85話
「おはようございます、アメリア様」
カーテンが引かれ、強烈な朝日が室内を照らし出す。
瞼越しでも嫌と言うほど感じる天気の良さに、つい眉根を寄せた。
ヴィッセンシュタットから王都に戻ってきて、早三日。
未だにドーリスがフンベルクに帰る気配は感じられない。
体を起こし、欠伸を一つ。
昨日も遅くまで精霊について調べていたが、未だ手がかりなし。学生向けの蔵書は殆んど読み終えてしまった。
「今日も良いお天気ですね。絶好のお散歩日和ですよ」
眩しいほどの笑顔を浮かべるドーリス。しかし、その言葉の裏にある内容はこうだ。
『図書室に籠ってばかりいないで、外に出ろ』
キュッと唇を結び、私は素直に頷いた。おや珍しいとドーリスは目を瞬くが、仕方ないだろう。
彼女の苦言に反発した結果、私はヴィッセンシュタットで痛い目に遭った。
たまにはドーリスの小言に従うのも悪くはない。……という、憎まれ口はさておき。
今日はエルフリーデに呼び出されているのだ。いずれにしても図書室に行く時間はない。
というのも、どうやら謹慎していたディートハルトが学園に戻ってくるらしい。
その知らせを聞いた時、どれほど私が安堵したかは言うまでもないだろう。
「共に帰省したルイスも戻ってくるようですので、ようやく貴女の『調べごと』とやらが進みますわね」
そう言ったエルフリーデには感謝の言葉もない。
ディートハルトがあのまま学園をやめなかったのは、彼女の苦心があってこそだろう。
ヴィッセンシュタットでの冒険を終え、私たちは再び日常に戻ろうとしていた。
そんな、晴れた日のことだった。
登校してすぐ、手にしていた鞄を取り落としてしまった。
衝撃で中身が散らばり、ノートや教科書が廊下に広がった。が、それどころではない。
ドーリスの小さな悲鳴を聞きながら、私は慌てて高い位置にある肩を掴んだ。
「ルイスっ! 貴方、どうしたの!?」
「あ……アメリア様。お久し振りです」
久方振りに見た友人は、病人と見紛うほど青白い顔をしていた。
主人であるディートハルトと共に、彼も自宅での謹慎を命じられていた話は知っている。
しかし、その心労が祟ったとしても、これほどまでにやつれている理由にはならない。
まさか、とうとう体に限界が……!?
「だ、大丈夫です。朝方に体が少し冷えただけで、大した問題じゃありませんから」
「そんなこと言って……指先が震えてるじゃない!」
平静を装う彼は「何でもない」と両手を後ろに隠す。が、騙されるわけがない。
動揺する私を諌めたのは、ルイスと共にいたディートハルトだった。
「相変わらずのようだな」
彼も少しやつれたようだが、正常の範囲内だ。
挨拶を返し、視線をすぐにルイスへ戻す。
生気のない瞳に乾いた唇。鱗もどこかカサついて見える。
やはりこれは異常だと慌てふためく中、ディートハルトが小さく耳打ちした。
「後で話したいことがある」
「……昼休みは、エルフリーデに呼ばれているの。カレステンの件だと思うけど」
「ならその時でいい」
フン、と彼は鼻を鳴らし、ひと足先に教室へ入って行った。
ルイスを見やれば、彼も主人に続くために私の手をそっと退ける。
「すみません、また後ほど」
そう言って一礼したルイス。ディートハルトの荷物を教室に運ぶと、そそくさと従者クラスへ向かってしまった。
廊下に取り残された私は、荷物を拾い終えたドーリスに言葉をかけられるまで、その場で立ち尽くした。
そして、その不安はすぐに現実のものとなった。
午前の授業が全て終わり、昼休みに入るや否や、オットーが教室に入ってきた。
どこか落ち着かない様子で入室した彼は、ディートハルトを見かけると小走りで駆け寄る。
「荷物をお持ちします」
口の端をあげ、両手を差し出す彼にディートハルトは片眉をあげた。
「ルイスはどうした」
「えっと……」
主人からの問いに、オットーは一瞬だけ口篭った。
しかし、すぐにディートハルトの耳に口を寄せると、ヒソヒソと何かを告げる。
