25話 渋川抹吏と青いもの
展望レストラン、ディープブルーは狂乱の坩堝と化した。
新條豪の死体には誰も近づこうとすらしない。
参列者達は血相を変え、出口へと殺到する。
「皆様、落ち着いてください!」
古怒田支配人をはじめとした何人かのスタッフが声を枯らしている。
しかし、大半のスタッフはあまりの異常事態に動けずにいた。逃げ出している者さえもいた。
葵さんはへたり込み、白いグローブを纏った両手で口を覆っていた。涙を流しながら、わなわなと震えている。
新條眞人はサーベルをケーキに突き刺したまま、止まっている。
「あれ、新條豪だよね……」
「ああ。警察に通報する」
龍青と果乃子は顔を青くしながらも冷静だった。残念ながら俺達はこういった場には慣れている。
俺は新條眞人から目を離さなかった。
人数が捌けてきた頃に、彼の口角が歪に上がった。そしてサーベルを片手にゆっくりと歩き出す。
危険な輝きを帯びた目は古怒田支配人に向いている。
借り物のサーベルは歴史のある逸品だという。
俺は全力で駆け出す。
サーベルが振り上げられる。
「いやあぁっ!?」
絹を裂くような葵さんの絶叫。
古怒田支配人、いや、その場の誰もがサーベルを見上げたまま動けないでいた。
人が邪魔だ、間に合わない!
手前で跳ぶ。直線上にいた体格のいいスタッフの肩に手をかけ、背中を駆け上がる。白い制服に足跡が刻まれる。
「うわっ!?」
スタッフの肩を蹴って跳躍。後方で人が倒れる音がした。
銀の刃が動く。
しかし、振り下ろされるより先に跳び蹴りを見舞うことができた。
新條眞人は背中から壁に叩きつけられた。サーベルが手から離れ、懐からスイッチらしきものが落ちた。
「よくも邪魔を……!」
奴が起き上がるのは早かった。
左足がずきずきと痛む。力が入らず、反応が遅れる。
新條眞人は迷わずスイッチに手を伸ばした。
この状況でサーベルより優先するということは……。
倒れたまま、右足でスイッチを蹴り飛ばす。果乃子が拾いに走った。
「ちっ……!」
確保は無理だと悟ったのか、新條眞人が走り出す。奴の頭上には、緑の非常灯が点灯している。
「逃がすか!」
両手で床を押し、起き上がる。立ち上がりさえすれば、なんとか歩ける。
時折壁や円卓を掴まりながらも追いかける。
「早く逃げてください!」
背後では龍青先輩が人々に呼びかけている。
白いタキシードが非常扉を開け、外に出た。一瞬後に、俺も後を追う。
直射日光が当たり、目を細める。張り手のような強風が叩きつけられ、腕で庇う。
非常階段は金属製の簡素なものだ。パイプを組み合わせただけで、手すりも頼りない。
非常扉を開けてすぐ、広くなった踊り場で新條眞人は待ち構えていた。
「な、どうして……」
奴は一人では無かった。右腕でモナカ先輩の首を拘束している。
「まさか、こんなところにいるとはな……」
ミントグリーンのドレスを着たモナカ先輩は両手で大きな箱を抱えていた。箱の隙間から、赤い光が漏れている。
細い両腕はプルプルと震えていた。
「モナカちゃん!?」
「どうしてこんなところに……」
果乃子と龍青先輩も姿を現した。二人とも驚愕に目を見開いている。
「さっき目が覚めて、様子を見に来たの。そしたらこれを……」
途切れ途切れのうえ、語尾が上ずっている。震える目には涙さえ浮かんでいた。
「まさか、爆弾まで見つけられるとはな」
「ば、爆弾!?」
モナカ先輩の顔が引きつる。手にした箱がガクッと下がった。
「おっと、落とすなよ。爆発するかもしれないぞ」
「ひっ」
短い悲鳴とともに、抱えるように持ち直した。歯がガチガチと鳴っている。
「こんなところで話をしていたら、突き落としてしまいそうだ。中に戻ろうじゃないか」
新條眞人は余裕も露わに薄ら笑いを浮かべている。
俺達は新條眞人から目を離さないまま、後ずさりでホテルの中へ戻った。
* * *
展望レストランの店内は既に無人となっていた。
「ちっ、逃げたか……」
新條眞人は店内を見回した。サーベルは床に放置されている。
