94話
カタカタと回る車輪。空は高く、どこからかトンビの鳴く声が聞こえた。
十分な広さの馬車に座るのは、私を含めたフォーゲル家の四人。
厳格な顔のリヒャルトはいつも通りだが、隣に座るカロリーナもまた青い顔で黙り込んでいた。
アドルフの静かな眼差しが、時折私の様子を伺うようにこちらを覗く。
私は黙って彼の華奢な手を握り締めた。
膝下に落とした眼差しは、どこに向けて良いのかさっぱりわからない。
ただ、口から出そうな不安を飲み込むだけで精一杯だった。
ヴァイツェンシュタットで暴動が起きた。
その報告を受けたギルベルトは真っ青な顔で教室を飛び出し、その日中に故郷へと旅立った。
それから半月が経ち、今度は私とアドルフが教員室に呼び出される。
要件は端的であった。
————ヴァイツゼッカー子爵が亡くなった。
息を呑む私たちに、ローラントはリヒャルトからの通達文を告げる。
それは、カロリーナの縁者として献花に向かうための準備を整えるように、というものだった。
数日のうちに上等な馬車が迎えに上がり、私とアドルフは足早に乗り込む。
迎えに来たルッツに今後の流れを聞き、私たちは黙って言われるがままに従った。
それは両親と合流してからも変わらない。
真っ赤に泣き腫らした義母の目を見て、私は喉の奥で言葉が詰まった。
吐き出すことのできない感情を押し込みながら、ただ彼女の縋り付くような抱擁を受け入れる。
「私どもは先に参りますので、皆様は後からお越しくださいませ」
馬車を変えたルッツの言葉に、リヒャルトが重々しく頷く。
こうして、ヴァイツェンシュタットに向けて走り出すフォーゲル家の馬車が出来上がった。
それから数時間。
誰一人として口を開かないが、私は逆にそれが有り難かった。
あの長閑な小麦の町で何があったのか。
子爵の息子、エーリアスとギルベルトは無事なのか。
解消されることのない不安がいくつも浮かんだが、それ以上に心を占めたのは両親のことだった。
リヒャルトたちのことではない。
私の————アメリアの生みの親である、シュナイダー夫妻のことだ。
七歳の時に別れ、一切の関係を絶ってきた故郷。
十年近い年月を経て、私は再びあの黄金色の田舎町に脚を踏み入れる。
心臓が大きく跳ね、どうしようもない不安が喉元まで競り上がった。
アドルフと繋いだ手に力が籠る。恐る恐る握り返された手の力は弱々しく、どこか頼りない。
馬車が轍を引く音だけが、静かな車内に響き渡った。
久方振りに見た子爵邸は、子供の頃の記憶より小さく見えた。
最後に来たのは、それこそフォーゲル家に養子入りする前のことだから、仕方ないのかもしれない。
「遠路遥々、よくお越し下さいました」
最後に見た時よりもずっと立派になったエーリアスが、新しい当主として出迎える。
会わなかった年月の長さを感じさせる顔立ちで、彼はぐるりと私たちを見回した。
くっきりと刻まれたクマと少しこけた頬が、現状の厳しさを物語っている。
「久し振りだね、アメリア。相変わらず綺麗だ」
「……お久しゅう御座います、エーリアス様。この度はご愁傷様で御座います」
唯一、記憶の中の彼と変わらない優しい若草色が柔らかさを増す。
消え入りそうな声で挨拶を返せば、彼は寂しそうに笑んだ。
「すっかり立派な淑女だ。アーデルハイトがいたら、喜んだだろうね」
エーリアスは私たちを中に招き入れ、それから教会へと案内した。
献花は粛々と済んだ。泣き崩れるカロリーナを支えるリヒャルト。
啜り泣きが聞こえる墓地で、私は見慣れない墓石を無言で見下ろした。
「事故でした。シュタルクが暴動を起こし、偶然、父の乗った馬車が横転したんです。……そして、運悪く橋の下に……」
エーリアスの淡々とした声が、事の経緯を物語る。