途端、ディートハルトは椅子を倒す勢いで立ち上がった。膝をついていたオットーが、驚きでひっくり返る。
「っどこでだ!?」
「う、うちの教室で、突然……今は保健室にいるそうです」
ディートハルトの空色が私を一瞥し、すぐさま逸らされる。そのまま教室を出ていく彼を、私は戸惑うことなく追った。
走り出さない速度で廊下を歩んでいると、すぐにギルベルトとニコラも追いついてくる。
「ちょいちょい、どうしたのさ」
「……多分だけど、ルイスに何かあったみたい」
今朝会った時に顔色が悪かったから、と告げると、ニコラが「ええっ!」と声を上げた。
並び歩くギルベルトが「俺たちが押しかけても良いのか?」と問うので、私は前方を歩く細身の背中を見つめる。
先ほどかち合った目は、ついて来いと言っているように見えた。
「大丈夫よ、多分」
「……そっか」
チラリとギルベルトがこちらを見た気がしたが、私が視線を向けた時には、すでに前を向いていた。
気のせいだったかもしれない。
ディートハルトが保健室の扉を開けた時、私たちはようやく彼に追いついた。
ルイスの名を呼びながら入室する彼の後に続くと、消毒薬のツンとした臭いが鼻腔を刺激する。
デスクに向かっていた部屋の主が、不愉快そうに振り返った。
「ここは傷病人のための部屋だ。入室は静かに」
「すみません、ヘア・ベック。友人の様子を確認したら、すぐに退出します」
養護教諭ならぬ治癒教員であるトーマス=ベックの小言を無視したディートハルト。
代わりに無言で頭を下げるオットーの脇から言葉を付け足せば、トーマスは神経質そうにため息を吐く。
険しい顔で、唯一カーテンのかかっていたベッドに向かうディートハルト。軽快な音と共に仕切り布を引き開ける。
そこには想像通りの人物が横たわっていた。
「突然倒れたそうだ。貧血に近い症状が見られるものの、具体的にはわからん。シュタルクが運び込まれるなんて、初めてのことだからな」
やれやれと言いたげな調子で椅子から立ち上がったトーマスが、ベッドに近付いた。
蒼白い顔で眠る従者を見下ろすディートハルトに、日頃の体調管理をどうしているかを問う。
が、有益な答えは出なかった。
これまで医師が必要になるほどの傷病歴がなかったからだ。
「ヘア・ティーリマンを呼んでくれ。彼なら何かわかるかもしれん」
「王宮魔術師の……? いくらノイマン家の従者とはいえ、シュタルクのために彼が来てくれるのか?」
いや、来るでしょ。あの変態なら。
とは言わなかったが、ディートハルトの要請にトーマスは渋々部屋を出ていった。
彼の態度に不満は抱えていそうではあったが……。
オットーもまた早々に出ていった。食事の用意をしているであろうデニスに状況を知らせに行ったようだ。
彼らが退室すると、しんとした沈黙が落ちた。
不意に、ディートハルトが言葉を落とす。
「少し前から、体調を崩していたようだ。本人は大丈夫だと言っていたから、そこまで気に留めなかったが……」
ちらりとこちらを確認する空色に、私も数歩ベッドに近付いた。
白雪姫のように眠る蒼白い顔。伏せられた瞼の上で、寝苦しそうに眉根が寄せられている。
ゲームには彼の倒れるイベントもある。それ故に、この姿は初めて見るものではない。
しかし、記憶に残るそれと違い、横たわる彼は全然綺麗じゃない。
げっそりとした病人の気配が漂うこの部屋には、死の臭いが充満している。
指先が白くなるほど硬く握った拳。時計の秒針がやけに耳についた。
ニコラがそっと近付き、ルイスの顔を覗き込む。
彼女は顔をしわくちゃにした。
「……ルイス、大丈夫なの?」
言葉を選ぶように問う。答えを口にする者は、一人もいない。
いや、————いなかった、が正しい。
「大丈夫じゃないね。このままじゃ、死んじゃうんじゃない? 彼」
割って入った軽薄な声。一斉に向けられた視線の中、彼は柘榴のように真っ赤な瞳で笑う。
握ったままの手がぶるぶると震えた。
「っ……滅多なことを言わないで頂戴————ヴィクトール」
久しぶりに呼んだ名は、酷く苦い味がした。




