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最凶公爵令嬢は微笑まない―誰も、彼女の季節を止められない―  作者: 玉響すばる


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第38話 変わり始めた人間は、劇的な言葉より同じ過ちを繰り返さないことでしか証明できない

 人が変わったかどうかを、一言で見抜けることは少ない。


 謝罪の言葉。

 決意の表明。

 涙ながらの反省。


 そういうものは、たしかに心を動かす。

 だが本当にその人を変えるのは、もっと地味で退屈な反復の方だ。


 同じ局面で、前と違う選択をする。

 同じ感情が湧いても、前と違う処理をする。

 それを何度も積み重ねて、ようやく周囲の評価も、自分の内側も変わっていく。


 北部視察の最後の訪問先は、小さな備蓄庫と行政詰所を兼ねた建物だった。


 施療院や孤児院ほど感情を引きやすい場所ではない。

 子供の咳も、感謝の言葉もない。

 あるのは在庫表と搬入記録、傷んだ樽、足りない運搬手段、そして数字に現れきらない遅延だけだ。


 だからこそ、ここで何を見るかは、その人間が“感情の外”をどれだけ見られるかをよく表す。


「今冬は、想定より二度、搬入が遅れました」


 詰所の責任者が淡々と説明する。


「薬材そのものではなく、馬車と人手が足りず」


 エドガルドは記録帳を見ながら問う。


「どこで詰まる」


「街道の中継です。町から町へ渡す段階で、優先順位が曖昧なまま止まることがございます」


 責任者の言葉を受け、同行の文官が何か書きつける。

 エドガルドはそのまま続けた。


「施療院側には、この遅れはどう伝わる」


「多くは直前です。届くか届かぬかが分かる頃には、すでに代替の手配も難しく」


 その一言に、エドガルドは短く息を吐いた。


 問題は善意の不足ではない。

 連絡の遅さと優先順位の曖昧さだ。


 つまりまた、仕組みだった。


「次季までに、中継地点ごとの判断権を明文化しろ」


 エドガルドは同行文官へ言う。


「運搬の詰まりを“その場の裁量”で済ませるな。冬場の薬材は、食糧と同格で扱う」


 文官が即座に頷く。


「承知いたしました」


 その判断に劇性はない。

 だが、以前のエドガルドにはこういう発想の持ち方が足りなかった。


 目の前の痛ましさへ心を動かされることはあっても、その背後の流れを固定する発想が弱かったのだ。

 今は少し違う。


 可哀想だと思う。

 だが、それだけでは終わらせない。

 どこを変えれば次に詰まりにくいかへ意識が向く。


 それは派手な成長ではない。

 けれど、本当に意味がある変化だった。


 別邸では、フィオナの返書がヴァルメル夫人へ送られたあと、不思議な静けさが訪れていた。


 返事を待つ。

 その事実は前と同じだ。


 だが今は、“早く何か言ってほしい”という焦りだけではない。

 自分が書いた言葉が頭の中へ残っている。


 ――自分の力が足りないことも、自分の気持ちが綺麗ではないことも、少し分かったうえで。


 その一文を出してしまった。


 誰かに見せてしまった。


 そう思うと恥ずかしさもある。

 だが同時に、その恥ずかしさをごまかすために“やっぱり取り消したい”とは前ほど強く思わなかった。


 自分が未熟で、利己的で、認められたがりであること。

 それを認めたら、全部が嘘になると思っていた。


 でも実際には違った。


 混ざりものを認めたあとでも、残るものは残る。

 施設の子供たちが気になるという感覚は、やはり消えなかった。


「……まだ、気になるのね」


 窓辺でそう呟く。


 前なら、この気持ちをすぐ“だからわたくしは善良なのだ”と意味づけたかもしれない。

 今はそこまで単純には飛べない。


 善良さの証明ではない。

 ただ、見てしまったものが残っているだけ。


 その曖昧さを抱えたまま、フィオナはしばらく黙っていた。


 女官が午後の茶を運んできても、彼女は礼を言うだけで、余計な話はしない。

 だが沈黙の質が、少しずつ変わっていた。


 以前は、怒りを抑え込んだ沈黙だった。

 今は、内側の言葉を整理している沈黙に近い。


 王妃宮では、その変化が記録の端々から読み取られていた。