奴は脚でサーベルを引き寄せ、円卓の前に立った。
「そいつはテーブルにでも置け。妙な真似はするなよ。こんな細首、簡単にへし折れるんだからな」
小刻みに揺れるモナカ先輩が爆弾の箱を置いた。わずかばかり息を吐く。
続いて新條眞人は果乃子、正確には果乃子が握りしめたものを指す。
「スイッチも返してもらおうか」
「抹ちゃん……」
様子を伺うように、果乃子がこちらを向いた。微かに首を動かすと、両手でスイッチを差し出す。
「そこに置け」
指定されたのは爆弾の前。ゆっくりとスイッチを置いた果乃子は、跳びはねるように離れた。
新條眞人はスイッチを見下ろしただけで、手に取ろうとはしなかった。
「こんなことをしても無駄だ、新條眞人。警察もすぐに来る。逃げられるわけがない」
龍青先輩の言葉に、新條眞人は眼光を鋭くした。激昂するように声を荒げる。
「俺をその名で呼ぶな! 俺は……青井眞人だ!」
「青井……眞人? まさか、青井玉姫さんの?」
果乃子の瞳孔が大きく開いた。新條――青井眞人は口元を歪める。
「古怒田から聞いたのか。そうだ、俺は新條に殺された青井玉姫の息子だ!」
それで一つ合点がいった。
「だから新條豪が養子に取ったのか」
「ああ。血のつながった息子なら操りやすいとでも思ったんだろうよ。あの男らしい、浅はかな考えだ」
吐き捨てるような言葉からは、いまだ消えない憎しみが感じられた。
「それであんな殺し方をしたのか?」
巨大なケーキは放置されていた。新條豪の死体も残されている。
「あんたがケーキから出る演出を提案したんだな。主役としておだてられれば、あの男が断るはずがない。それで、奴がケーキに入ったところで毒を飲ませた」
「あの男にはもったいない死に方だろう」
「古怒田支配人も、秘書の苅田さんも復讐のためか?」
奴はゆっくりと首肯した。そして、口を開く。
「ママはこのホテルで古怒田の下で働いていた。ホテルの仕事が好きだった。だが、若く美しいママを新條は狙った。古怒田の奴が差し出したんだ!」
腕に力が入ったんだろう。モナカ先輩の顔が強張る。飛び出しそうになった俺の肩を、龍青先輩が掴んで止めた。
彼の手からも、震えが伝わってくる。
新條眞人の独白は続く。
俺はギリギリと鳴りそうな程に拳を握りしめ、堪える。
「新條に無理やり愛人にさせられ、周りの誰も守ってくれない。それどころか蔑まれる有様だ。そして、妊娠が発覚した途端に捨てられた」
果乃子の大きな目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「ホテルの仕事も辞めさせられた。養育費すらもなく、まともな仕事にも就けず、ママは苦労しながら俺を育ててくれた。けど、無理がたたって……」
そこで言葉を切った。
奥歯をギリギリと噛み締め、再び口を開く。
「高校生のとき、奴は俺におぞましい映像を見せつけてきた。酒を飲みながらな。呆然としていた俺に、奴がなんて言ったと思う? こいつ、死んだんだろ。ババアの顔がチラつかなくてよかったな、と言って嗤ったんだよ!」
仮にも息子にそこまで醜悪なことができるのか……。
血の気が引く。
母さんが同じことをされ、そのような侮辱を受けていたとしたら……。
モナカ先輩の肩も跳ね上がった。首を動かそうとして、
「動くな」
と小さく怒鳴られて硬直した。また力を入れられたのか、彼女は苦痛に顔をしかめた。
やっぱり同情するのは後回しだ。
「なら、なんで十年以上も待った? 復讐するだけなら、いくらでもやり様はあったはずだ」
新條眞人は呆れたように息を吐く。
「ただの復讐で終わらせてたまるか。俺の結婚が決まったとき、遂に機会が来たと悟ったよ。ようやく、ママを幸せな花嫁にできるってな」
「幸せな花嫁……だって?」
「ああ。ママはよく言っていたんだ。結婚式をして、幸せな花嫁になるのが夢だったってな。そのためのサムシングフォー。だというのに……お前のせいで古怒田を殺し損ねた」
