12話 果乃子ちゃんとお買い物 支援施設殺人事件
紅茶の渋みとリンゴのほのかな甘みが弾けた。喉を通り抜けても、口の中には爽やかな後味が残っている。
目を閉じて、香りもめいっぱい楽しむ。
いつもの紅茶に比べると香りが少ないかも。
けど、生徒会の茶葉は龍青が持ってきたお高いものだし。比べちゃダメよね。
雲一つない青空だけど、風は冷たい。ティーカップを両手で持って、温まる。
「テラス席が空いていて良かったわ。やっぱり外でのティータイムは格別ね」
一人じゃ外出もできないもの、と言葉にしないで続ける。
けど、私の目の前にいるのは果乃子ちゃん。雑なナレ死はないはずよ。
命の心配無く飲める紅茶は美味しいわ。
でも、くりっとした大きな目は、私とテーブルの上を行ったり来たりしていた。
「ねえ、本当に奢ってもらっちゃっていいの?」
「だからいいって。買い物にも付き合ってもらったし」
「確かに付き合ったけど……、あたし何もしてないよ?」
果乃子ちゃんは私の足元にある紙袋に目をやった。中には無骨なデザインのバッグが入っている。防弾防刃両用の優れものよ。
「一緒に来てくれただけで嬉しいもの。美術部の合宿前に買っておきたかったし、ちょっと恥ずかしい目にあわせちゃったし」
果乃子ちゃんはガーリー系の可愛いファッション。ミリタリーショップでは浮いていた。
「それは別にいいよ。それより、買い物はもう終わり?」
「ええ。午後は用事あるの?」
まだお昼前。今日はまだまだ長い。
お願いだから帰るなんて言わないで! 今日は一日中遊びましょ!
祈りが通じたのか、果乃子ちゃんは大きな目を細めた。
「あたしも暇だし、今日はめいっぱい付き合うよ。モナカちゃんとデートなんて珍しいし!」
私の天使……。後光が差して見えるわ。
「モナカちゃんは行きたいところとかある? カラオケ……スイーツ……、そうだ! 服買いに行こうよ。モナカちゃんスタイルいいんだし、もっと可愛い服にしようよ」
今日の私は飾り気の無いパーカーにパンツルック、足元だってスニーカーだ。
走れない靴は、いざという時が怖くて選べなかった。
比較的安全な今、果乃子ちゃんの提案は本当に嬉しい。けど……。
私はこめかみを押さえた。
カラオケボックス、ケーキバイキング、試着室……生存ファイルに書かれた場所ばっか。
安全なスポットは無いの……?
でも、抹吏くんがいないのに事件は起きないでしょ。……起きないよね?
まあ、試着室なら仕掛けがあるのは一つだけのはず。服を脱ぐ前に調べれば……多分。
意を決して口を開く。
「それじゃあ……」
「お〜い!」
返事を言い終える前に、果乃子ちゃんが大きく手を振った。私、正確には私の背後に向かって。
ちょっと待って、今日は休日だよ!?
油切れの音が響きそうなくらい、ぎこちなく振り向く。
そこには我らが濡羽高校の生徒会長、渋川抹吏くんが立っていた。
彼も目を丸くしている。
「果乃子にモナカ先輩も。どうしてここに?」
「デート、いいでしょ。抹ちゃんこそそんな荷物持って、どこか行くの?」
果乃子ちゃんの言う通り、抹吏くんは大きな紙袋を提げていた。ジャケットを羽織った清潔感のあるスタイルは、ジムじゃなさそう。
「母さんの見舞いだよ」
「抹ちゃんのお母さん?」
大きな目をさらに見開き、口許に手を当てた。
眉間にシワを寄せて、私と抹吏くんを交互に見比べている。やけに真剣な目だ。
「果乃子、どうした?」
「果乃子ちゃん?」
問われた果乃子ちゃんは、ニヤリと口角を上げた。
私の天使がなんで小悪魔みたいな笑い方をしているの?
お願い、堕天しないで!
今度の祈りは通じなかった。堕天使果乃子ちゃんは、恐ろしいことを口走った。
「抹ちゃん、あたし達も行っちゃダメ?」
「か、果乃子ちゃん? いきなりそんな……迷惑でしょ?」
語尾が震える。でも果乃子ちゃんはお構いなし。
「だって抹ちゃんにはいつもお世話になっているし。モナカちゃんだって挨拶しなきゃ」
「なんで私!?」
「だって、ねえ……」
なんかまたニヤニヤしている。
やめて!
抹吏くんのお母さんの施設で起こった事件だっていくつもあるのよ!
「でも、抹吏くんだって都合が……?」
お願い、断って!
