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20話 次の事件が忍び寄る…… 血染めの花嫁

 エグゼクティブ・スイートの602号室。二人部屋だけどもう一人増えてもまだまだ広い。

 ソファに座った抹吏(まつり)くんは落ち着かない様子で首を動かしている。

 彼の左足は歪に膨らみ、腫れていた。


「うわぁ、酷い捻挫。よく我慢してたね」


 果乃子ちゃんの指摘に、抹吏(まつり)くんはぷいとそっぽを向いた。

 子供じみた態度を気にすることなく、果乃子ちゃんは湿布を貼る。

 包帯もそのまま手慣れた様子で巻き始めた。


「上手ね」


「抹ちゃんと一緒にいたら、どうしてもね〜」


「う……」


抹吏(まつり)くんが眉をひそめた。


「そういえば、どうして果乃子と龍青先輩がいたんだ?」


「何が?」


「シャンデリアが落ちた時だよ。いきなり出てきたじゃないか」


 痛いのを誤魔化したいのかな。けど、確かに私も気になっていた。

 すると果乃子ちゃんは身を乗り出してきた。鼻息も荒く、抹吏(まつり)くんにずいと詰め寄る。


「抹ちゃんとモナカちゃんの早朝デートだよ。見逃せるわけないじゃない!」


「気付いてっていうか、寝たふりしてたの?」


 言われてみれば、布団がもぞもぞ動いていた気もする。


「うん。二人が出た後に龍くん起こして、一緒に見守っていたんだ」


 声は弾んでいて、実に楽しそう。

 抹吏(まつり)くんが他の女の人と一緒にいても平気なの?

 いや、私は狙ってないんだけど。

 メインヒロインでもないのに名探偵と付き合うなんて、命がいくつあっても足りない。


「悪趣味な……痛っ!」


 果乃子ちゃんが思い切り包帯を引っ張った。さすがの彼も苦悶の声を上げた。


「これでオッケー! けど、あんまり動かしちゃダメだからね」


「それは……約束できないかもな」


 抹吏(まつり)くんの言葉に、果乃子ちゃんは小首を傾げた。


「……事故じゃないってこと?」


「ああ。支配人が真下に来た途端に落ちるなんて、あまりにタイミングが良すぎる」


「そうなの?」


 当然頷く。


「私もそう思う。管理室で何か分かればいいけど」


 その時インターホンが鳴った。


 * * *


「随分厳重だな。海外じゃないんだぞ」


 部屋に入った龍青は半目で簡易ドアチェーンを追加した扉を見つめた。


「そんなことより管理室はどうだった?」


「ブレーキは人為的に破壊されていた」


 抹吏(まつり)くんの言っていた通り、そして映画の通りの展開だ。


「やっぱり……」


「それで、警察は?」


 私が聞くと、龍青は両の掌を上に向けた。


「事故だと言い張って豚が追い返した。人死にが出ていない以上、警察も無理を言えなくてな」


 結局、そうなるのよね。人が死なないのはいいことなんだけど、結果として次の事件を止めるのが難しくなる。


「これで終わりだと思うか?」


 抹吏(まつり)くんは首を横に振る。


「どうしてそう思う?」


「支配人が狙いだとしたら、失敗しています。これだけのことをやった犯人が諦めるでしょうか」


「それに、支配人だけじゃないのかも」


 私が言うと、龍青と果乃子ちゃんがぎょっとした顔を向けてきた。


「だって、ただ殺すだけならもっと簡単な方法はいくらでもあるはずでしょ。それをわざわざ、あんな派手で手の込んだことをするなんて理由があるのよ」


「理由?」


「そう。たとえばシャンデリアを何かに見立てるとか」


「それが何か分かります?」


 抹吏(まつり)くんが尊敬の眼差しと共に聞いてきた。


 しまった!?