「あんたのことはずっと見ていたからな。シャンデリアを落としたとき、管理室のマスターキーを使えたのは新條豪だけ。だが、あんたなら苅田を通して暗証番号を知ることができるだろう」
「おかげで古いものが用意できなかった」
新條眞人の視線が俺、そしてモナカ先輩へと向いた。あり余る憎悪が、行き先を求めている。
「うっ……」
また腕に力を入れたらしい。モナカ先輩が苦しそうに顔をしかめる。
「モナカちゃん!」
「おっと、こいつは古怒田の代わりに捧げてやる。その後、ホテルと共に俺を捧げればサムシングフォーの完成だ」
「ホテル……そうか、青いものはこのホテルブルーパレスのことか」
新條眞人は鼻を鳴らした。そして、冷酷に告げる。
「さて、命が惜しければお前達にはホテルから出てもらおうか」
「逃げるわけないでしょ!」
果乃子が啖呵を切る。が、奴は嘲笑で返した。
「命っていうのはこいつのだ。お前達が逃げなければ、さらに早く死ぬだけだぞ」
息を呑む。
左足に力が入らない。飛び出したところで間に合いはしない。
どうすれば……。
黒い瞳と視線が重なった。
「さ、逆らわないで……」
最後の方は聞き取れなかった。だが、何を言いたいのかは伝わった。
少しでも俺達を安心させようとしているのか、不器用な笑顔を見せている。
「モナカ先輩!?」
「でも……!」
「ほら、本人もそう言っているぞ?」
新條眞人は薄ら笑いを浮かべている。
お前は紛れもなく新條豪の血を引いているよ。
しかし、逆らう術はなかった。
モナカ先輩を盾にされ、俺達はエレベーターに押し込められた。
「エレベーターが降りるまでは待っていてやる。途中で降りたら、この娘の寿命がさらに縮まるぞ」
果乃子がエレベーターの操作盤に指を置いた。細い指先が小刻みに震えている。
「モナカちゃん、ごめん……」
パンプスに水滴が落ちる。
下降の表示が点灯、扉が閉まり始めた。
「最期だ。遺言くらいは言わせてやる」
「信じているから……」
繕うような笑顔だけを残して、扉が閉まった。
俺達を乗せた箱が動く。内臓が沈み込む。
「お、降りたらまたすぐに上がれば!」
果乃子の言葉に、俺は力なく首を振った。
「階数表示ですぐに分かる。爆弾もあることを忘れるな」
優位にあるからこそ、サムシングフォーに拘っている。下手に追い詰めれば、なりふり構わず爆弾を使ってくるかもしれない。
「そんな……モナカちゃん……」
果乃子は両手で顔を覆った。指の隙間から水滴が垂れてくる。
龍青先輩は扉に手を着いた。
「いや、まだ手はある……」
言い終わる前に、1階へ着いた。
音もなくエレベーターが止まり、ゆっくりと扉が開く。
雰囲気を優先した暗めの照明が目に入る。
ブルーシートがかけられたシャンデリアの残骸。逃げてきた人達の中に、葵さんや古怒田支配人の姿も見つけた。
そして、目の前には一台のバイクが鎮座していた。
「お坊ちゃん、こいつを持ってきた甲斐があってようですね!」
スーツを着た大柄な男がバイクを親しげに叩いた。
「ああ。事態は最悪だが、まだ手はある」
「これは?」
研ぎ澄まされた刃のような、細身のトライアルバイクだ。
「お前の足だ。念のため、今朝手配しておいた」
迷わずバイクに跨がり、フロントブレーキをかける。
右足に重心を乗せる。すると、サイドスタンドが上がった。俺の代わりに龍青先輩が蹴り上げてくれたのだ。
果乃子は祈るように声を振り絞った。
「モナカちゃんを助けて!」
俺は頷き、託されたキーを差し込む。
クラッチを握り、スターターボタンを押す。
エンジンが静かに脈動を始めた。
龍青先輩と果乃子、スーツの男が離れる。
「俺が出て二十秒後にエレベーターを最上階まで上げてください!」
囮にはなるはずだ。
バイクを発進させる。
クラッチ操作のたびに激痛が走るが構わない。
段差をものともせずに、車輪は絨毯を蹂躙。代わりに車体を上へ、前へと押し上げていく。
俺はただ、上だけを見てバイクを操作する。
モナカ先輩……間に合ってくれ!
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