10話 渋川抹吏はパワー系名探偵
目の前で起きた異常な光景に、俺は息を呑む。
乾いた破裂音と共に、倒れた人が一瞬で消えてしまった。
部室にはまだ煙が立ち込めていた。安っぽい火薬の臭いが鼻をつく。
鼻腔に神経を集中させる。あの生臭い血の臭いは……。
「そ、そうだ! 警察!」
篠宮副会長が慌てた様子でスマホを操作する。それを俺は制止した。
「その必要はありません」
「え、でも……」
「さっきの死体は偽物。そうでしょ?」
モナカ先輩が口を挟んだ。白く長い指先には絆創膏が巻かれていた。
「はい。近くで見ればすぐに分かりました。何より、血の臭いがしなかった」
いくら煙が立ち込めていても、生々しい鉄臭さに気付かないはずはない。
「皆さんは少し待っていてください」
部屋に足を踏み入れ、スマホのライトで部屋の中を照らす。灰色の床には焦げ目が付き、無数の小さな紙の筒が半円を描くように散乱していた。
しゃがみ込んで、ハンカチ越しにその一つを拾い上げる。
爆竹か。
「そ、そうだ。灯り!」
果乃子が出入り口横のスイッチを押したらしい。カチッと音がした。
しかし、照明は点かなかった。
「仕方ないわね」
モナカ先輩が椅子を持ってきた。
電灯には届かなかったらしく、今度はもっと大きな音がした。机を引きずってきたようだ。
危険な目に遭ったばかり、それも怪我をした彼女に無理はさせられない。
「そんなことは俺が……」
振り向こうとしたところで、果乃子に頭を掴まれた。
「上見ちゃダ〜メ」
いつも通りの甘い声だが、妙な圧があった。強制的に前を向かせられる。
「電極が外されただけね。これなら……」
すぐに部室は明るくなった。地面に映ったモナカ先輩のスカートが広がる影を見て、俺は顔が熱くなるのを感じた。
果乃子に感謝だ。
ミス研の人達もようやく入ってくる。
「な、何があったんですか? 会長は?」
篠宮副会長の声は調子が外れている。
「ここにはいません。けど……」
明るくなった室内を見渡す。二つ並んだ机の隣に、椅子が二列で重ねられていた。俺達はそのまま部屋を出たので、犯人がわざわざ片付けたことになる。
次に出入り口。切れたテグスが付着していた。床にはシンプルな発火装置がテープで止められている。
引戸を開けるとテグスが引かれて作動する仕組みのようだ。あのつっかかる引戸では、こんなものがあっても気付けないだろう。
俺は這いつくばって、床と並行する目線で隅々まで観察した。モナカ先輩と果乃子は、ミス研の人達が視界に入らないように下げてくれた。
そして、見つけた。
爆竹の残骸が描く半円の中心。おそらくは偽物の死体が倒れていた場所の近くに何かを引きずった跡だ。まだ新しい。明るくなっていなかったら見逃していたかもしれない。
跡を追って四つん這いで進む。すぐに頭がぶつかった。
本棚だ。
下から二段目と三段目は埋まっているが、一番下の棚は空いていた。紙片と髪の毛が散らばっている。
一応、隣のロッカーも開けてみる。やはり掃除用具が入っているだけ。
ロッカーを閉じて一番下の棚を調べる。奥から少し光が漏れていた。手を伸ばして押すと、背板が簡単に外れた。
向こう側の壁は薄いあずき色に塗装されている。
そういうことか。なら……。
立ち上がって髪に付いた埃を払う。考えをまとめているところで、涼やかな声が鼓膜に心地良い振動を与えた。
「備品の貸出記録、龍青に調べてもらう?」
「お願いします!」
モナカ先輩はさらりと言った。
さっそく電話をかけたようだ。龍青先輩の声が聞こえる。
『どうした? まだ学校にいるのか……また妙なことに巻き込まれたのか?』
「そう。ちょっと調べてほしいものがあるんだけど……」
『なんでそんなものを……。少し待っていろ』
龍青先輩と話をしている姿を見て、さっき抱き上げた時の甘い匂い、柔らかな感触が思い出される。
俺は激しく頭を振った。
今日は記憶が飛ぶくらい追い込もう。マシンでハックスクワットのドロップセットにするか……。
俺の肩に細い手が置かれた。
もう終わったのか。
モナカ先輩は不思議そうな顔をしながら、スマホの画面を見せてくれた。
「はいこれ」
表示されているのはとある帳簿だ。さすが龍青先輩、仕事が早い。その内容も俺が思っていた通り。
これで確信が持てた。
「ありがとうございます。それじゃあ、霧生会長に会いに行きましょうか」
「え、どこにいるんですか?」
相馬さんの声は上ずっていて、語尾が裏返っていた。
「隣です」
俺は本棚を指差した。
そのまま本棚を正面から抱える。固定されていないのは見れば分かった。
大きく息を吸う。腹圧をかけ、軽く曲げた膝を伸ばし、全身の力で一気に持ち上げる。
「え、ウソ……」
「あれ、会長と小暮くんの二人でやっと動かしたのに……」
本が詰まっている本棚はそれなりに重い。だが、証拠が残っているうちに終わらせたい。
ミス研の人達は大きく目を見開いている。
隣のロッカーはもっと軽かった。腕の力だけでも持ち上げられた。