一縷の望みをかけた願いは通じなかったみたい。
「俺はいいけど……本当にいいのか? 電車とバスで一時間はかかるぞ」
「いいのいいの。買い物終わったから遊ぼうって話をしてたし。それともモナカちゃんは帰る?」
「絶対行く……」
ナレ死よりは殺人事件に巻き込まれた方がマシよ……。
そんな私の気も知らず、果乃子ちゃんは紙袋の中を覗き込んだ。
「ところで抹ちゃんは何を持っていくの?」
「母さんの好きなケーキとかお菓子とか……」
紙袋の中を拡げて見せてくれる。私の堕天使は、わざとらしく大きなため息を吐いた。
「抹ちゃん……、まだ時間ある?」
「ああ。時間にはかなり余裕を持たせたつもりだけど」
顔が綻んでいる。事件の気配さえ無ければ、微笑ましいのに。
「なら、もう一回お土産を買いに行こ! 今度はあたし達で選んであげる!」
果乃子ちゃんが張り切っている一方で、私は天を仰いだ。
お母さんのお見舞い。これも生存ファイルにあったはずだけど……何の事件だったっけ?
* * *
濡羽駅から電車を二回も乗り換えて、バスに揺られて。窓の外の景色がぐるぐる回り始めた頃には、時間の感覚が無くなっていた。
ようやくバスを降りられた。揺れない地面の素晴らしさが、身に染みる。
目の前のベンチへと、よろよろと倒れ込むように座り込む。もうこれ以上は動けない。
リバースだけは必死に耐えた。そんな私を全力で褒めてあげたい。
「モナカちゃん、水飲む?」
差し出されたボトルに口を付け、温くなった水を流し込む。
一息に飲み干すと、残りは半分くらい。ようやく落ち着いてきた。
「はあ……。ありがとう、果乃子ちゃん」
「モナカ先輩、乗り物ダメだったんですね」
「前はこうじゃなかったんだけどね」
入院して体質が変わったのかな。
よく考えてみれば、退院してから乗り物に乗るのは初めて。
でも、合宿前に分かってよかったかも。先に酔い止めを飲んでおかなきゃ。
「あとは歩きだから大丈夫ですよ」
「抹ちゃんが荷物持ってくれてよかったね」
「けど、土産多すぎないか?」
抹吏くんは両手に持った紙袋を掲げた。果乃子ちゃんと私で選んだ紙袋がもう一つ増えている。
「多すぎないって。絶対喜ぶから」
まだ疑わしげな抹吏くんに、果乃子ちゃんは自信満々で胸を張った。
杜岸市支援施設前バス停は、名前の通り施設の門の前に立てられていた。
施設の正式名称は杜岸市支援施設エール・パーチ。謎の横文字が、後から付け足された感を出している。
空気も爽やかで、緑の匂いが身体の中の淀みを濾過してくれたみたい。
そろそろ動けそう。施設の中を覗き込んでみる。
何人かの人が車椅子で散策しているのが見えた。
あと制服姿の高校生もいた。入所者じゃないみたいだけど。
入口が開いた。自動ドアが開き切るのも待たないで、車椅子が飛び出す。
ショートカットの女の子……かな? 彼女が乗った車椅子はますますスピードを上げた。
ぶつかる!?
身体が震える。身構える一方で、抹吏くんは目を細めていた。
「抹吏ー!」
車椅子の女の子、じゃない。
艷やかに響く声は、紛れもなく成人女性のものだ。
ガツンッ! と金属がぶつかるような音に続いてタイヤの激しい摩擦音。
抹吏くんの目の前で急停車した車椅子から女性が投げ出された。
女性は両手を伸ばして、勢いのままに抱きつく。
鍛え抜かれた抹吏くんの身体は、ぶつかってきた女性の身体を危なげなく受け止めた。
抹吏くんにしがみついた女性は、童顔ながらも美しい顔立ちをしていた。栗色の髪はショートボブ。日にあまり当たっていないのか、肌は白くキメ細かい。メイクのおかげかもしれないけどシワも見えない。
本当に母親? お姉さんじゃなくて?
ゴムが焼けるような臭いが漂ってくる。鼻がつんとして、足が一歩下がった。
少し遅れてドタドタとした足音。大柄な女性が駆けつけてきた。後ろで結んだ髪が揺れている。
「かりんさん、無茶……しないで」
余程急いで来たのか、息切れが酷い。
抱きついたまま、かりんと呼ばれた女性が言い返す。
「抹吏なら受け止めてくれるもの。無茶じゃないわ」
見られていることを意識したのか、抹吏くんの顔がみるみるうちに赤くなる。
「か、母さん! 離れろよ」
彼は膝を折って、優しく車椅子へ乗せる。
彼女はまるで駄々っ子のように口を尖らせた。
「ちょっと、なんでもう離すの? とうとう反抗期?」
彼はこちらに目をやった。つられてかりんさんの視線も向けられる。
「あら、あらあら……」
今まで抹吏くんしか見えていなかったのね。
私と果乃子ちゃんを見て、かりんさんは目を丸くした。抹吏くんによく似た表情だ。
そして顔をキリッと引き締める。
「はじめまして。抹吏の母のかりんです。いつも抹吏がお世話になっています」
抹吏くんのお母さんに挨拶されちゃった……。
笑みがこぼれる。すると、かりんさんも即座に頬を緩めた。
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