27話 私が余計なことをしたせいで? 佐藤果乃子誘拐事件
すっかり歩き慣れた廊下を進むと、運動部のかけ声が聞こえてきた。建付けの悪い戸も、今ではスムーズに開けられる。
甘みと渋みが同居したような香りが、ふわりと鼻腔を通り抜けた。
「あ、モナカちゃん」
くぐもった声の果乃子ちゃんが手を振ってきた。もう片方の手で食べかけのクッキーを確保している。
龍青は自分の机でゆったりと寛いでいる。
「少し遅かったな」
私の机にもティーカップとクッキーが置かれている。
迷いなく席に着いてティーカップを持ち上げた。両肩が落ちて、椅子に全体重を預ける。
鼻と口で紅茶を一通り楽しんでから、ティーカップを離す。
「ありがとう。ちょっと心配されちゃって……」
首に巻かれた白い包帯を指差す。腕からも巻かれた包帯が覗いていた。
「怪我、大丈夫?」
おずおずと果乃子ちゃんが訊いてくる。私はおどけるように腕を上げた。
「うん。抹吏くんよりはマシだし」
「抹吏は今日まで入院だったな」
龍青が生徒会長の三角名札が立てられた机に目をやった。
「抹ちゃんがいないと大変だけど、今日はあたし達だけで頑張ろ!」
紅茶とクッキーの無くなった果乃子ちゃんが声を弾ませた。頷いたけど、私のティーカップからはまだ湯気が立っている。
もう少しゆっくりしてから……。
窓の外、運動部の声に紛れて車のブレーキ音が微かに聞こえた。
その時、戸がガタガタと音を立てる。
ノックも無いなんて……。
果乃子ちゃんがパタパタと駆け寄り、戸を開ける。
「え……なんでいるの?」
入口に立っていたのは我らが生徒会長だった。左足にはギプスが巻かれ、松葉杖で身体を支えている。
「なんでって……。生徒会長が休むわけにはいかないでしょう」
「いや、休みなよ」
果乃子ちゃんは即座に睨みつける。龍青も同じ表情で言った。
「他人に任せるのも、上に立つ者として大事なことだ」
「ずっと寝たままっていうのも気持ちが悪いんですよ」
社畜の発想よ、それ……。
カツカツという杖の音を立て、抹吏くんは自分の机に向かう。よろめいたところを龍青が支えた。
私が椅子を引くと抹吏くんは席に着いた。大きく息を吐く。
「まったく、病院はどうしたんだ?」
「自主的に退院しました」
こともなげにいうけど、それって脱走じゃ……。
果乃子ちゃんは笑顔で背中から抹吏くんの肩を叩いた。
「抹ちゃんらしいけどね」
「ここにいる以上、仕事はしてもらうぞ」
龍青が新しく紅茶を淹れたティーカップを生徒会長の机に置く。
「分かっていますよ」
紅茶を一口飲んで、抹吏くんは笑みをこぼした。
ティーカップをどかして書類を広げる。一番上には美術部から提出された合宿の報告書が置かれていた。
「散々な合宿になっちゃったわね……」
ポツリと呟く。
「だが、悪いことばかりではなかった」
「どういうことなの、龍くん?」
「瀬名さんの会社だが、株価が上がってきた。圧力が無くなって業績が上向いているようだ」
「良かった……」
「葵さんも楽しそうですよ」
抹吏くんはスマホの画面を開いた。
派手な金髪の女性と葵さんが一緒の自撮り。写真だというのに、ホテルで会ったときよりよほど生き生きとした笑顔だ。
「エミリさんから送られて来たの?」
果乃子ちゃんの言葉に、彼は苦笑いを浮かべた。
エミリさん?
「そういえば、彼女とチャットを交換していたな」
「あれから何度も誘いがあって……。今度、濡羽に遊びに来るって言っているんですよ」
仕事の前なのに、疲れ切った表情でうなだれている。
「遊びに来るのなら、案内してあげればいいじゃない」
抹吏くんは目を丸くした。そして、苦渋を滲ませたような渋い顔で口を開く。
「モ、モナカ先輩が言うのなら……」
「抹ちゃん、無理しなくていいって!」
慌てて席を立った果乃子ちゃんが抹吏くんの背中を支える。
私が首を傾げていると、トントントンとノックの音が聞こえてきた。
「は〜い、ちょっと待ってください」とまた果乃子ちゃんが戸を開ける。
今度はピンク色に髪を染めた派手な女子生徒だ。けど、見覚えがない。
「ええと、ご用件は?」
果乃子ちゃんが聞いても応えない。彼女は室内を見渡し、私と目が合った。
小柄な身体を押しのけて、生徒会室に足を踏み入れてくる。
「ちょ、ちょっと待って……!」
彼女は止まらず、私の机にバンと手を着いた。
「あなた、最上さん?」
「は、はい」
「顔を貸してくれない?」
有無を言わせないような強い口調と、鋭い目つきに縮み上がる。
私は震える唇を無理やり動かした。
「あ……あなたは?」
「ああ、顔を合わせるのは初めてね。アタシは千樹美紅」
「美紅さん!?」
口が半開きになった。言われてみれば、電話で聞いた声と同じかも。
「千樹さんって合宿に来なかった人?」
「それは妹の陽葵さんで彼女はお姉さん。イタリアから帰ってきたんですか?」
私が聞くと、美紅さんは奥歯を噛み締めた。