こんなに簡単に動くと、地震が起きたときに危ないな。次の予算で申請するか。
本棚とロッカーが無くなった壁に残されたのは、薄いあずき色の扉だった。
コンコン、コンコンとノックする。
「霧生会長、出てきてください」
少し待つと扉が開かれた。
真っ暗な部屋から、派手な金髪の上級生、霧生会長が現れる。
「会長!?」
小暮くんの声を聞きながら、霧生会長に目をやる。彼は気まずい様子で額に汗を浮かべていた。
「参ったな。どうして分かったんだ?」
俺は並べられた椅子を指差した。
「俺達の椅子、隣の文芸部から借りてきたって言ってましたよね。けど俺達が来たときに隣の照明は落ちていた。ということは、あなたは文芸部の部室に入ることができるということになる」
「なるほど。確かに俺は文芸部の鍵も預かっている。この扉にはどうして気付いた?」
「ミス研の部室は他の部室に比べて明らかに小さかった。本来は隣の部屋、文芸部の準備室だったんでしょう。準備室であれば、直通の扉があっても不思議じゃない」
「じゃあ、この部屋で倒れていたのは?」
果乃子が口を挟んできた。俺が口を開く前に、モナカ先輩が答えてくれた。
「あれは人形よ」
「人形?」
あの時の灯りは月の光と廊下の照明だけ。目立つ金髪もあって、遠目で一瞬だけだったら確かに見間違えていたかもしれない。
モナカ先輩は先ほども見せてくれたスマホの画面をまた表示してくれた。
「学校には人命救助の実習とかで使われるダミー人形があるの。貸出記録を調べてもらったわ」
龍青先輩から送ってもらった記録。今は貸出中になっていて、借りた人の名前は……。
「霧生恒一、あなたの名前になっている。この茶番劇を仕組んだのはあなたです」
「でも、一瞬で消えたのはどうやったの? いくら直通の扉があっても、さっきまで塞がれていたし……」
篠宮副会長が聞いてきた。さらに小暮さんも続けてくる。
「あの一瞬で棚を動かすなんて……」
みんなの視線が集中する。
たとえ俺でも、引戸が閉じていた僅かな間に棚を動かして戻すのは不可能だ。しかし、
「棚を動かす必要なんてありませんよ。棚を通ったんです」
「棚を?」
「はい。一番下の棚には何も入っていない。それに……」
コンと叩くと背板が外れた。棚の一番下が、トンネルのように開通される。
「そこを通したってこと? けど、そんな狭いところ子どもくらいしか通らないわよ」
篠宮副会長の言う通りだ。確かに肩が通る程の幅は無い。
「その答えは、これだ」
俺は霧生会長の背後、真っ暗な文芸部室へ向けてスマホのライトを照らした。そこには四肢がバラバラにされた、胴体の無いダミー人形が転がっている。
「ダミー人形を分解して頭と四肢を紐でつないだ。胴体は紙袋。制服とカツラを付けて、偽霧生会長の完成だ」
俺の言葉通り、ツルンとした手足と頭にはミス研部室の床の色に似た、灰色の紐が結わえ付けられている。
「偽霧生会長に、ナイフに見立てた柄を載せる。そして爆弾の叫びでみんなが教室を出た後、引戸の音を聞いて紐を引っ張ったんだ。爆竹は一分近く鳴り続けていた。紐を引くだけなら、充分な時間でしょう」
文芸部室からダミー人形を持ってくる。まだ紐は繋がっているから、トリックの再現は可能だ。
俺のブレザーを着せたダミー人形の頭と四肢を床に並べる。紙袋は破けていて使えないから胴体が凹んでいるが、目撃したときと概ね同じだ。
そしてダミー人形と繋がった五本の紐を棚の一番下から通す。紐は全部、直通扉を通して文芸部室まで伸ばした。
さらに本棚を後ろから抱えて、もう一度持ち上げた。
「はあ?」
霧生会長の間抜けな声が聞こえた。そのまま元あった場所に置く。ロッカーまでは置かなくていいだろう。
「よく見ていてください」
俺は文芸部室から五本の紐をゆっくりと引っ張った。勢いよく引っ張ると途中で絡まる可能性があるからだ。
棚の下を通る時は詰まらないよう、さらに慎重に引く必要があった。それでも二十秒もあれば、ダミー人形と俺の制服は文芸部室へ届いた。
最後に棚の背板をはめ込み、扉を閉める。
全部の工程を含めても三十秒もかからない。
直通扉を開けて、棚を押しのける。
「見ての通り、一番下の棚も手足と頭だけなら通ります。俺達が探しに外へ出ている間、霧生会長はミス研部室でダミー人形を準備した。それが終わってから俺達を呼び出したんだ」
皆の驚く顔が見えた。いや、モナカ先輩だけは両手で口を押さえて、目を見開いて震えている。指先に巻かれた絆創膏が目に入る。
モナカ先輩は唯一の被害者といえる。霧生会長も意図していなかった小さな火傷とはいえ、怖かったに違いない。
趣味の悪いいたずらを……。
俺は奥歯を噛み締める。
棚に落ちていた髪の毛を拾い上げた。光に透かすと金色に光る人工の毛髪。ダミー人形が棚を通り抜けた何よりの証拠だ。
これで……、
「……詰みだ」
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