「別邸にて大過なし。使用人への過敏な反応減少」


 側仕えが読み上げる。


「書状送付後も落ち着いております」


 王妃は記録を閉じる。


「なら、少なくとも言葉だけの昂ぶりではなかったのね」


「はい」


「ただ、ここで安心するのは早いわ」


 王妃の声は静かだった。


「人は、一度“分かった気になる”と、その次にまた同じ型へ戻ることがあるもの。大事なのは次の刺激が来た時にどう動くかよ」


 これはエドガルドにも、フィオナにも共通する話だった。


 人は一度の反省で別人にはならない。

 試されるのは、次の局面だ。


 同じように心を揺らす場面が来た時、前と違う処理ができるか。

 そこではじめて、本当に変わり始めたかどうかが見える。


 アシュベルン公爵邸では、レティシアが夕方、父と短い確認を終えていた。


 北部視察の途中報告。

 別邸の静穏。

 教会側との緩やかな接続継続。


「動きが小さくなったな」


 アルベルト公爵が言う。


「ええ」


 レティシアは頷く。


「でも、小さい時ほど本質が出やすいわ」


「そうか」


「大きな事件の時は、誰でもそれなりに反応するもの。でも、その後の小さな局面で何を繰り返すかが、その人の形になるのよ」


 公爵は娘を見た。


「お前は、それをよく分かっているな」


「見てきたもの」


 それだけの返答だった。


 彼女自身もまた、強さを一瞬の激情や勝利で作ってきたわけではない。

 感情があっても判断へ持ち込まない。

 終わった相手へ戻らない。

 必要以上に自分の存在を相手の物語へ入れない。


 そういう選択を積み重ねてきたから、今がある。


「フィオナはどう見る」


 父の問いに、レティシアは少し考えた。


「入口には立ったわね」


「変わる入口か」


「ええ。でも、まだ入口よ」


 彼女は静かに続ける。


「自分の混ざりものに気づいた。現実の重さも少し見た。でも、それだけではまだ足りない。次に“必要とされたい”場面が来た時、自分をどう扱うかを見ないと」


 つまり、次の試しが必要なのだ。


 ヴァルメル夫人からまた肯定された時。

 施設側から何か具体的な手伝いを求められた時。

 あるいは王城側から別の温度の言葉が来た時。


 その時に、また以前のように意味を膨らませるか。

 少し立ち止まって見られるか。


 その差が出る。


 夜、ヴァルメル夫人からの返書が再び別邸へ届いた。


 今度の文面は、フィオナの率直さを静かに受け止めるものだった。


 混ざった気持ちを恥じる必要はないこと。

 誰かに必要とされたいと思うことと、誰かを助けたいと思うことは、完全には分けられないこと。

 ただ、その両方を知ったうえでなお現場を気にかけるなら、それは大切にすべき感覚であること。


 そして最後に、こう添えられていた。


 ――急がずとも、次に見るべきものはございます。もしよろしければ、今度は施療だけでなく、日々の運営の方も少し見てみるとよいかもしれません。


 フィオナはその一文で、心がまた少し大きく揺れるのを感じた。


 次に見るべきもの。

 施療だけでなく、運営。


 それは前回より一段深い場所だった。

 ただ感謝されに行くのではない。

 もっと地味で、もっと現実的で、もっと退屈かもしれない場所を見ることになる。


 少し前の自分なら、それをつまらなく感じたかもしれない。

 でも今は、その“退屈かもしれない”こと自体が、むしろ本物のように思えた。


「……見てみたい」


 口に出してから、自分でその言葉の重みを確かめる。


 前みたいに、ただ必要とされたいだけの高揚ではない。

 まだその気持ちはある。

 でも、それだけではない。


 何が足りないのか。

 どう回っているのか。

 そこを知らずに“役に立ちたい”と言うのは、やはり薄いのだと感じ始めているからだ。


 それは、ほんの小さな違いだ。

 だが確実に違う。


 変わり始めた人間は、劇的な言葉より同じ過ちを繰り返さないことでしか証明できない。

 フィオナにとっての次の試しは、まさにそこにあった。


 綺麗な意味づけへ戻るか。

 それとも、少し退屈で、少し地味で、それでも現実へもう一歩踏み込むか。


 物語は、そこから最後の形を決めていく。

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