89話
終礼後、改めて保健室に寄ると、丁度ルイスがベッド周りを整えているところだった。
「もう起きて大丈夫なの?」
背後から声をかけると、ルイスは肩を大きく跳ねさせ、振り返る。
その拍子に大きな尻尾がサイドテーブルにぶつかり、大きな音を立てた。
トーマスが呆れたようにため息を吐き、ルイスは涙目で謝罪する。
先ほど生死を彷徨ったとは思えないほど、いつも通りの彼に私は何だか拍子抜けだ。
視線が合うと、ルイスは申し訳なさそうに眉を落とす。
相変わらず顔色は芳しくないが、今朝のような危うさは見られない。ひとまず山場は越えたのだろう。
内心ホッとしつつ、私は「ごめんなさい、驚かせたわね」と苦笑する。
ルイスが首を横に振った。
「むしろ、ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません。……皆様にも、ご心配をお掛けして」
ニコラやギルベルトのことを言っているのだろう。
彼女たちも大層心配していた。後日、改めて元気な顔を見せてあげて欲しい。
そう告げれば、ルイスは「はい」とどこか自信なさげに頷いた。
「あの……ディートハルト様は……?」
「オットーたちが迎えに来ていたわ。先に帰るそうよ」
「そうですか」
ホッとした様子で表情を和らげるルイス。もじもじさせていた指先からも力が抜ける。
今日一日、従者としての役目を果たせていないことが、気掛かりだったのだろう。こんな時まで真面目なことだ。
トーマスに挨拶をし、保健室を後にする。
既に人気の無くなった廊下を、いつもよりのんびりとした歩調で歩いた。
あの、と先に声をあげたのはルイスだった。
「申し訳ありませんでした。……俺を助けるために、お体に負荷のかかる魔術を使ったと……」
「……誰よ、そんな出鱈目を言ったのは」
イラっとした声を出せば、予想外の返しだったのか、ルイスは目を白黒させた。
戸惑ったように「ち、違うんですか?」と訊き返す彼に、私は歯がゆい気持ちで「違うわよ」と答える。
「私が、上手く使いこなせていないだけ。恥ずかしながらね」
多分。きっと、そう。
そう思わなきゃ、やっていられない。
これは半分意地だ。
諦めていた筈の水の属性魔術。これが使いこなせるのなら、私の頭を悩ませていた全てが解決する。
同時に、それは私がアメリアと同じ道を進むということでもある。
物語の運命力というものは、こうも煩わしく纏わりついてくるものなのか。
盛大に舌打ちを打ちたい気分だった。
しかし、隣並ぶ友人の顔を見て、私はその感情を飲み込んだ。
「なら、良かったです。アメリア様に何かあったら、俺は……きっと自分が許せませんでした」
黄金色の目をふっと和らげて、ルイスが花のように笑う。
相も変わらず蒼白い顔で何を言っているのだろうか、この子は。
まったく、と思いながら、私はルイスの肩を軽く叩いた。
「貴方はまず、自分の体の心配をしなさいよ」
「……そうですね。気を付けます」
どこか諦観の籠った声に、私は言い知れぬ感情を抱く。
私は足を止め、じろりと睨み付けるようにルイスの顔を見上げた。
数歩遅れてルイスも歩みを止める。振り返った彼は、やはり肩身が狭そうに見えた。
「貴方、ディートハルトの申し出を断ったんですって?」
びくっとルイスの肩が揺れる。
しかし、いつもなら驚きに染まるであろう彼の表情は、どこか納得したように見えた。
彼はゆっくりと「はい」と頷く。
「アンファングラントは、母の故郷です。……俺のではありません」
ルイスにしては珍しい、ハッキリとした物言いだった。
穏やかで落ち着いた声色。だが、彼の奇妙な頑固さが窺える。
ディートハルトが私に頼んだのは、ルイスの説得だった。
アンファングラントに彼を帰すというディートハルトの願いを、ルイスは真正面から断ったそうだ。
理由は、先ほど彼が述べた通りだ。
「お父上がいらっしゃるかもしれないわよ」
ルイスの顔が、ほんの少し曇った。
