表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/30

22話 渋川抹吏は追いかける

 モナカ先輩、果乃子と一緒に歩いているところで俺は足を止めた。

 暗闇の奥から何かが倒れたような音。湯上がりの芳香に微かに混じる、生臭い鉄の臭い。


「どうしたの?」


 不穏な気配に気付いたのは俺だけだったらしい。果乃子は不思議そうな顔で見上げてくる。

 いや、モナカ先輩の視線も揺れていた。

 音がしたのは立ち入り禁止の札の向こうだ。右足で踏み切り、パーテーションポールを飛び越える。


「そっちは立ち入り禁止だよ!?」


 何も無ければ謝るだけだ。

 血の臭いが濃くなった。階層表示と非常灯だけが暗闇に浮かんでいて、行き止まりというのが分かる。

 足を止め、スマホを取り出してライトを点灯。

 頼りない光が巨大な扉が照らし出す。その上では数字が一つずつ大きくなっている。貨物搬入用のエレベーターだろう。

 扉の手前に、スーツを着た男が倒れていた。


「この人は……」


 スーツには見覚えがあった。

 新條豪の秘書だ。頭から血を流している。近くには血の付いたアンティーク時計も転がっていた。

 これが凶器か?


「抹ちゃん?」


 果乃子だけじゃない、モナカ先輩の息遣いも感じる。

 階層表示が『7』で止まった。

 エレベーターの右隣に重厚な防火扉。上に緑色に光る非常灯、従業員用の階段か。


「果乃子、警察に!」


 振り返ることなく防火扉を開けて飛び込む。

 照明が階段を照らした。人感センサーか。まだ暗いが、段差が見えるのはありがたい。

 空気が冷たい。しばらく、外の空気が入っていなかったのだろう。

 すぐさま階段を駆け上がっていく。密閉された空間に足音が反響する。


 二階、三階……。

 固いコンクリートの階段を踏み込むたび、左足が熱くなった。骨と骨とがぶつかり、神経に響く。

 額に冷や汗が浮き出てきた。

 急がなければならない。頭では分かっていても、身体が言うことを聞かない。


「くっ!?」


 階段を踏み外した。

 転びかけたのを、手すりに掴まって踏みとどまる。


 いや、落ち着け……。

 呼吸を整える。再び駆け上がるも、もはや左足は言うことを聞かなかった。もはや歩くのと変わらない。

 それでも終わり、『7』と書かれた踊り場が見えた。


 防火扉を開く。常夜灯とはいえ、階段の頼りない灯りとは比較にならない明るさに目を細める。

 隣のエレベーターを見れば、表示は『9』になっていた。

 追跡に気付かれていた。いや、エレベーターで逃げた時点で……。


 まだ残っているとは思えないけど……。

 絨毯で覆われた通路に足を踏み入れる。柔らかい絨毯のおかげで負担も少ない。

 まずは702号室。インターホンを押し、ノックをして、扉に耳をつける。何の気配も感じられない。ドアノブに手をかけても回らない。

 次は701号室だ。同じくインターホンを押す。


『ルームサービスは頼んでないが』


 聞き覚えのある男の声。新條眞人(まなと)だ。


「すみません、こんな時間に」


『君は古怒田(こぬた)支配人を助けた……何かあったのか?』


「……人が殺されました」


 息を呑む音が聞こえた。


『な……、本当か!?』


「はい。何か変わったことはありませんでしたか?」


『いや、心当たりは無いが……』


「なら、警察が来るまで部屋に居てください。葵さんはいますか?」


『彼女には伝えておく』


 左足を引きずりながら、今度は螺旋階段へと向かう。従業員用の階段と比べてもなだらかでまだ上りやすい。

 途中の八階は通路からして、さらなる高級感を漂わせていた。

 先ほどよりも一回り大きな扉の前で、同じようにインターホンを押す。

 応答は無い。だが、扉越しに振動を感じる。中に誰かいるのは間違いない。

 もう一度押す。

 しばらく待つと、どたどたという足音がした。


『なんだ、邪魔をしやがって! 誰も来るなと言っただろうが!』


 下卑た声でがなり立てられた。新條豪に間違いないが、一人ではなかった。


『ちょっと、何なの〜? あら、可愛い男の子じゃない』


 若い女の声だ。艶のある声音、息遣いで何をしていたのか想像がつく。

 息子の結婚式前夜に何をやっているんだ。

 平坦な声で告げる。


「人が殺されました。あなたの秘書です」


『秘書……苅田か? そんなデタラメで俺の邪魔をするな!』


「……疑うなら、電話でもなんでもしてください。ただ、警察が来るまでは部屋を出ないでください」


 それだけ言って一方的にインターホンを切る。

 これ以上、この男と話をしたくなかった。


 螺旋階段で九階へ上がると、星の光が降り注いだ。

 採光窓を通した満天の星空。幻想的な光景だ。


 展望レストランは鍵がかけられていて開かなかった。

 たが、全面ガラス張りで中は見える。星と夜景の光も差し込み、照明が無くても様子は分かった。

 明日の式の準備は進んでいるようで、いくつもの円卓が並べられている。

 人はいないようだが、ガラスを破って探すわけにもいかない。


 軽く息を吐く。途端に左足が悲鳴を上げ始めた。骨の中心から鈍い痛みが響き渡る。

 宿泊用のエレベーターに乗り込む。立っていられず壁に背を預けると、目を閉じたくなる衝動に襲われた。


 モナカ先輩と果乃子のところに戻らないと。

 左足を引きずりながら、壁伝いに先ほどの場所へ歩いていく。

 パーテーションポールを乗り越えるのも一苦労だ。


「戻ったか」


 龍青先輩が声をかけてきた。現場に誰も立ち入らないように見張ってくれていたらしい。

 美術部の女の子達が遠巻きに震えていた。


 モナカ先輩と果乃子は?

