26話 やっと終わった……の? 血染めの花嫁
目を覚ましたのは、巨大なベッドの上だった。
柔らかく包み込んでくれる羽毛布団が二度寝に誘ってくる。
瞼が落ちそうになって……勢いよく起き上がる。
急に動いたせいで頭がくらっとした。
深呼吸。
落ち着いたところで首を巡らす。
エグゼクティブ・スイートの広い部屋には私一人しかいなかった。
なんで一人で寝ていたんだろう……。
途端に頭から血を流して倒れた男の姿が脳裏をよぎった。
鳥肌が立つ。
呼吸が浅く、激しくなる。
身体の自由が利かなくなる。
目の前が歪んできて……、
「私は生きている、まだ生きている……」
自分に言い聞かせる。
息を止めてから、大きく息を吐いた。
「ぷはっ、はあ……はあ……」
激しく呼吸を繰り返す。
全身に酸素が行き渡るのを感じる。額を押さえると、視界がはっきりしてきた。
どれくらい気を失っていたのかな?
スマホを見る。血の気が引いた。
結婚式、もう始まってる!?
急がないと!
でも、さすがにヨレヨレの浴衣のままで行くわけにはいかない。
クローゼットを開くと、制服の他にミントグリーンのドレスがかけられていた。
これ、結婚式のレンタル衣装……。
動きやすさを考えると制服の方がまだいい。けどまだ余裕はある……はず。
何より、こんな素敵なドレスを着る機会なんて二度とないかも。
ゴクリと生唾を飲み込む。
顔を洗って寝癖だけでも直す。
バッグに貴重品だけ入れる。部屋を出ようとすると、入口前にはスニーカーの他に白いエナメルのパンプスが並んでいた。
ドレスに似合いそうだし可愛いけど……スニーカーにしておこう。
部屋を出ると、螺旋階段を必死の形相で駆け下りる人達の姿が目に入った。
ついに始まった……。
ドクンと心臓が大きく跳ねた。
でも、まだ爆発は起きていない。
私は螺旋階段とは反対、非常灯へ向けて走り出した。
冷たい金属製の簡素な階段を、頼りない手すりにしがみつきながら、一歩一歩確かめるように上っていく。
本当なら駆け上がりたいくらいだけど、風も強くて無理。
上を見る。
まだ時間がある今のうちに、爆弾を捨てなきゃ!
「や、やっと着いた……」
両膝に手を着いて、肩で呼吸を繰り返す。
広くなった踊り場を見渡す。階段は無く、非常扉の隣に大きな箱が置かれていた。
あれね。
「よいしょ……」
箱をそっと持ち上げる。弾みで箱が僅かに開いて、赤い光が漏れた。
キュッと心臓が締めつけられる。
まだ……まだ大丈夫……。
ずっしりと重い箱を抱えながら、非常階段の下に目を向ける。
「池に投げれば……鯉さんには悪いけど……」
階段の下を覗き込んだ時、池があった。
よろよろしながら、手すりに向かって歩いていく。
あと、一歩……。
ガチャッと音がした。
ビクッと肩が跳ね上がる。
振り向いたところで、新條眞人と目が合ってしまった。
「お前、なんで……」
額に脂汗が浮かぶ。
醜く顔を歪めた彼は、私と箱に目をやった。開け放たれたままの扉も横目に見て、
「ちっ!」
飛びかかってくる。
重い箱を抱えた私は何もできずに捕まった。
そのまま新條眞人は後ろに回り込み、私の首に腕を廻して拘束してきた。
締め付けられて、息が苦しい。
「な、どうして……」
続いて現れた抹吏くんは目を大きく見開く。
「まさか、こんなところで人質が手に入るとはな……」
余裕を取り戻した新條眞人の声が、鼓膜を不気味に揺らした。
* * *
新條――青井眞人に拘束された私は、ただ震えることしかできなかった。
せめてパンプスにしとけば良かった。鋭いヒールで踏みつければ隙ができたかも。
まさか、私が古怒田支配人の代わりに狙われるなんて……。
「さ、逆らわないで……」
しかも抹吏くんは左足を庇っていた。
なんでこんな時に……って考えるのはよそう。
少なくとも、彼の目はまだ諦めていない。
「信じているから……」
ホント頼むわよ。劇場版のお約束……。
* * *
抹吏くん達は排除され、展望レストランで私は青井眞人と二人きりになってしまった。
彼は拘束する腕に力を込めたまま、エレベーターの回数表示を見守っている。
6、5、4……。
数字が小さくなっていくたびに心臓が締め付けられる。
ついにエレベーターの階数表示が“1“を示した。
「さて、君の番だ」
恐怖の宣告。
青井眞人がサーベルを拾い上げようと屈む。
遠くで地鳴りのような音が響き、床が微かに揺れる。
「なんだ?」
動きが止まり、腕の力が僅かに緩む。
ここしかない!
