93話
翌日、学園はヴィクトールが行方を暗ましたという噂で持ちきりだった。
女性関係のトラブルによるものだという声が大きかったが、きっとそうではないのだろう。
エルネスタの事件をきっかけに私の特異な魔術属性がバレてしまったように、先日の出来事をきっかけに、ヴィクトールがシュタルクの知識を持っていると、エグモンドは知ってしまった。
是が非でもその叡智を得たいと、エグモンドはヴィクトールを監禁……するつもりだったようだ。
ヴィクトールは風のようにするりとその手をすり抜け、そのまま学園の外まで飛んでいってしまった。
「……私なんか攫おうとせず、さっさと出てしまえば良かったのに」
遠くでエグモンドの配下たちがバタバタと走り回る声がする。いなくなったヴィクトールを探しているのだろう。
城に隣接している学園からは、彼らの動きが良く見える。
そんな彼らを見下ろしながら、私は今日も呑気に授業を受けていた。
まるで、月下の邂逅なんてなかったかのようだ。
「アメリア、帰ろうぜ」
授業が終わるや否や、ギルベルトが私の手を取る。
ドーリスがカバンを持ち、私の半歩後ろに下がった。
「んふふ、アメリアってば、ちっちゃい子みたい」
ニコラが揶揄い、私も不服だがそれに同意。
こんなお守りがつくなんて、予想だにしていなかった。
今朝早く、ギルベルトは女子寮前まで迎えに来てくれた。昨晩のことを気にかけてくれたらしい。
犯人が捕まっていないこともあり、暫くは彼の送り迎えが付きそうだ。
しかし、捕まるわけがない。彼はもうこの学園にいないのだから。
思わず吐いてしまったため息を、目敏く見咎めるドーリス。
失礼、と揃えた指先で口元を抑えると、ニコラが「仕方ないよ」と私のフォローに入った。
「貴族の誘拐自体は珍しい話じゃないけど、学園内ではほぼ起こり得ないことだから。いくらアメリアでも、気が滅入るよね」
「ニコラ? いくらアメリアでも、は余計よ」
思わずツッコミを入れると、ニコラはへへっと小さく笑った。
まったく、と平時と変わらないニコラに肩を落とす。
腫れ物を触るような扱いも心苦しいが、ここまでいつも通りだと、誘拐騒ぎなんてなかったかのようだ。
しかし、女子寮の前に立つ厳しい警備を見て、やはり昨夜のことが現実だったと思い直す。
同時に私の脳裏に過ぎるのはヴィクトールの言葉。
私の誘拐が、本当にエグモンドの差金だったとしたら……彼の魔の手はまだ届く距離にある。
ヴィクトールが姿を消したからといって、彼の悪巧みが無くなったわけじゃないだろう。
第二の刺客が来ないとも限らない。
私はちらりと隣に並ぶ友人たちを盗み見た。
彼らを巻き込むわけにはいかない。どうにか遠ざけられないだろうか。
そんなことを考えていると、ギルベルトが厳しい声で私を呼んだ。
高い位置にある彼の顔を見上げると、見透かすようにこちらを見下ろしている。私はキュッと口角を上げた。
「なあに?」
「とぼけたフリをしても無駄だぞ。……明日の朝も迎えに来るからな」
笑顔で誤魔化そう作戦は駄目だった。
不満げな私の額を小突いたギルベルトは、悪戯っ子のような笑みを浮かべると踵を返す。
ニコラとドーリスにも挨拶を残し、ギルベルトは男子寮へと向かった。
わざわざ面倒見の良いことだ。
肩を竦める私の横で、ニコラたちがニヨニヨとした笑みを浮かべている。
「甲斐甲斐しいねぇ〜」
「ええ、本当に。頼もしい限りですわ」
嫌なコンビができてしまった。
山なりの目をした二人に揶揄われる前に、私はひと足先に女子寮の中に入る。