 彼女達は部屋の片隅で抱き合うようにうずくまっている。


「抹ちゃん、モナカちゃんが……」


 果乃子は小柄な身体で髪の長い女性、モナカ先輩を抱き支えている。果乃子が自慢していたモナカ先輩の長い髪が顔にかかり、黒い涙のように垂れていた。


「モナカ先輩!?」


 左足から力がふっと抜け、俺はその場に崩れ落ちた。


 * * *


 ホテルの一階、奥の方に隠された白い部屋。真新しい消毒の臭いが鼻を付く。

 提携の病院から呼ばれたという医師が俺の左足に触れた。


「痛い?」


「……いえ」


「なら、これは?」


 軽く動かされた。普段であればなんてことはないが、


「……全然」


「ふむ……これなら?」


 さらに大きく捻られた。俺は奥歯を噛み締める。


「……何も」


 何度か同じやり取りを繰り返した。最後に、医師は大きなため息を吐いた。


「君がとんでもなく我慢強いことは分かった」


 左足に湿布を貼り、包帯で固定していく。さすがは本職、果乃子よりも手早く綺麗に巻かれていた。


「替えの湿布と包帯も出しておく。一日一回替えて、よく冷やして動かさないように……」


「約束はできません」


 即答すると、医師は諦めたように首を振った。


「なら、鎮痛剤も出しておく。どうしても必要なら使いなさい」


「ありがとうございます。ところでモナカ先輩は?」


 医師は白いカーテンへと目をやった。


「モナカ……? ああ、あの子か。気を失っているだけだ。精神的なショックだろうが、じきに目覚める」


「よかった……」


「君の方がよほど重傷なんだがな……」


 医師は表情の消えた顔で呟いた。用はすんだとばかりに荷物をまとめて医務室を出ていく。

 一人残された俺は白いカーテンを開ける。

 ベッドにモナカ先輩が横たわっていた。死体のように身じろぎ一つしない。

 まさかと思い、息を呑む。だが、毛布に覆われた胸は微かに上下していた。安堵の吐息とともに椅子へと座る。

 医師が出るのを待っていたらしい。果乃子と龍青先輩が入室してきた。


「抹ちゃん、大丈夫?」


「動かすなって言われたよ」


 心配そうに聞いた果乃子に、包帯で覆われた左足を見せた。龍青先輩も苦笑している。


「だろうな。ホテルはまた警察が来て大騒ぎだ」


 奥まったこの部屋にも、警察官の喧騒とサイレンの音が届いている。


「シャンデリアの落下に殺人事件。無関係だと思うか?」


「分かりません。けど、同じ日に起こったとなると、偶然とは思えない」


「シャンデリアのときは抹ちゃんとモナカちゃんのおかげで誰も死ななかったけど……」


「気になるだろうと思って、警察に話を聞いておいた。ここで聞くか?」


 頷くと、龍青先輩がスマホを開いて読み上げてくれた。


「被害者は新條の秘書長、苅田政之だ」


「凶器は?」


「現場に転がっていたアンティーク時計だ。貸した時計工房も、まさかこんなことになるとは思わなかっただろうな」


 果乃子が素っ頓狂な声を上げた。


「あの時計、借り物なの?」


「ああ。特別な式だからと無理を言って借りてきたそうだ」


「それがどうかしたのか?」


 果乃子は眉根を寄せて考え込んでいる。そして、おずおずと口を開いた。


「もしかしてこの事件、サムシングフォーじゃないかな?」


「サムシングフォー?」


 聞いたことのない言葉だ。聞き返すと、果乃子より先に龍青先輩が教えてくれた。


「欧米に古くから伝わる慣習だ。結婚式で花嫁が四つのものを身に付けると、幸せになれると言われている」