「それは……まだ分からないけど」


 目を伏せて、こう返すしかない。上目遣いに彼を見れば、口元に手を当てて何やら考え込んでいる。

 これ以上の追求はないみたいで、ホッと胸を撫で下ろす。

 龍青は額に手を当て、天井を仰いだ。


「事件は続くってことか」


 微かに頷く。

 備え付けの時計の音が、やけに大きく聞こえた。

 そんな中、あえて果乃子ちゃんが立ち上がった。わざとらしく明るい声を上げる。


「ねえ、そろそろ朝ごはんの時間でしょ。あたし、もうお腹ペコペコ!」


「そうね。美味しいものを食べてリフレッシュしましょ」


 せっかくの気遣いに私も乗ることにした。抹吏(まつり)くんと龍青は、口元をふっと緩めた。


 * * *


 レストラン、コバルトブルーからの朝の景色は夜景とはまた違った魅力があった。

 朝の空気は澄み切っていて、階下にある木々の葉まで見分けられそう。緑の海の向こうには、小さな街並みが揺らいで見えた。

 目の前のテーブルは中央にパンの山、席の前には皿とエッグやハムといった朝食が配膳されている。


「すごい量。食べ切れるかな?」


「無理することはない。好きなものだけ食べればいいさ」


 龍青は笑って言うけど、もったいないと思えてしまう。

 正直、食欲そのものはそんなに無い。けど、食べておかないといざというときに動けない。

 そんな気持ちで食べるなんて、シェフには悪いけど……。

 パンをちぎって口に入れると、柔らかい甘みが広がった。まだ何も付けていないのに。

 食欲、出てきたかも。

 手が止まらない。


「こんなに美味しいパン初めて! 毎日食べたいくらい」


 果乃子ちゃんも同じみたい。ニコニコ笑顔でパンを頬張っていく。


「それは良かったな。だが、こういう贅沢は時々だからいいんだ」


「あら意外。龍青なら、毎日こんないいものを食べていると思っていたわ」


「いくらいいものでも食べ続けると飽きが来る。いいものを美味しくいただくには、普段はそれなりのもので充分だ」


 みんなで喫茶店やファミレスにも行くし、割と庶民的なのね。


「それより、お喋りばかりしていると無くなるぞ」


 龍青の言葉でテーブルをあらためて見渡す。

 既にパンの山は半分以下になっていた。先ほどから無言だった抹吏(まつり)くんが、黙々と食べ続けていたみたい。

 文句を言うつもりは無いけど、自分の分は確保しなきゃ。


 もう満腹。今襲われたら、きっと逃げられない。

 そこにティーワゴンが近づいてきた。押してきたのは古怒田(こぬた)支配人だった。

 空になった皿を見て、軽く眉を上げる。


「あんなことがあってもこんなに食欲があるとは、若いというのはいいですね。食後の一杯はいかがですか?」


「ありがとうございます」


 彼は慣れた手つきで小さなケーキを並べ、紅茶を淹れてくれた。

 ティーカップを近づけると、芳醇な香りが鼻腔で弾けた。口に含めば、上品な甘さが駆け抜けていく。


「龍くんが淹れたのよりも美味しい……」


「プロと比べるなよ」


 龍青が憮然として言った。果乃子ちゃんが慌てた様子で口を押さえる。

 クスリと笑ってから、私は古怒田(こぬた)支配人の顔を見た。さっき死にかけたばかりとは思えないくらい、穏やかな笑みを浮かべている。


「とても美味しいです。ありがとうございます」


「いえ……。今こうして、お茶を振る舞えるのも皆様のおかげです。本当に、ありがとうございました」


 古怒田(こぬた)支配人は深々と頭を下げた。

 抹吏(まつり)くんが慌てた様子で手を振る。


「か、顔を上げてください! それより、少し話を聞かせてもらってもいいですか?」


「ええ。お話できることであればなんでも」


「それじゃあ、美術部の人達の様子は?」


「ええ。驚いてはいましたが、若いというのはいいものですね。皆様元気で朝食を平らげておりました」


「よかった……」


 胸のつかえが一つ下りた気がする。


「食後は野外でスケッチとのことです。皆様にも手伝ってほしいそうですよ」


「そっか、美術部の合宿だった」


 果乃子ちゃん、忘れていたのね。気持ちは分かるけど。

 抹吏(まつり)くんがメモを片手に口を開く。


「それじゃ手短に。なんでシャンデリアの掃除を?」


「習慣といいますか、願掛けのようなものです。特別なことがあるときはいつも」


「それを知っているのは?」


「ホテルの者はみな知っています。……やはり、私が狙われたのでしょうか?」


 その声は微かに揺れていた。


「おそらく。心当たりはありませんか?」


 古怒田(こぬた)支配人は顎に手をやり、小さく頭を振った。


「……正直、分かりかねます」


「じゃあ、シャンデリアの管理室って誰でも入れるんですか?」


