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真面目で何が悪い  作者: 桜庭


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76話


 強襲が失敗に終わったと知った魔術師は、すでにどこかへ行ってしまったらしい。

 消えた防御壁の向こうは無人だった。


 くそ、と小さく溢す私の後ろで、エルネスタが戸惑いを含んだ声で私を呼んだ。

 あ、やっべ……。


 正直すぎる口元に手を当て、地面に座り込んだままエルネスタを振り返る。


「お怪我はありませんか、フラウ・リッター」


「え、ええ……お陰様で」


 居心地悪そうに視線を外すエルネスタ。

 訳がわからないなりに、自分が守られたことは理解しているようだ。それは重畳。


 すくと立ち上がり、制服の汚れを払う————と、同時に、ぐらりと体が傾いた。


「っフラウ・フォーゲル!?」


 エルネスタが驚愕する中、私は再び地面に倒れた。痛い……が、それ以上に眠たい。


 魔力を使い過ぎたのか、と歯痒い思いをしながら、どうにか瞼をこじ開ける。

 しかし、そんな私の抵抗も虚しく、重たい瞼はじりじりと視界を塞ぎ始めた。


 エルネスタの甘ったるい香りと必死な叫び声。

 最後に認識できたのは、こちらに駆け寄るローラントの姿だった。




 冷たい風が懐かしい香りを運んでくる。この香りはクロッカスだろうか。

 そういえば昔、国語の教科書でクロッカスの球根をあげたり貰ったりする話があった。


 もう思い出せないが、あれは一体どんな内容だったっけ?


 そんなことを考えながら、ふと目を開ける。

 視界いっぱいに広がった天井は、いつものそれじゃない。


 ガバッと体を起こすと、部屋の調度品を整えていたドーリスが大きく肩を震わせた。


「あ、アメリア様! 起きられたのですか?」


 パタパタとこちらに駆け寄る見慣れたメイド。

 以前会った時より少し大人びており、髪型もシニヨンに変わっている。


「なんでここにドーリスが……いえ、ここは……?」


「混乱されているようですね。ここはフンベルクのお屋敷です。アメリア様が昏倒されたと連絡を受け、カロリーナ様が一時帰宅を促されたのです」


 お義母様が、と意味もなく彼女の言葉を復唱した。

 顔色や目の焦点を確認した彼女は、安堵したような息を吐きて、床につけていた膝を離す。


 ふわり、と柔らかな花の匂いが遠ざかった。


「すぐにお医者様を呼んでまいりますね。詳しい話は、診察が終わってからにしましょう」


「……これだけ聞かせて、ドーリス。あの場にいたリッター家の方は?」


 ドーリスは困ったように眉を落とした。それから、ややあって「これは人伝てに聞いた話ですが」と前置く。


「学園を辞められたそうです。ただ、ご実家には戻られていないようで、今どちらにいらっしゃるかはわかりません」


「……そう」


 ありがとう、と呟くと、彼女は一礼して退室した。


 再び体をベッドに沈める。

 マットレスのスプリングが軋み、嫌な音を立てた。


 行方知れずとなったエルネスタ。私はちゃんと彼女を守れたのだろうか。


 本来ならば、あの場面で襲われるのは私の筈だった。

 そして、庇いに入るのは当然相手役となるヴィクトール。


 ここで彼の好感度が低いと敵の攻撃が仇となり、ヴィクトールは命を落とす事となる。

 好感度の高低で、アメリアの治癒術が間に合うかどうかが変わるらしい。いわゆるシナリオ分岐だ。

 

 ひとまず、その事態は避けられたようで良かった。


 少なくとも、彼は現れなかった。

 耳の早い彼の事だ。きっとあの場にはいただろうに。

 

 奥歯が小さく音を立てる。

 あの野郎、元とはいえ恋人を見捨てやがった。無事だとわかると今度は苛立ちが湧く。


 ごろりと布団の上で寝返りを打ち、私は小さく呟いた。


「やっぱり、アイツとは気が合わないわ」


 ノックの音が響き、ドーリスが主治医を連れて来た。

 後ろには目を潤ませ、顔を真っ青にしたカロリーナがいる。リヒャルトも後で来るそうだ。


 いずれにせよ、まずは己のメンテナンスが先だろう。

 ただの魔力切れだと思うが、存分に診て貰うとしよう。




 診察が終わり、ようやく詳細な話ができた。

 どうやら私は一週間近く昏睡状態だったらしい。そりゃカロリーナも泣くわと納得。


 診察の結果は異常なし。血圧も心拍数も問題ない。

 魔力や刻印に関しても、特に問題はなさそうだ。


 事件に関しては、学園の方で色々調べ回っているらしい。

 とはいえ、被害にあった私は昏睡状態。目撃者もなく、エルネスタも姿を消した。


 きっとエグモンドの手が周り、最終的には無かった事にされてしまうだろう。


 腹立たしいことだが、今ここで彼を敵に回しても事態は好転しないだろう。


 それよりも今は、気になる事がある。

 脳裏に浮かぶ、初めて見た不思議な魔術防御壁。

 

