
モナカ先輩はバッグを落とし、車の中へと引きずり込まれていく。
「モナカちゃん!」
起き上がった果乃子が手を伸ばした。
車のドアが無情にも閉じられる。
俺は這うようにして前に進む。たとえ間に合わなくても、動かずにはいられなかった。
エンジン音が大きくなった。それでも果乃子は、車に近づこうとする。
「果乃子!」
龍青先輩が果乃子を引き離してくれた。
二人が道路に倒れ込んだ瞬間、車が走り出す。
排気ガス特有の甘みのある悪臭だけを残し、ワンボックスカーは赤い光の中へと消えていった。
龍青先輩が俺に手を貸し、立ち上がらせる。
「抹吏、ナンバーは見えたか?」
逆光だった。俺は黙って頭を振る。
龍青先輩は果乃子にも手を差し出しながら、首の角度を下げた。
「そうか……」
「モナカちゃん、あたしを庇って……」
果乃子はその手を取らなかった。
目を潤ませ、モナカ先輩が落としたバッグを拾い上げた。そのままぎゅっと抱き締める。
カチリと小さな音がした。
「今のは?」
「え?」
すぐさましゃがむ。目を細め、舐めるように道路を睨みつける。
果乃子のすぐそばで何かが光った。
ハンカチで包んで拾い上げる。
細いチェーンが付いた金色の装飾品だった。
「ネックレス……モナカ先輩のものじゃない」
果乃子が大きな瞳を向けてきた。
「それ、犯人の?」
道路に落とす。先ほどと全く同じ音がした。
もう一度拾い上げ、間近で注視する。
傷もほとんどない。最初から車道に落ちていたものではないだろう。
「ああ、多分……」
「なら急がないと! あいつら赤いジャケットを着てた! きっと陽葵さんを襲った奴らだよ!」
背筋を冷たいものが這い上がった。
チェーンがミシリと音を立てる。
龍青先輩が割って入った。
「見せてみろ」
ハンカチごと渡す。彼はネックレスを吊り下げ、一通り見回す。最後に装飾品の裏を見た。
「このアクセサリー……ロワゾ宝石店のものだ」
「本当ですか!?」
龍青先輩は力強く頷く。
「間違いない。刻印がある」
「それじゃあ、誰が購入したのかも……」
「ロワゾ宝石店には貸しがある。……僕だ。聞きたいことがある」
龍青先輩は通話を始めた。
果乃子が期待を込めた目で見上げている。
「これで、モナカちゃんの居場所も……」
「犯人の身元は分かるかもしれない。けど、今どこにいるかは……」
「そんな……なんとかならないの?」
赤いジャケットの集団……陽葵さんと無惨な姿となった濡羽高校の制服が思い出される。
このままじゃモナカ先輩も同じ目に……。
同じ……?
「……戻るぞ!」
松葉杖に目を向ける。果乃子がすぐに持ってきて、俺へと手渡す。
「戻るって、どこに?」
「病室だ。手がかりが残っているかもしれない」
* * *
もうすっかり日は落ちていた。薄暗い中、病院は道標のように光を放っている。
既に外来時間は終わっていて。
エントランスに足を踏み入れた俺達へ向かって、受付の女性が怒鳴りつける。
「面会時間は終わっています!」
無視して先へ進む。
警備員が駆けつけ、俺達の進路を塞いだ。
この足じゃなきゃ……。
「先に行け」
龍青先輩が俺の前に出てくれた。警備員が怯んだ隙に、その横をすり抜ける。
「あ、待て!」
「すみません、緊急事態なんです!」
追いすがろうとする警備員の前に、龍青先輩が立ちはだかる。
閉じかけたエレベーターの扉越しに、揉める龍青先輩と警備員の姿が見えた。そっと俺は頭を下げる。
箱の中にいた僅かな時間、俺は落ち着きなく階層表示を睨みつけていた。
『3』になる。通れる隙間ができた瞬間、箱を飛び出す。
「うわっ!?」
松葉杖がエレベーターと床の隙間に挟まった。バランスを崩し、倒れかける。
果乃子が滑り込むようにして、俺の身体を支えてくれた。
「焦っちゃダメ。絶対にモナカちゃんを助けるんでしょ?」
「ああ、悪い」
気丈に言う果乃子だが、彼女の肩も震えている。
静かに深呼吸。
差し出してくれた松葉杖を受け取り、落ち着いて床へと踏み出す。
千樹陽葵という札の付いた扉を開け、すぐさま松葉杖を病室に突き立てた。
「すみません!」
「え、何?」
美紅さんが振り向く。ベッドの上では陽葵さんが安らかな寝息を立てていた。
ズカズカと踏み込み、クローゼットを開ける。
制服だったものの無惨な姿を目の当たりにして、伸ばした手が一瞬止まる。
俺は首を振った。ハンガーを持ち上げ、手に取る。
「ちょ、ちょっと勝手に……」
「ごめんなさい! モナカちゃんが大変なの!」
「え、モナカって?」
さっき、スカートの辺りで何かが光った。その辺りを触って……指に引っかかった。
裏地から押し上げると、小さなささくれが見えた。ハンカチでつまみ取る。
一面が赤く染められた金属片だ。
「抹ちゃん、どう?」
力強く頷く。
美紅さんは呆気に取られたように口を開けていた。二人で頭を下げる。
「失礼します!」
病室を出る。そのまま病院の外へ。受付の女性に睨みつけられたが無視する。