トカゲのような尾が静かにうねり、鱗が外の光を反射させる。
アメリアさま、と静かなルイスの声が私を呼ぶ。
「お疲れのところ恐縮ですが……この後、少しお時間を頂いてもよろしいですか?」
ルイスにとって憩いの場である噴水。
その縁に腰掛け、ルイスはどこか遠くを見るような眼差しをした。
「お二人の仰る通りです。おそらく俺の父親に当たる者は、彼の地にいるでしょう」
こちらを向かない黄金色。
私も視線をルイスから外し、波打つ水面へと向けた。
しかし、耳だけはどこか儚い彼の言葉を拾い続けている。
「生きても、いると思います」
でも、と言葉を区切ったルイス。
だと言うのに、いつまで経っても続く声がなく、私は視線をルイスに戻した。
途端、彼は懇願するように、身を乗り出す。
「この話は、ディートハルト様には仰らないで下さい。……いえ、誰にも、ギルベルト様やニコラ様にも言わないと……そう仰って頂けますか?」
「……わかった。誓うわ」
縋り付くような必死さを見せる彼に、私は頷く他ない。
湿度の高い風の中、ルイスは深々と頭を下げた。お礼の声が震えて聞こえたのは、多分気のせいではないだろう。
ふう、と気持ちを切り替えるように、ルイスが深く息を吐いた。
「父は多分、新しい家族を作っていると思います」
「えっ……?」
困惑より先に、ドン引きが来てしまった。
相手の事情も知らないのに、失礼なリアクションだったと反省するが、ルイスは苦い笑いを浮かべて首を横に振るった。
「アメリア様の反応は、多分正しいですよ。彼は、母を捨てたんです。……俺が生まれる前に」
彼の話はこうだった。
ルイスの父はどうしようもない遊び人だったそうだ。
結婚前にルイスの母を孕ませた彼は、周囲からの圧力に耐えかね、渋々籍を入れた。
しかし、父親になるという責任に耐えられなかった彼は、ルイスが生まれる前に消息を断つ。
その結果、身重の母だけが残された。
「……そんな母を見兼ねて、この国に連れて来たのが、ディートハルト様のお祖父様でした」
旅行中であった若き彼は、美しい妊婦を心から憐れんだ。
そして、同時に恋に落ちたのである。
彼女を救うため、国に連れ帰ったディートハルトの祖父。
しかし、その恋は当然上手くいくはずもない。
片やクルークの貴族、片やシュタルクの人妻。
周囲に認められないことは、誰よりも当人たちが自覚していた。
「母は、恩人の迷惑になりたくなかった。しかし、彼もまた、母の力になることを望みました」
その結果、二人は決して互いに触れ合うことなく、ただ同じ屋敷で時を過ごした。
そして、プラトニックな愛を貫き、順に各々の人生を終えたのだ。
「だから、アンファングラントに俺の居場所はありません。血の繋がった父がいたとしても、俺を迎え入れてはくれないでしょう」
俺も嫌です、と珍しく彼ははっきり断った。
初めて聞く話に、私は戸惑いを隠せない。
感想を口にすれば、きっと彼の父親を貶めてしまうだろう。
『ディートハルトの祖父がルイスの母を、攫うようにコーネンプレッツェルへ連れてきた』
ゲーム内では、その一文で終わる話に、まさかこれほどの事情があるとは思わなかった。
唸るように口を引き結び、彼の父親への怒りを飲み下す。
代わりに口をついて出たのは、純粋な疑問だった。
「……それを、何故ディートハルトに言わないの?」
彼は祖父の行いを不義理なものだと思っている。
しかし、実際のところ、ディートハルトの祖父が行ったことは人助けに他ならない。
真実を知れば、きっと彼の心は幾分か救われるだろう。
しかし、ルイスは静かに首を横に振った。
「言えません」
「何故?」
「ディートハルト様のお祖母様へ、合わせる顔が無くなってしまいます」
困ったように笑うルイスに、私はああと感嘆の声をあげた。
そうか、確かにその通りだ。
私は黙って頷き、改めて誓った。
「そうね。この話は、墓場まで持っていくわ」
ルイスの揺れる尻尾が、噴水の水を小さく跳ね上げた。