「その陽葵が、大変なことになったのよ……」
* * *
消毒液の臭いが鼻をつく。またこの臭いを嗅ぐことになるなんて。
壁も扉も、看護師の服装も全てが白い。濃い色のブレザーを着ていると、空間に拒絶されたようにも感じられた。
白い扉に付けられた名札は『千樹陽葵』。美紅さんは扉をノックする。
「陽葵、入るわよ」
白い部屋に西陽が差し込み、オレンジ色に染まっていた。ベッドの上で上半身を起こした少女は、顔に陽光が当たっても微動だにしない。
陽葵さんは美紅さんとよく似た顔立ちをしていた。けど、黒髪のショートカットの彼女はお姉さんに比べて地味な印象だ。
美紅さんに続いて私達四人も病室に入る。陽葵さんは瞳すらも動かさなかった。
「ええと、陽葵さん?」
果乃子ちゃんが声をかけても彼女は石像のように動かなかった。
だけど抹吏くんが言葉をかけた途端、
「千樹さん、このたびは……」
こちらを向いて、大きく目を見開いた。揺らいだ瞳孔に映っているのは抹吏くんと龍青。両腕で自らを抱きしめ、唇をわなわなと震わせる。
「ひ……いやあぁっ!?」
そして絶叫。
即座に女性の看護師が病室へと駆け込んできた。
「何があったんですか!? 落ち着いて!」
三人の看護師に陽葵さんは手早く抑えられた。さらに女医も来て、何やら調べた後に注射をする。
しばらくして、ようやく彼女は安らかな顔で眠りにつく。
「患者を刺激しないでください!」
美紅さんは看護師に怒られていた。頭を下げる彼女を見ながら、私達は病室の隅で息を潜める。
看護師が出て行った後、抹吏くんが深々と頭を下げた。
「すみません。俺が何かをしてしまったみたいで……」
「会長のせいじゃないわ。今の陽葵、男の人をいるとああなって……」
「何があったの?」
果乃子ちゃんの言葉に美紅さんは目を逸らした。
重い足取りでクローゼットに近づき、戸を開く。その中にかけられていたのは濡羽高校の女子制服に似た、引き裂かれた残骸だった。
スカートに西陽が当たってチカっと光る。
「分かるでしょ……」
言葉を紡げずにいるうちに、美紅さんはクローゼットを閉じた。制服の無惨な姿が目に焼き付いて離れない。
「それは……いつのこと?」
「四日前の夜よ。学校から帰る途中で行方不明になって、翌日の朝に路地裏で発見されて……。私もすぐに帰国したわ」
美術部合宿の初日。本当なら、陽葵さんが殺人を犯してしまった日だ。
まさか……。
スカートの裾を握りしめる。
「犯人は捕まったんですか?」
抹吏くんの問いかけに、美紅さんは首を振る。
「まだよ。赤いジャケットを着た集団らしいけど」
目を伏せた果乃子ちゃんの横顔に思わず目を向けた。
「モナカちゃん、どうしたの?」
「な、なんでもないわ」
慌てて顔を背けた。
赤いジャケット……。果乃子ちゃんが涙を流す一コマが脳裏をよぎった。
* * *
「せっかく来てもらって、悪かったわね」
美紅さんは病院の外まで見送りに来てくれた。
「いえ、俺たちこそ迷惑をかけてしまって申し訳ありません」
「元の陽葵に戻ってくれればいいんだけど……」
目の下には、メイクでも隠しきれないクマが出ていた。
病院からの帰り道、カラスの声がやけにうるさく聞こえた。
隣を歩く果乃子ちゃんも、地面を見つめながら歩いている。橙色の光に照らされた私達の長い影が、後ろを歩く抹吏くんと龍青にかかる。
二人の影が、さらに大きな影に呑み込まれた。
静かなエンジン音とともに、ワンボックスの大きな車がゆっくりと近づいてきた。
小枝が折れる音に振り向く。
運転席の男と目が合った。下卑た笑みを浮かべている。
氷を押し付けられたように、背筋が凍りついた。
車は私達のすぐ隣に停車。ドアが開き、
「きゃっ!」
咄嗟に私は果乃子ちゃんを突き飛ばす。
次の瞬間、私の身体にいくつもの男の手が絡みついた。
「モナカ先輩!」
抹吏くんが走り出す。けど松葉杖じゃ間に合わない。
「いや、やめて!」
手を、バッグをめちゃくちゃに振り回す。バッグが一人の男の顔面を強打した。
「ち、てめえ!」
バシィッ!
頬に鋭い痛みが走った。
力が抜ける。硬直した手から、バッグが滑り落ちた。
身体が車の中へと引きずり込まれる。
「はなし……」
口も男の手で塞がれた。息苦しさを感じる間もなく、車のドアが閉じられた。
窓越しに果乃子ちゃんが手を伸ばすのが見えた。抹吏くんは倒れながらも車を睨みつけている。龍青は車から果乃子ちゃんを引き離してくれた。
エンジン音が唸りを上げ、車体が振動。柔らかいシートへと身体が押し付けられる。
男達はみんな、揃いの赤いジャケットを着ていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
面白いと思っていただけたなら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。
続きも毎日更新予定です。




