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最凶公爵令嬢は微笑まない―誰も、彼女の季節を止められない―  作者: 玉響すばる


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第41話 物語が閉じたあとに残るものこそ、その人が本当に選んだものになる

 大きな出来事が終わると、人はつい、その瞬間で物語も終わったように感じる。


 断罪が返された。

 婚約は解消された。

 王家も公爵家も整理を終えた。

 なら、そこで全部が決着したのだと。


 けれど本当に残るのは、そのあとだ。


 誰も見ていない場所で何を続けるか。

 誰にも褒められない選択を、なお選べるか。

 相手がもう自分を見ていなくても、自分の足で立ち続けられるか。


 物語が閉じたあとに残るものこそ、その人が本当に選んだものになる。


 北部視察から数日後、王城では施策修正の初動確認が始まっていた。


 中継優先順位の明文化は想定より時間がかかっている。

 小規模施設への看護補助手当も、現場へ落とすまでには細かな齟齬が出る。

 当然だった。


 制度は、通した瞬間に完成するわけではない。

 むしろ通したあとで現実に擦れ、削れ、修正を要求される。


 その日の執務室で、エドガルドは文官の報告を最後まで遮らずに聞いていた。


「北部第三中継所ですが、判断権の分散について一部反発がございます」


「理由は」


「従来の慣例が崩れることと、責任の所在が明文化されることへの抵抗かと」


 エドガルドは短く考えた。


 少し前の自分なら、苛立ったかもしれない。

 なぜ通したものをすぐ動かせないのかと。


 だが今は違う。


 人は責任が明確になることを嫌う。

 慣例で曖昧にしていた方が楽な者もいる。

 そういう当たり前を、今は前より理解できる。


「反発の文言をそのまま上げさせろ」


 彼は落ち着いて言う。


「その上で、判断権を持つ側の負担軽減策も合わせて出す。ただ命じるだけでは動かない」


 文官がすぐに書き留める。


「承知いたしました」


 それは目立たない判断だった。

 だが、明らかに以前とは違う。


 相手が従わない時、それを怠慢や敵意だけで読まない。

 構造の抵抗として捉え、その上でどう動かすかを考える。


 未熟さが消えたわけではない。

 それでも、同じところで転ばないための見方は育ち始めていた。


 報告が終わったあと、文官が一瞬ためらい、それから言った。


「殿下」


「何だ」


「最近のご判断、以前よりずいぶん……落ち着かれました」


 エドガルドは少しだけ目を細めた。


 褒め言葉なのだろう。

 だが、素直に受け取る気にはなれなかった。


「落ち着いたのではない」


 低く答える。


「痛い目を見ただけだ」


 それは自嘲ではなく、事実だった。


 人は学ぶ。

 だがその学びは、たいてい格好の悪い形でしか身につかない。


 別邸では、その日フィオナが久しぶりに外套を羽織って庭へ出ていた。


 見学以来、何かが急に決まったわけではない。

 地方へ移る話が具体化したわけでもない。

 エレノアから特別な次の誘いが来たわけでもない。


 けれど、それでも彼女の中には少しずつ変わったものがあった。


 以前のように、返事一つで心が天へ跳ねたり地へ落ちたりすることが減っていた。

 気にならなくなったわけではない。

 まだ期待もあるし、不安もある。


 それでも今は、“返事が来たら私はどうなるのか”より、“私は何を求めているのか”の方が少し重くなっている。


 庭の冷たい空気を吸い込みながら、フィオナは立ち止まった。


 遠くに枝ばかりの木が見える。

 花もない。

 飾りもない。


 でも、春が来れば何かは芽吹くのだろう。

 そう考えた時、以前の自分ならきっと、そこへすぐ希望の比喩を重ねていただろう。


 今はそこまで綺麗に考えられない。


 芽吹くものもある。

 枯れたままの枝もある。

 手入れをしなければ咲かないものもある。


 現実は、そのくらい雑で当たり前なのだと、少しずつ身体で分かってきたからだ。


「フィオナ様」


