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23話 渋川抹吏は女心が分からない

 身体を起こした俺は、首筋が酷く凝っていることに気付いた。ソファーで寝たせいだろう。

 寝覚めも悪かった。モナカ先輩のアロマがあれば違っただろうか。

 沈み込みの深い高級なソファー。座る分には快適だが、眠るのにはまるで向いていなかった。


 反対のソファーでは、同じように龍青先輩が腕を組んで寝息を立てていた。

 顔を上げると分厚いカーテンが目に入る。その向こうではモナカ先輩と果乃子が寝ているはずだ。

 果乃子が寝た後に自分達の部屋へ戻るつもりだったが、寝てしまったようだ。

 立ち上がろうとしたところで奥歯に染みた。左足から、熱を伴う痛みが発せられた。

 無視して扉へと歩く。最初だけは痛かったが、歩き始めればそこまで気にはならなかった。

 シャワーだけでも済ませておきたい。


 やっぱりジャージの方が楽だな。

 601号室で着替えてつくづく思う。浴衣も良かったが、学校指定のジャージの方が着慣れている。

 熱いシャワーで目も覚めた。

 左足は腫れこそ小さくなっていたが、痛みが引いたわけではない。

 湿布だけは貼ったものの、シワだらけでうまくいかなかった。


 果乃子、もう起きたか?

 包帯と湿布を持ったところで、インターホンが鳴った。

 備え付けの時計を見るとまだ五時五◯分。

 こんな時間に?