「うん。その四つっていうのは古いもの、借りたもの、新しいもの、青いものなの。古くから伝わるシャンデリアで古怒田(こぬた)支配人、借りた時計で秘書の苅田さん……」


「確かに、偶然にしてはできすぎている。だが……」


「はい。もし、サムシングフォーの見立てだとしたらあと二件。古いものが失敗したことを考えると、下手したら三件の事件が起きるということに……」


 にわかには信じがたいことだ。

 だが、考えないわけにはいかなかった。


 * * *


「ありがとうございます」


 ストレッチャーでモナカ先輩を運んでくれたホテルのスタッフ達に礼を言う。彼らが出て行った後、鍵だけでなくチェーンもかけた。


「惜しかったね」


「何が?」


「モナカちゃんのこと。抹ちゃん、自分で運びたかったでしょ」


 つい声が上ずってしまった。


「ば、バカなこと言うなよ!」


「へ〜」


 果乃子はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたままだ。

 龍青先輩が手を叩く。


「そこまでだ。だが、この部屋で本当に大丈夫か?」


「大丈夫だと思う。モナカちゃん、盗聴器まで調べていたし」


「スパイかあいつは……」


 龍青先輩は半目でモナカ先輩のベッドを見やった。


「けど、それなら安心できます。サムシングフォー、だったよな」


「うん。古いものと借りたものが終わったとして、あとは新しいものと青いもの」


「それだけじゃ、凶器を特定するのは無理だな。狙われるとしたら……」


「新條豪、だな」


 龍青先輩の言葉に頷く。


「でも、花婿さんの方もあり得るかも。花嫁さんも瀬名“あお“いだし……」


「二人同時に狙われることもありえるか……。待てよ、青って……」


「青? あっ!?」


 果乃子と顔を見合わせた。同時に龍“青“先輩の方を向く。

 彼の形のいい眉が跳ね上がった。


「まさか、僕もターゲットなのか?」


「分かりません。けど……」


「分かった。気を付けておく」


 その声は落ち着き払っていた。だが、龍青先輩の指先は震えている。


「ねえ、龍くんだけでも帰ったら?」


 果乃子の声音も揺れている。大きな目は、今にも泣き出しそうに潤んでいた。

 しかし、龍青先輩は両手を開いた。


「そうしたいところだが無理だな。烏丸グループの信用問題に関わる」


「信用問題って、殺人事件が起きたんだよ。結婚式だってきっと……」


「あの男はたとえ新郎新婦が殺されたって続けるさ。果乃子には想像できないだろうが、他人の命より面子が大事な奴だっているんだ」


 果乃子が愕然と肩を落とした。


「そんな……」


「もう遅いな。戻るか」


 龍青先輩が腕時計を見た。部屋の時計を見れば、既に一時を回っている。

 色々なことがあり過ぎて眠気を感じる暇も無かった。けど、寝ておかないと身体が保たない。

 立ち上がろうとした俺達の浴衣の袖を果乃子が掴んだ。


「果乃子?」


「一人にしないで……」


 今にも消え入りそうな、か細い声。

 モナカ先輩がいる、などと言うことはできなかった。

 彼女はまだ眠ったままなのだから。

 龍青先輩が腰を降ろす。俺も、こんな果乃子を置いていくことはできなかった。

 ここまで読んでくださってありがとうございます。

 面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。

 続きも毎日更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