自室に戻ると、一気に疲れがやってきた。
着替えることもせず、ベッドの上に体を預ける。
頭の中では昨日今日の出来事が、ぐるぐると駆け巡った。
ルイスのこと、ヴィクトールのこと。
解決したようで、何も進んでいないような気もする。
仰向けになり、天井に向かって左腕を伸ばす。
制服の袖に隠された左の二の腕。そこにあるのは、魔力で刻まれた風の属性刻印だ。
この刻印を、ヴィクトールは『珍しい刻印』だと言った。
きっと水の属性魔術を使ったことを指して、そう言ったのだろう。
しかし、だとしたらおかしい。
私が水の魔術を使えたのは、魔石と精霊のお陰の筈だ。
少なくとも、私が水の魔術を使った時は、いずれも魔石を手にしていた。
思考が行き詰まる。
もっと彼から情報を引き出せればよかったが、私には彼の望みを叶えてあげられない。
だから、きっとこれで良いのだろう。
力を抜くと、伸ばした腕が顔の上に降ってくる。
少し疲れた。このまま一眠りしてしまおうか。
目を閉じたまま、うつらうつらと午睡に興じることにした。
夢の中で、私は自分によく似た彼女と会う。
彼女は何も言わず、ただ静かに笑っているような気がした。
あれから二週間が経過した。
意外にも、エグモンドはヴィクトール捜索に注力しているようだ。
他に行く場所がないと思っていた便利な傀儡がいなくなり、相当焦っているらしい。
まあ、刻印を継いだだけでもラッキーなのに、その子がシュタルクの秘密を握っているなれば仕方ないか。
あの魔術狂が手放したくないと思うのは必然だろう。
だからだろうか。
私やギルベルトが案じるような、二度目の襲撃は行われなかった。
一度の失敗で手を引くような男じゃないから、油断は禁物だが……さすがにもう送迎はいらないだろう。
登校中、そう話を切り出せば、ギルベルトは少し拗ねたように唇を尖らせた。
「……なんだよ。俺と一緒に歩くのが嫌なのか?」
「そういうわけじゃないけど……貴方だって他の友人との付き合いがあるでしょ?」
心当たりがないわけじゃないらしいギルベルト。あー、と声を上げながら、空を見上げる。
しかし、すぐに「まあ、アイツらなら気にしないだろ」と開き直った。
「もっと友達を大事にしなさいよ」
「してるだろ」
ギルベルトの骨張った指が、私を指す。
行儀が悪い、と指先を横にそらせば、ギルベルトはやべっと言いたげに片目を瞑った。
私が気にしないように振る舞うギルベルト。
そんな彼の優しさに思い出すのは、ヴィッセンシュタットへ向かう道中で聞いたブルーノの言葉。
————最初っから坊ちゃんの頭にはお嬢さんのことしかありませんよ
大袈裟だと思う。そんなわけないだろう、とも。
しかし、彼の過保護な一面は、確かに私への————いや、『アメリア』という存在への執着にも見える。
だとすれば、これは不健全だ。
ギルベルトの感じる私への好意は、きっと『私』へのそれではない。
「友達は、私だけじゃないでしょ」
自分でも冷たい物言いだと思った。
ギルベルトが驚いたように目を瞬く。
戸惑ったような声で、ギルベルトが「アメリア?」と私を呼んだ。
なんでもないわ、と彼の言葉を振り切り、教室に入る。
その背を追ってきたギルベルトの手が私の肩を掴んだ、その瞬間だった。
「ッヴァイツゼッカーはいるか!?」
突然、ローラントが教室に駆け込んだ。
珍しい担任の姿に、教室中が言葉を失う。
そんな中、彼は珍しく深刻な顔でこう言った。
「今すぐ寮に戻って荷物をまとめて来い。……ヴァイツェンシュタットで、暴動が起こった」
すっと、世界が色を失った。




