同居3
かなり急いで来たのか、正午が目を吊り上げている。だが、お小言を食らう事はなかった。
何故かって。
そんなの森のおかげに決まってる。いや、森の所為と言うべきか。
席についた正午が飲み物を注文する間もなく「久しぶり」と挨拶をしたと思ったら、部屋から持って来た鞄をその腕に押し付けたのだ。
「何ですか?」
流石の正午も森には強く出られないらしい。戸惑った視線と共に問い返す。
それに森が『とても良い笑顔』を浮かべる。
「幽霊退治に来てくれたんでしょ、だから着替え」
その言葉に正午は無言のまま鞄の中を確認して仏頂面をする。
「おい、着替えって?」
話が見えないので森に問いかけると、何を当たり前な事をと言った顔を向けられる。
「言ったでしょ、私が住んでるのは女子寮だって」
「ああ、そう言えば」
「そんなに厳しくはないけど、男連れ込んだらすぐ噂になるんだよ」
「身内って事にすればいいだろ」
「兄弟いないって言っちゃったし、親戚の子って言っても二人も?って聞き返されるに決まってるじゃない。だから、正午くんには変装して貰おうと思って」
どうして正午だけ?
と言うか、正午が顔顰めてるんだけど、鞄の中に着ぐるみでも入ってたのか?
「……スカート」
ボソッと呟かれた言葉に「え?」と首を傾げる。
「ミニスカートが入ってるって事は女装しろって事ですか」
正午が溜め息混じりに森へと質問する。それに「うん」と頷き言葉を続ける。
「同い年のいとこが彼女連れて様子を見に来たって事にするから」
『同い年のいとこ』と言うのが俺なら、その彼女が正午って事か。
渋面を作って不機嫌をアピールしている正午には悪いけど、俺としては異存などある筈がない。仮とは言え、彼氏彼女として振る舞えるのだ。むしろウェルカム、どんと来い状態だ。
「タイトだけど、ウェストの部分はゴムだから正午くんでも入ると思うよ」
無表情ながらもどこか楽しそうな森に言い返せなかったのか、正午が鞄を持ってトイレへと向かう。そして五分ほどで戻って来た。
森が言っていた通り、迷彩柄のタイトスカートにハイネックの黒のセーター。
女装と言えば、ドぎついピンクでフリルひらひらなのを思いがちだが、落ち着いた色合いのそれは驚くほど正午に似合っていた。
別に女に見える訳ではない。かと言って男にも見えない……整合性のある答えを出すとするならボーイッシュな女の子ってところか。
「似合ってる、可愛い」
どこか上機嫌でそう言う森に正午が何とも言えない複雑な顔をする。そして「スカート緩いんですけど」と呟く。
「その格好ならローファーでもおかしくないしね」
その言葉に正午の足元を見ると、確かにさっき履いていたローファーのままだ。靴までは用意できないと判断したのだろう。
だが、スカートにあわせたのか黒のニーハイを履いている。これが女子っぽく見せているのか。
正午の女装で一頻り盛り上がったあと、森が改めて事態の説明をする。
聴き終えた正午が大雑把にまとめる。
「幽霊が出ると言う噂があって、森さんの部屋に誰かが立ち入っていると思われるって事ですね」
「うん。だから幽霊かどうか先に確認しようと思って」
「現場に行く必要なんてないですね」
「え?」
森と一緒に俺も声を上げて首を傾げる。
話を聞いただけで解決できるとは思えない。せめて部屋に行って幽霊が出るかどうかだけでも確認した方がいいと思うけど。
「幽霊なんてそういるものじゃありませんし、いたところで森さんの部屋を荒らすメリットなんてありませんから」
「……って事は、誰かが無断で森の部屋に入ってるのか?」
「はい」
俺の質問にコクンと頷き、「ああ、でも」と何かを思いついたように正午が呟く。
「数年前に自殺した人がいるかどうか確認してみますか?」
「どうやって」
「女子寮なんですよね、だったら管理人がいるんじゃないですか」
その言葉に森を見る。あっさりと解決しそうな事に戸惑っているのか、森が自信なさげに「一日置きに来てる」と答える。
「今日は?」
「午前中に来てたはず……でも管理会社の連絡先教えて貰ったから」