病院の外では龍青先輩が待っていた。
「何か見つかったか?」
「はい。これです」
ハンカチに包まれた金属片を見せる。眼鏡の奥で彼は目を細めた。
「何かの金属か?」
「陽葵さんの服に付いていました。手がかりになるはずです」
「これが?」
「ああ。この金属片は切断面がキレイで、油も付いている」
切断面を撫でると、指がテカテカと光った。さらに金属片の角度を変えてみせた。
「それに塗装もされている。おそらく、それなりの規模の自動車整備か金属加工の工場」
「なるほどな。だが、趣味でそれだけのガレージを持っていることもあり得るんじゃないか?」
「いえ、この塗装は工場レベルの設備で高度な下地処理までされています。そして、稼働している工場であれば警備もしている。部外者は出入りできない」
「ってことは?」
果乃子が目をしばたたかせた。
「最近まで稼働していて、四日前までに閉鎖された工場。そこが奴らの居場所です」
「今回も奴らがそこを使っているとは限らないぞ?」
一拍置く。
「犯人は陽葵さんを路地裏に捨てました。アジトを使い捨てにするのであれば、わざわざそんな面倒なことはしません。なら、今回だって……」
龍青先輩は唇を歪めた。ハンカチで包んだ金のネックレスを掲げる。
「なるほどな。こいつと合わせると大分絞れそうだ」
「何か分かりましたか?」
「ああ。こいつのデザインは持ち込まれた特注品だ。持ち込んだ奴の名は、緋翼龍翔」
「ひよくりゅうと?」
「どうやら烏丸グループの重鎮である緋翼家の人間らしい。もっとも、僕より一歳上にもかかわらず親の金で遊び歩いているだけのドラ息子なようだが。領収書も緋翼家所有のグループ会社宛で切られていた」
最後に龍青先輩は一つため息を吐いた。
「自分だったらこんなダサいデザインにはしないと嘆いていたよ」
「身元が分かったのなら、そいつの行動範囲で廃工場を探せば……」
「少し待て。こんな事態だ。烏丸グループの法務部に調べさせる。奴の家から十キロ圏内、半年から四日前までに閉鎖された工場だな」
スマホからメールが送信される。
待っているうちに駐車場へとトラックが入ってきた。烏丸グループのマークが大きく描かれている。
俺達のいる病院の入口に横付けされ、助手席からスーツの男が降りてきた。彼はトラックの荷台を開く。
「お坊ちゃん、お持ちしましたよ!」
荷台の中にあったのは、この間も使ったばかりのバイクだった。荒っぽい使い方をしたばかりなのに、丁寧にワックスまでかけられている。
「またバイクを頼んだの?」
「ああ、宝石店の後に連絡しておいた。ここでは邪魔になる。移動してくれ」
後半の言葉は運転席の男に向けられたものだった。後部座席のドアが自動で開く。
トラックの後部座席は意外なほど広い。小さなテーブルまで付いている。
先ほどのスーツの男も助手席に乗り込むと、トラックが動き出した。邪魔にならないような場所に止まったところで、龍青先輩のスマホから通知音が鳴った。
「早いな。グループの名に傷が付くとなれば法務部も必死だ……。三箇所だと?」
「三箇所!?」
龍青先輩の見せてくれたスマホに表示された地図には三つの赤い丸が表示されていた。
「ど、どこにモナカちゃんがいるの?」
それぞれの丸は随分と離れている。しらみ潰しに捜していたら間に合わない。
「どこにいるんだ……」
何か、もっと絞り込むには……。
近くを救急車が通過した。サイレンの赤い光が、テーブルに置かれたネックレスに反射する。
このネックレスは緋翼家のグループ会社が購入した……。なら、
「その三箇所の中に、緋翼家の息がかかったところはありますか!?」
「緋翼家の?」
「はい。主犯が緋翼家の御曹司なら、アジトも家の息がかかった場所を選ぶんじゃないですか?」
「なるほどな……。見つけた、ここだ!」
一つの丸が青く変色していた。この病院からは三キロ程度だ。
「赤羽自動車整備工場。緋翼家が出資していたが、社長が引退して一ヶ月前に閉鎖されたそうだ」
「先に行きます!」
腰を上げようとしたところで龍青先輩に止められた。
「待て、お前は怪我をしている。体力を温存するためにも、このトラックで向かった方がいい」
「そうだよ。ギプスだって付いたままだし、このままじゃ戦えないでしょ?」
奥歯を噛みしめ、シートに腰を下ろす。
運転席の方から声をかけられた。
「すぐ着きますよ。待っていてください」
トラックが動き出す。走っているとは思えないほどに静かで、振動も少ない。
「今のうちにギプスを外してください」
助手席の男からハサミを渡された。果乃子が受け取り、
「さ、足出して!」
自分の太ももをばんと叩いた。
「お前が切るのか?」
「当たり前でしょ! 時間が無いんだから早くして!」
僅かな不安こそあるが、仕方ない。
果乃子の細い太ももの上に、ギプスが巻かれた左足を載せた。
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