手首に思い切り噛みつく。
「っ!?」
筋肉が痙攣して、腕が跳ねる。
首がようやく解放された。
大きく息を吸って、拘束を潜り抜ける。
脇目もふらずに全力で床を蹴る。目標は螺旋階段!
あの音はきっとバイクだ。劇場版の勝ちフラグ!
少しでも近くに……!
螺旋階段が近づいてくる。あと三歩、二歩……。
でも、まともな息継ぎも無しに走れるはずもなかった。
すぐに息が苦しくなる。
息を吸ったところで、バランスが崩れた。
背中に衝撃。
「グエッ!?」
無理やり息を吐き出させられた。
耐えることもできず、ゴロゴロと地面を転がる。
身体中が痛くて、目が潤む。
そんな私を、青井眞人が悪鬼のような表情で見下ろした。
彼の手にはサーベルが握られている。
「手こずらせやがって……」
サーベルを大きく掲げ、私めがけて振り下ろした。
咄嗟にバッグを前に出す。
ガキィン!
金属がぶつかる鈍い音。
さすがは防弾・防刃バッグ。サーベルを包むように受け止めてくれた。
両手に衝撃。すごく痛いけど……口元が緩んだ
「見苦しい!」
青井眞人が片手でバッグを掴んだ。男の力に敵う訳もなく奪い取られ、遠くへと投げ捨てられた。
しかもお腹を踏みつけられた。虫みたいに、床へピン留めされる。
「か、は……」
体重をかけられて、内臓ごと圧し潰される。
息ができない。
泣き叫びたいのに、声も出ない。
涙だけがポロポロ流れてくる。
「今度こそ……」
青井眞人は女の子の涙を見ても躊躇一つしなかった。
サーベルを逆手に持ち替え、冷淡に告げる。
「ママのために死ね!」
視界が歪み、歯がガチガチと鳴る。
ガオンッ!
まさに刃が私の喉を貫く直前のこと。
咆哮がパノラマのガラスを揺るがした。
螺旋階段から黒い影が飛び出す。
抹吏くん!
けたたましい爆音に、オイルやゴムが焼ける臭い。騒音と悪臭に対して胸が高鳴る。
「バイクだと!?」
絨毯の破片を撒き散らしながら、バイクがターン。
前輪を跳ね上げ、ウィリー走行で青井眞人へ襲いかかる。
彼はサーベルを構え直した。無謀にも、バイクへ向けて刃を振るう。
甲高い金属音。
前輪で殴られた刃がへし折られた。
続けて着地した前輪を支点に後輪を跳ね上げる。その勢いにタイミングを合わせて、抹吏くんもシートから跳躍。
「おりゃあっ!」
バイクの勢いを載せた会長キックが青井眞人の胸に突き刺さった。
青井眞人の長身は背中で床を三メートルほど滑り、円卓の脚にぶつかる。
「ママ……必ず幸せに……」
うわ言のように呟いた彼は、ガクッと首を垂れた。
ピクピクと痙攣しているから、生きてはいるみたい。
抹吏くんは横倒しになったバイクにもたれかかっている。
明らかに尋常じゃない、激しい呼吸。
それでも彼は、鋭い眼光で青井眞人を睨みつけた。
「こんなことをされて幸せだと思うのが……お前のママか?」
途端に抹吏くんの身体から力が抜けた。ふっと目を閉じ、バイクに完全に身体を預ける。
ここで抹吏くんに駆け寄りたかった。なのに、身体がいうことを利かない。
踏みつけられたお腹がズキズキ痛む。身体中が悲鳴を上げている。
「うぅ……」
涙と嗚咽が止まらない。
静寂が訪れたレストランに、すすり泣く声だけが染み渡る。
そんな中、エレベーターの扉が開いた。
「モナカちゃん!」
「モナカ!」
二人の声が懐かしくすら思える。
足音が近づくたびに、死神が遠ざかっていく。
天窓の向こうは快晴。ようやく、笑みがこぼれた。
* * *
「ありがとうございました」
お医者さんと看護師さんに向かって頭を下げる。
身体中に湿布も貼ってもらった。おかげで痛みも引いてきた。
真っ白な扉を開けて、廊下に出る。
「モナカ先輩、大丈夫でしたか!?」
抹吏くんが大きな声で呼びかけてきた。彼は左足をギプスで固め、車椅子に乗せられていた。
「病院で大声を出すな。他の患者もいるんだぞ」
龍青が苦笑しながらたしなめると、抹吏くんはバツが悪そうに頭を掻いた。
「あ、すみません」
「でも、モナカちゃんホント大丈夫なの?」
果乃子ちゃんが心配そうに聞いてくる。私は何でもないと示すために、軽くガッツポーズをしてみせた。
「うん。明日もう一度検査をするけど、打ち身とかだけだし。大丈夫よ」
「よかった……」
「それより抹吏くんの方こそ大丈夫なの?」
車椅子にギプス。どう見ても私より重傷だ。
「三日間の検査入院だそうだ。まったく、捻挫した足で人を蹴るからこうなるんだ」
龍青がギプスを蹴る。コンと乾いた音がした。
「ああでもしないと、轢き殺すかもしれなかったので……」
やれやれとばかりに肩をすくめる。
私はあらためて抹吏くんの目を見た。
「さっきは言えなかったけど、ありがとう。また助けてもらったわね」
彼はそっぽを向いた。
目も合わせてくれないとか、愛想つかされちゃった!?