 女官が少し離れた場所から呼ぶ。


「お時間でございます」


「ええ」


 返事をしてから、フィオナは最後に一度だけ空を見た。


 王城へ戻りたい気持ちが完全に消えたわけではない。

 エドガルドをもう何とも思わないわけでもない。

 レティシアへの感情が綺麗に整理されたわけでもない。


 それでも、もう前のように“誰かが何かしてくれれば全部が戻る”とは思っていなかった。


 戻らないものは戻らない。

 その上で、自分が何を残したいのかを考えるしかない。


 それは寂しい。

 けれど、前よりは足が地面についている感覚でもあった。


 王妃宮では、その日の別邸報告を読み終えたあと、王妃が静かに紙を閉じた。


「少しずつ、ですわね」


 側仕えが頷く。


「はい。急な改善ではございませんが」


「それでいいのよ」


 王妃は穏やかに答える。


「急に変わる人間は、急に戻ることもあるもの。少しずつ、自分で考える時間が増える方が長持ちするわ」


 それは、エドガルドにもフィオナにも共通していた。


 劇的な悔悟より、地味な修正。

 派手な決意より、日々の選び方。


 そこにしか本当の変化は宿らない。


「ヴァルメル夫人の件は」


「今のところ、静観でよろしいでしょう」


 王妃は窓の外を見たまま言う。


「少なくとも今は、あの夫人がいなくてもフィオナは自分で考え始めている。なら、以前ほど危うくはない」


 完全に安全とは言わない。

 だが、中心が少しずつ外から内へ移りつつあるなら、それは良い兆候だった。


 アシュベルン公爵邸では、レティシアが夕方、庭の端を一人で歩いていた。


 仕事はもう片づいている。

 明日の予定も整っている。

 空は少し明るく、風はまだ冷たい。


 このところ、彼女はあの件について考える時間が目に見えて減っていた。


 無理に忘れようとしているわけではない。

 ただ、本当に必要なことがもう終わっているからだ。


 必要な整理はした。

 必要な線引きもした。

 その先は、相手が自分で歩く領域だ。


 そこへまで自分が責任を持つ必要はないし、持つべきでもない。


「お嬢様」


 背後からセバスチャンが近づく。


「旦那様が、今夜は早めに休まれると」


「そう」


 レティシアは小さく頷く。


 それから少しだけ間を置いて、ふと問う。


「セバスチャン。終わったあとに残るものって、何だと思う?」


 珍しい問いだった。

 セバスチャンも一瞬だけ考える。


「……人によるかと」


「そうね」


 レティシアは薄く笑った。


「私はね、結局、習慣だと思うのよ」


 彼女は歩きながら続ける。


「怒りも悲しみも、時間が経てば薄れることはある。でも、そのあとに何を習慣として残したかは、そのままその人になるでしょう?」


 感情ではなく、習慣。


 エドガルドなら、確認すること。

 フィオナなら、自分の願いを少し疑ってみること。

 自分なら、終わったものへ戻りすぎないこと。


 そういう小さな繰り返しが、結局その人の形を決めていく。


「ですから、お嬢様はもう戻られないのですね」


「ええ」


 レティシアの返答は静かだった。


「もう、あの件へ自分の熱を戻す習慣がないもの」


 それが終わりだった。


 赦しでもない。

 和解でもない。

 ただ、自分の毎日をそこで回さなくなったというだけ。


 でも、人が人生を進めるには、それで十分なことも多い。


 夜、王都の灯が穏やかに広がる中で、それぞれの場所にいる三人は、もう同じ物語の中にはいなかった。


 王太子は、自分の失点を埋めるのではなく、次の失点を減らす方向へ歩いている。

 元聖女は、誰かに必要とされることで自分を保つのではなく、混ざりもの込みの願いを抱えたまま、それでも何を残すかを考え始めている。

 最凶公爵令嬢は、もはやその二人を自分の中心へ置かず、自分の季節と領分を前へ進めている。


 物語が閉じたあとに残るものこそ、その人が本当に選んだものになる。


 だから終わりとは、何かを派手に失うことではなく、もうそれなしで日々を進められるようになることなのだ。

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