しかし、シュタルクたちが何に暴動を起こしたのか、彼は語らなかった。
聞けば答えてくれたのかもしれないが、悲しみに暮れるカロリーナの前でそんなことをする者は一人もいない。
私もまだ、そんな話を聞く気分ではなかった。
灰色の大きな石碑。
私の知る彼はこんな姿ではない。
領主として生きることを選び、父として生きることのなかった男。
厳しくも、どこか茶目っ気の残る一面があった。
私を子供として扱わず、多忙な中、一人の魔力持ちとして人生の選択権を与えてくれた。
今の私がここにいるのは、彼がいたからだ。
たとえそれが、シナリオ通りだったとしても————……
足元で砂がじゃり、と音を立てる。踵を返した私に気付いたのか、エーリアスが私を呼んだ。
「……ご両親に、会いに行くかい?」
優しい問いかけ。
その言葉だけで、二人の無事がわかった。
溢れそうになる涙を堪え、私は静かに首を横に振る。
アドルフと繋いでいた筈の手は、いつの間にか離していた。
子爵邸へと戻ると、みんなはあてがわれた客室へと引っ込んだ。少しでも心身の疲れを取りたいのだろう。
既に収拾がついたとはいえ、暴動が起こったばかりの土地に長居するわけにはいかず、明日にはここを立つのだから。
私はというと、もう一人の子爵子息を探していた。
太陽のように笑うあの子の顔を、今日はまだ見ていない。
エーリアスの自由に過ごして構わないという言葉に甘え、私は勝手知ったる子爵邸をうろうろとする。
顔見知ったガーデナーと挨拶を交わしたかと思えば、初めて見るページボーイとすれ違う。
知っているのに、知らない場所。
ここに通っていた日々が、遠い昔のことのようだ。
そんな昔の記憶を掘り起こしながら歩き回るが、どこに向かってもギルベルトの姿は見当たらない。
屋敷からは出ていないと聞いたが、こっそり抜け出しでもしたのだろうか。
あとは彼らの私室しかないが、部屋にはいなかったと先ほどハウスメイドが……。
そこまで考えて、はたと思い出す。
そういえば、まだ探していない場所があった。
私は礼服のスカートを翻し、絨毯の敷かれた長い廊下を再び歩き出す。
滑りの良い木製の手すりに手を沿わせ、くるくると円を描く螺旋階段を登る。
かつて、たった一度お邪魔した、苦い思い出の場所。
記憶より狭く、埃っぽい屋根裏部屋。
配置が変わったのかすら定かでない家財の中を進むと、夕焼けの差し込む小さな出窓が開かれていた。
……やっぱり。
呆れたような、安堵したような気持ちが心中を占める。
子供の頃は二人で通った道を一人で歩み、私は出窓から上半身を覗かせた。
見上げた先にあったのは、だらりと伸びた長い足先。相変わらず危なっかしい男だとため息が出る。
「屋根に登るの、禁止されていたんじゃなかった?」
ギルベルト、と名前を呼ぶと、微かに揺れていた足がピタリと止まる。
ひょいと長い足が隠れ、代わりに見慣れた青年の顔が私を見下ろした。
「子供の頃の話だよ。…………禁止してた人がいなくなっちまったからな」
僅かに伏せられた目を見て、失言に気付く。
私は「ごめんなさい」と小さく謝罪した。
ふ、と息を吐くような笑い声が聞こえ、視線をあげると若い黄緑色の瞳と合う。
夕日のせいか、微かに柔らかくなった面持ちで、ギルベルトが言った。
「上がって来いよ。今度はちゃんと支えるからさ」
「……私、スカートなんだけど」
いつぞやと同じ言葉に、ギルベルトはやっぱり頬を赤くする。
が、すぐに「大丈夫。下には誰もいないし、見えないように俺も気を付けるから」と言った。
脳裏に過去のトラウマが思い起こされる。
しかし、伸ばされた手は戸惑う私の腕をぐっと掴み、急かすように引っぱった。
仕方ないと腹を括るのに、そう時間はかからない。
私は自分からも逞しいギルベルトの腕を掴んだ。