肩を跳ね上げた私に向かって、抹吏くんがボソッと呟く。
「……俺こそ、いつも助けられてます」
その言葉に険は感じない。肩の力が抜けた。
「欲しいものがあれば、なんでも言ってね」
果乃子ちゃんがニヤニヤと目尻を下げた。
抹吏くんは少し考えるように口元に拳を当てる。
「なら、新しい詰将棋の本をお願いします。持ってきたの、解き終わっちゃって」
「分かった。後で買っておくね」
そう応えたら、なぜか果乃子ちゃんがアチャーとばかりに額を押さえた。龍青も両手を開く。
そこへ声をかけられた。
「ああ、ここにいたんですね。探しましたよ」
声の主は泰刑事だった。一人の若い刑事を連れている。
手を上げながら近づいてきた彼は、抹吏くんと私に向かって深々と頭を下げた。
「今回、警察がいなかったばかりにこんな怪我をさせてしまい、申し訳ありません。こんなことになると分かっていれば、上に逆らってでもホテルを警備するべきでした」
「そんな、顔を上げてください」
抹吏くんは慌てて手を振る。一方、龍青は冷徹な視線を投げつけた。
「丁寧にありがとうございます。それで、用件は?」
「事件について気になっているかと思いまして。報告に参りました」
「ありがとうございます。犯人はどうなりました?」
「新條、いえ青井眞人ですね。彼は警察病院に入院中で、事情聴取ができる状態にはありません。ただ、母親のことは調べました。平根、写真を」
泰刑事に指示された若い刑事が、手帳から一枚の写真を取り出した。
少しやつれているけどセミロングの美しい女性が写っていた。小さな子供を抱き抱えて笑顔を見せている。
「青井玉姫の、二五年前の写真です」
それじゃあ、この可愛い子供が青井眞人……。
小さな青井眞人は無邪気な笑顔で母親に抱きついていた。
「この人が、青井眞人の母親……」
抹吏くんが感慨深げに目を細めた。
果乃子ちゃんが口を挟む。
「抹ちゃん、どうしたの?」
「やったことは許せないけど……奴のことを他人とは思えないんだ。俺も、もし母さんが……」
「抹ちゃんは違うよ!」
彼の独白を果乃子ちゃんが遮った。顔を上げた抹吏くんに向かって、果乃子ちゃんは腰に両手を当てて仁王立ちで宣言ふる。
「証拠を見せてあげる! 付いて来て!」
小さな肩をいからせながら、ノシノシと前に進む。一度止まって振り向いた彼女は、「なんで来ないの?」とばかりに睨みつけてきた。
私達はお互いに顔を見合わせ、苦笑しあった。こうなった果乃子ちゃんは止められない。
「すみません、ちょっと外します」
目を丸くしている刑事さん達に頭を下げる。そして私達は果乃子ちゃんの小さな背中を追いかけた。
そろそろ陽が落ちてきた。
外にいた多くの人達が病院内へと戻っていく。だというのに、果乃子ちゃんは人の流れに逆らって中庭まで歩いてきた。
ベンチの前で止まった果乃子ちゃんはスマホをタップ。電話をかけたのか、誰かと話している。
「これが証拠!」
そして、スマホを見せつけた。
「やっほー、抹吏!」
画面に映っているのはかりんさんだった。お〜いとばかりに手を振っている。
「か、母さん!?」
「抹吏も怪我して車椅子なんだって? 私とお揃いね。今度、一緒に車椅子デートしない?」
「車椅子は今だけだ! すぐに歩けるようになるよ」
抹吏くんは顔を真っ赤にしている。
果乃子ちゃんは腕を組んで、誇らしげに口角を上げている。
「あれが証拠?」
私が聞くと、彼女はゆっくりと首を縦に振った。
「抹ちゃんにはかりりんもモナカちゃんもいるもの。あんな奴とは違う、でしょ?」
何で私なの?
そう思ったけど、自慢げな果乃子ちゃんの顔を見ると何も言えなくなった。
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