「いえ。鍵は私が持っているスペアキーとマスターキーしかありません。スペアキーの方は私が肌身離さず持っていますし……」


「なら、マスターキーはどこに?」


「マスターキーもフロントの金庫で保管されています。暗証番号は日付が変わる毎に更新され、私とオーナーにメールで配信されます」


「なら、開けられるのは……」


「私以外はオーナーだけですね」


 * * *


 ホテルブルーパレスは建物の外も広い。丹精込めて手入れされた花と木々で、外まで贅沢。

 今日のスケッチ対象は風景画。手伝うといっても簡単な雑用くらいで割と暇。

 陽の光が気持ちいい。

 ベンチに座った私は、ホテルのエントランスをぼんやりと眺めていた。

 今のうちに、次に起きるであろう事件を食い止めたい。新條豪の秘書、苅田が狙われるはず。

 けど、今どこにいるかすら分からない。

 拳を握り締めても、何も変わらない。

 犯人である新條眞人(まなと)をどうにかするのも難しい。招待客とはいえ、何の接点もないから。

 むしろ、疑っていることが新條眞人(まなと)にバレたら私がターゲットにされてしまうかもしれない。

 私は大きくため息を吐いた。


「あら、ヒーローがため息?」


 突然の声に顔を上げる。目の前に現れたのは、感情の見えない女性の顔だ。


「あなたは……瀬名さん?」


「葵でいいわ。大してトシも変わらないんだし」


 葵さんはハンカチを敷いてから、私の隣に座った。

 そっと彼女の顔を見ても、表情が無い。なんで私に声をかけてきたのかしら。


「えっと、ヒーローって?」


「彼氏と一緒に支配人の命を救ったんでしょ。立派なヒーローじゃない」


「私は何も……」


 会話が続かない。下手に口を開くとまた余計なことを喋ってしまいそう。

 果乃子ちゃん、どこ?

 首を巡らしてみる。果乃子ちゃんが宇野さんと笑顔でお喋りしているのが見えた。

 なら抹吏(まつり)くんは?

 彼は座って龍青と話をしていた。

 私の視線を追って、葵さんも彼に気付いたみたい。


「素敵な彼氏ね。羨ましいわ」


「羨ましいって……。結婚するんでしょ?」


 彼女は自嘲するようにふっと笑った。


「十も年上で、ろくに話をしたこともない相手とね」


「そんな相手と、どうして……」


「結婚をすれば、新條がお父様の会社に資金援助をしてくれることになったの」


 彼女は口角だけを歪めた。


「お父様もお母様も断っていいとは言ってくれたけど、断れるわけないじゃない。こんな式、友達だって呼べはしない。あなた達が来てくれて助かったわ」


 何も言えず、私はただ黙って話を聞くだけ。


「聞いてくれてありがとう。明日の結婚式、よろしくね」


 吐き出してすっきりしたみたい。葵さんは少しだけ表情を和らげて、ベンチを離れた。

 すぐに抹吏(まつり)くんと龍青が駆け寄ってきた。


「さっきの人、瀬名葵さんですよね。何か話していたんですか?」


「ちょっと話を聞いていただけよ。龍青、この結婚式って止められない?」


 結婚式そのものを無くせば、これ以上の事件も止められるかも。そんな淡い期待だったけど、彼は眼鏡をかけ直した。


「さすがに無理だな。何を聞いたのかは知らないが、お前にだって分かるだろう」


「そう、そうよね」


 目を伏せた私の視界の端を、黒塗りの高級車が通り過ぎた。

 まだお昼前。チェックインには早すぎる。

 もしかして……。


 高級車は正面玄関に停車した。後部座席から、細長い紫色の箱を大事そうに抱えた老紳士が降りてくる。

 建物に入った老紳士は足を止めた。ブルーシートに覆われたシャンデリアの残骸が目に入ったみたい。

 その隙に私はエントランスロビーに足を踏み入れた。ソファに座って紫色の箱を注視する。

 老紳士が受付と話をして、しばらくするとエレベーターが降りてきた。新條豪の秘書、苅田が早足で現れる。

 彼は老紳士から紫色の箱を受け取り、鍵を差し込んだ。カチリと音がして、箱が開く。


「確かに……」


「式が終わったら返してください。あと、絶対に直接使わないでくださいよ!」


 老紳士が捲し立てる。苅田は事務的な笑顔で返した。


「ご心配には及びません。快くお貸しいただき、感謝しております」


「……何が快く、だ」


 老紳士は苛立ちも露わな足音と共に帰っていった。その背中へ苅田は冷たい視線を向け、すぐに箱へと戻して唇を歪める。


 あれはケーキカットに使われるサーベルに違いない。そしてきっと……。

 私はごくりと生唾を飲み込んだ。

 ここまで読んでくださってありがとうございます。

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 続きも毎日更新予定です。

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