 とは思いつつも応答する。


「はい」


 インターホンに映ったのは、見覚えのある中年の顔だった。


『綿津署のたいという者です。こちらに渋川様はいらっしゃいますでしょうか?』


「刑事さん!? どうして……」


『よかった。昨日、事件の時に眼鏡の彼に頼まれたんですよ』


 龍青先輩か。


「それなら入って……いや、別の部屋にしましょう」


 みんなで話を聞こう。

 たい刑事を促して、602号室へ戻る。

 その決断を、俺は即座に後悔することになった。

 部屋に入ると龍青先輩と目が合った。ソファーの前に立ち、浴衣を整えている。


「随分早いな。ちゃんと寝られたのか?」


「起こしちゃいましたか?」


「いや、果乃子も起きている。……刑事さんも来てくれたんですね」


 たい刑事に気付いた龍青先輩が頭を下げた。彼も会釈で返す。


「色々と情報が集まったのでお知らせに、と」


「ありがとうございます。ところで抹吏(まつり)、足の調子はどうだ?」


「歩く分には……」


「そうか。なら、手を打たないとな」


 龍青先輩は渋い表情でスマホをタップした。


「刑事さんも座ってください」


「それでは遠慮なく……」


 ガタンと音がして、曇りガラスが開いた。


「あ、抹ちゃん。戻って……」


 途中までにこやかだった果乃子の表情がみるみる強張る。その視線は隣にいるたい刑事へと向いていた。


「きゃあっ! その人何!?」


 叫び声とともに、彼女は洗面所へと引っ込んだ。

 果乃子は昨夜と同じ浴衣姿だった。おかしな格好には見えない。


「刑事さんだけど。情報を教えてくれるって」


「そうじゃない! 他に人いるなら先に言ってよ、すっぴん見せちゃったじゃん!」


 ガラス越しでもちゃんと会話ができる。だが、内容は理解できないものだった。


「は? すっぴん?」


「出てけ!」


「は、はい……」


 普段の果乃子からは想像も付かない迫力だ。反射的に返事をしてしまう。

 三人揃ってすごすごと部屋を出ていく。

 俺達が外に出た途端に鍵が閉められ、チェーンまでかける音がした。

 ぽかんと口を開けた俺を見て、龍青先輩は苦笑する。


「デリカシーが無かったな。僕もシャワーを浴びてくる。すみません、しばらく待っていてください」


 龍青先輩も601号室へ入っていった。

 残された俺とたい刑事は顔を見合わせる。


「これ、俺が悪いんでしょうか?」


「あの年頃の女の子は難しいですね。俺も娘に避けられて……」


 親子ほどもトシの離れたたい刑事に、何か通じるものを感じた。


 * * *


「さっきはごめんなさい。取り乱しちゃって……」


 落ち着いた様子で果乃子はたい刑事に頭を下げた。

 メイクはしたのだろう。だが、素顔と何が違うのか分からなかった。

 しかし、そんなことを口にできるはずもない。


「随分待たせてしまいましたね。さっそくお願いします」


 しれっと言う龍青先輩。だけど、彼が来るのは果乃子が部屋を開くより遅かった。

 アメニティのマシンで淹れたコーヒーを、果乃子がたい刑事の前に置いた。深みのある香りが鼻腔を刺激する。


「あ、ありがとう」


 彼の表情は硬い。それがカップに口を付けると、頬を緩ませた。


「いや、美味い。やはり缶コーヒーとは全然違いますね」


 手帳を開いて読み上げた。心なしか声も軽い。


「では、さっそく。まずガイシャは苅田政之、五十五歳。死因は頭を殴られたことによる対側損傷。死亡推定時刻は昨夜十時前後」


「俺達が発見したときか」


 俺の言葉に頷いたたい刑事は、そのまま続ける。


「苅田政之は三十年以上、新條豪の元で秘書を勤めていました」


「恨みを持っている人はいたんですか?」


 ページをめくり、視線を動かしている。


「新條豪は強引なやり方で事業を大きくしてきました。苅田政之はその手足となって、随分と多くの人間を泣かせてきたようです。瀬名葵もその一人ですね」


「彼女も?」


「はい。彼女の父、瀬名明彦が経営する会社の援助が結婚の条件ですが、その会社を危機に陥らせたのも新條豪です。正確には彼の命令を受けた苅田政之の手によるものですが」


「やっぱりな」


「龍くん、知っていたの?」


「そんなことだろうとは思っていた」


「それで十も年上の相手と結婚させられる。動機は充分でしょう。死亡推定時刻、彼女は部屋にいたと言っていましたが……」


「はい。新條眞人(まなと)はそう言っていました」


「彼女の姿は見ていない、と」


 首肯する。

 たい刑事は手帳に書き加えた。ペンの動きが止まったのを見て、俺も質問する。


「新條豪のアリバイは?」


「あの男が連れ込んだ女子大生、桜井エミリが証人ですね。どこまで信用できる証言かは分かりませんが。まったく、いくら実の息子じゃないとはいえ、結婚式前に……」


「実の息子じゃない?」


 俺は眉を上げた。


「ええ。新條眞人(まなと)はもともと母一人子一人の家庭で育ったのですが、かなり苦労していたようです。彼が小学生の時にその母も死んで……新條豪が養子として引き取ったそうです」


 あの男が養子、どういう風の吹き回しだ?