そう言って携帯を取り出し、電話をかける。
簡単に挨拶をして「女子寮の人に聞いたんですけど」と用件を切り出す。
「私の部屋で数年前に学生が自殺したって本当ですか」
管理会社の返事は当然ながら聞こえないが、森が「はい、ええ。そう聞きました」と相槌を返す。
そのまま保留にされたらしく、「今調べるって」と森が小声で囁く。
五分ほどして「どうですか」と森が言う。
「そうですか、分かりました。ありがとうございます」
通話を終えて携帯をしまう。それきり難しい顔で考え込んでしまうので、どうだったのか気になるが、口を挟める雰囲気ではない。しかし、俺の隣で涼しい顔して女装している正午が空気を読んだりする筈などない。
「自殺した学生なんていなかったでしょう?」
森がそれに鋭い視線をくれるが、ふっと息をついて答える。
「うん、女子寮が出来てから自殺した人なんていないって。そもそも建ってまだ三年なんだからそんな人いる訳ないって言われた」
築三年か。道理で外観が綺麗な訳だ。
そんな納得をしていると、森が正午に向き合う。
「でも、隣の部屋の人は自殺した人がいるって言ってたのにどういう事?」
「簡単な事です。その人が森さんの部屋に無断で立ち入っているんですねよ」
「え?」
隣に引っ越すまで見知らぬ人物だったのだ。森が意外そうに声を上げる。
「何でそんな事……嫌がらせだとしても、嫌われるほどの付き合いはないのに」
「森さんを嫌っているんじゃないと思いますよ。単に森さんの部屋に用があるだけでしょう」
「用って?」
「何かを探していたんじゃないでしょうか」
その言葉に森が腕を組んで考え込む。
思い当たる節でもあるのだろうか。しかし、俺にはさっぱり分からないので素直に質問する。
「どうして探し物だと思ったんだ?」
俺の問いかけに正午が唇を『ヘ』の字の形にする。
「考えるまでもないと思うんですけど」
「分からないから聞いてるんだ」
自分の事をバカだとは思わないが、分からないものは分からないのだ。
俺のゴリ押しに正午が溜め息をつく。
「自殺した人がいると嘘をついたからです」
「それだけで?」
「部屋の主人である森さんに侵入した事を気づかれない筈がないと分かっていたのでしょう。だから、自殺した人がいると嘘をついて、森さんの部屋に幽霊が出ると思わせたかった。そんな部屋だと分かったら普通の人は引っ越しを考えるんじゃないですか?」
「つまり森を追い出そうとしたって事か」
「はい。森さんが出て行けば、次の住人が来るまで時間が稼げます」
無言電話などの嫌がらせも森を追い出すためか。そして、いなくなったらゆっくり探し物をするつもりだ、と。
成る程と納得できるが、追い出される森にしてみたら面白い話ではないだろう。
その森が「ねぇ」と口を開く。
「何を探しているんだと思う?」
「そこまでは分かりません。ですが、侵入経路なら分かりますよ」
「どこ」
「窓が汚れていたと言ってましたよね。ベランダから入ったんだと思いますよ」
「……二階だからって鍵閉めなかったかも」
「油断は禁物ですよ、女子寮なんですから変態や空き巣に目を付けられる事も多いと思いますから」
「そうね。これからは気をつける」
正午の忠告に頷き、森が顔を上げる。
「ありがとう、スッキリしたわ」
そう言う森は言葉通り清々しい笑顔を浮かべている。その晴れやかな笑みに、幽霊でないと分かり一件落着……と言う訳ではないらしいと予感がする。
間違いなく森は怒っている。俺たちが帰ったら、即座に隣の部屋に怒鳴り込むに違いない。
それでも問題ないような気はするのだが、これからの大学生活に支障はないのだろうかと心配になってしまう。大学の女子寮なのだから、相手は同じ大学の学生だろうし、きっと先輩にあたる。
テーブルの上のメニューに手を伸ばした正午が静かに告げる。
「相手を問い詰めて解決するのもいいと思いますけど、何を探していたのか知りたくないですか?」
「え?」
店員を呼んで、キョトンとする森に続けて言う。
「探していた物を森さんが見つけたら相手はきっと狼狽すると思いますよ」