 あれは一体何だったんだろうか。


 翠と蒼の混じり合った壁は、本来かき消すことの出来ない火焔玉を見事に受け止めた。


 それどころかじゅうじゅうと音を立てて、鎮火させてしまった。


「……あり得ない」


 お茶を淹れていたドーリスが私の呟きを拾い、小さく首を傾げた。

 何でもないわ、と首を横に振り、彼女からカップを受け取る。ふわりと薫るハーブティーの香りにホッと緊張が解けた。


 カップをソーサーに戻し、サイドテーブルに置く。

 音を立てることなく両手を空けた私は、一旦そのまま魔力を集めてみる。


 小さな翠色の風がシュルシュルと音を立てながら、小さな渦を作り始めた。

 それはいつもと変わらない見慣れた魔術の種だ。ドーリスが驚いたように息を呑む。


「あ、アメリアお嬢様……急に何を?」


「ごめんなさい。ちょっと確認をしたいの」


 普段はこの種に形を与えて、魔術として発動する。

 魔力そのものは目に見えないが、こうして風や火の形を与えてやれば、視認ができる。


 当然その中に見慣れない蒼はない。

 あの色は、恐らく水の属性魔術に現れる色だ。


 こんな事なら、カレステンに魔術を見せてもらっておけば良かった。

 そんな後悔が頭をよぎる程、水の属性刻印を持つ魔術師は少ない。


 ふっと魔術を解き、魔力を霧散させる。緊張の解けた声が隣からして、少し申し訳ない気持ちになった。

 だが、これでハッキリした。


 先日の魔術防御壁には、水の属性が混じっていた。

 なぜ? 私の刻印は風なのに。


 ハッと思い出し、私はドーリスに声をかける。


「貴女、私のお守りを知らない? 雫型をした親指大の蒼い石の……」


「アドルフ様が以前お持ちになられていたものですよね。それならこちらに御座いますよ」


 柔らかなハンカチに包まれたそれを受け取り、ホッと息を吐く。

 E.Rとイニシャルの入ったハンカチは、おそらくエルネスタの物だ。真っ白なハンカチを握り締め、心の中で感謝を述べる。

 

 顔を上げた私に、ドーリスが続けて届いている見舞いの品を紹介した。

 友人たちはもちろん、ディートハルトやエルフリーデからも届いているらしい。これは何か返さねば。


「私がやっておきましょうか?」


「……お願いするわ」

 

 ドーリスが用意してくれていたカタログを、そのまま彼女に返却する。

 苦笑した彼女だったが、予想通りと言わんばかりだ。不甲斐ない。


 手紙だけ彼女に預け、私はようやく一息ついた。


 本当はもう一休みしたいところだが、既に一週間近く時間を無駄にしている。

 せっかく実家に帰ってきたのだからここでしかできないことをしよう。


 そう思い立ち、私は知らない間に着替えさせられていた寝巻きを脱いだ。


 やって来たのは実家の書斎だ。

 基本的には家族共有の部屋ではあるが、普段はカロリーナが社交のための手紙を執筆する場として使っている。


 しかし、彼女はベッドにいることも多い。

 特に今日は心労も溜まっただろうから、部屋にいるかもしれない。


 そう思いながら扉を開ければ、案の定、室内はひんやりとしていた。

 明かりを点け、書棚の間を進む。領内の治水に関する資料がないか、調べに来たのだが……どうやらここには置いていないらしい。


 生真面目なリヒャルトが領内について調べていないはずがない。

 とすれば、その辺は彼の自室か執務室に置いてあるのかも……。

 

 流石に、理由もなく見せてはくれないだろうな、と眉間に皺が寄った————その時だった。


 視界に飛び込んできたのは、一冊の古びた民話集。

 タイトルは『各地の始まりの物語』。


 震える手で引き出すと、擦れた表紙からパラパラと繊維が溢れる。

 繰り返し読まれた跡のある古いページを捲ると、そこには覚えのある地名があった。


『ヴァイツェンシュタットの始まり』


 心臓を鷲掴みされたようだ。浅くなる呼吸を落ち着かせるように、目を瞑る。


 探し求めていた本が、目の前にあった。

 内容はおそらく私の知っている伝説と同じだろう。しかし、本があるということは、これを記した人物がいる筈だ。


 その人物に接触できれば、ミーミルの泉に繋がる何かがわかるかもしれない。


 どきどきしながら、再びページを開こうとした。

 その瞬間、


「そこで何をしている」


 地を這うような低い声が、背後からかかった。

 バッと振り返る。そこに立っていたのは、厳しい顔付きのリヒャルトだった。






 

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