 俺が考え込んでいると、龍青先輩がたい刑事に質問する。


「犯人の姿は映っていなかったのか? 犯行現場とか、エレベーターで逃げたときとか」


 するとたい刑事は頭を振った。


「犯行現場ではガイシャの影で見えませんでした。エレベーターの出口でも姿はほとんど映っていなかったようです」


「カメラの死角を把握しているということですか。内部犯……従業員のアリバイは?」


「犯行時間、ホテルには十二名の従業員がいました。それぞれ散らばって仕事をしていたので、アリバイのない者がほとんどです」


 そこまで言ってから、たい刑事は大きなため息を吐いた。


「今回も新條が事故だと言い張っていて捜査が進められません。せめて式が終われば……」


「その時はもう手遅れかもしれません」


「どういうことですか?」


 たい刑事が聞くが、果乃子の思いつき以上のものではない。


「いえ……。ところで、従業員の中に、新しいとか青とかの漢字や音が入った名前の人はいますか?」


「なんでそんなものを? ……待ってください」


 たい刑事は手帳をパラパラと捲った。一通り見回したところで閉じる。


「従業員は合計で一三二人いますが、そのような名前の者はいません。それが何か?」


「次の被害者が出るかもしれないって話です」


「いや、まさか……」


 たい刑事は半信半疑といった様子で片眉を上げた。


 * * *


 ブルーシートで覆われたシャンデリアの残骸は未だに片付けられていない。警察が用意した三角コーンとポールで囲われた場所は立入禁止区域に指定されている。

 随分と狭くなったエントランスロビーで二人の熟年男性が向かい合っていた。


「このようなことになってしまい、申し訳ありませんでした」


 古怒田(こぬた)支配人が深々と頭を下げる。目の前の江藤先生も同じように頭を下げた。髪がまた白くなった気がする。


「いえ、仕方のないことですから。それ以上に、ここでの素晴らしい体験は生徒達にとっても思い出になるでしょう」


 実際、美術部の部員達の表情は晴れやかだった。二人の女子だけは顔を曇らせていたけど。


「せっかく龍青先輩とお話できたのに……」


「でも、チャットは交換できたし。帰ったら誘ってみようよ!」


 片方の肩が落ちた。龍青先輩を見ると、苦笑いを浮かべている。


「そう言っていただけると肩の荷が下ります。これから合宿の方は?」


「次は美術館へ向かいます。お世話になりました」


 江藤先生の後に続いて、部員の人達も頭を下げた。そのまま外へ向かって歩いていく。

 既にマイクロバスがホテルの前に待機していた。

 見送りのために俺達もエントランスを出る。

 バスに乗り込む前、宇野さんが一度振り返った。


「最上さん、倒れたって聞いたけど大丈夫?」


 瞳が揺れている。安心させるように果乃子は笑顔を見せた。


「色々あって疲れたみたい。でも大丈夫だよ」


「良かった。学校で会いましょうって伝えてくれる?」


「分かりました。必ず伝えます」


 俺の返事に宇野さんは笑顔で頷いた。部員の人達と江藤先生がマイクロバスに乗り込む。

 エンジン音と共にバスが動き始める。車内から手を振る部員の人達に、俺達も手を振り返した。果乃子に至っては、子供みたいに両手で大きく振っている。

 朝の爽やかな空気に、排気ガスの臭いが混じる。

 マイクロバスが見えなくなってから、古怒田(こぬた)支配人が目を細めた。


「あんなことがあっても落ち込むことなく元気でいられる。若さというのは眩しい限りですね」


「でも、古怒田(こぬた)さんもすごいですよ。あんなことがあったのに……」


 果乃子は感心したように言った。

 古怒田(こぬた)支配人が力ない笑みをこぼす。


「歳をとると変化ができないだけですよ。たとえ苅田様が殺されたとしても……」


「前もって知っていたような口振りですね」


 冷淡な口調。思わず龍青先輩を睨みつけてしまうが、この程度を気にするような人ではない。


「ええ、私が狙われたと知った時、心のどこかで思っていたのかもしれません。天罰が下ったのだと」


「天罰、ですか……」


 古怒田(こぬた)支配人は遠い目で雲一つない空を眺めた。


「恥を晒すことになってしまうのですが……。このホテルでオーナーの毒牙にかかってしまった女の子が何人もいたんですよ。苅田様が手を回して、私も止めることができませんでした……」


「そんなことを?」


 果乃子が軽蔑の目つきを向ける。

 逆に龍青先輩は得心がいったような表情になった。 


「ええ。特に青井さんには可哀想なことをしてしまいました」


「葵さん?」


 古怒田(こぬた)支配人は微かに首を動かす。そして、沈痛な面持ちで口を開いた。


「いえ、瀬名葵様ではありません。青井玉姫(たまき)、オーナーの手にかかった結果、ホテルを辞めることになってしまった女性です」

 ここまで読んでくださってありがとうございます。

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 続きも毎日更新予定です。

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