第23話 繋がる違和感、桜島の下で
紅茶の温もりが、唇に触れる。
その瞬間、意識がゆっくりと現在へ引き戻されていく感覚があった。
長い、長い回想だった。
けれど、大広間の時計を見上げると、針はほとんど進んでいない。すべては瞬きするほどの間に、私の内側だけで巡っていた記憶だったのだろう。
湯気の向こうに、月愛姉の顔がぼんやりと見える。
「翠くん? どうしたの、急にぼーっとして」
月愛姉が、私の顔を覗き込んでくる。心配そうに眉を寄せたその表情は、一年前のあの朝──「これから、よろしくね」と、私の手をそっと握った時の顔と重なった。
「……ううん、なんでもないよ。少し、昔のことを思い出していただけ」
「昔のこと?」
「うん。姉さんと初めて会った日のこと」
そう答えると、月愛姉は一瞬だけ、遠くを見るような目をした。
「あの日のこと、私、実はあまり細かく覚えていないの。気を失っていた時間が長かったから……。ただ──」
そこで言葉を切り、月愛姉は少し照れたように視線を逸らした。
「……ただ、目が覚めた時に握った手の、あの温かさだけは、今でもはっきり覚えてる」
その言葉に、私は小さく安堵した。
──良かった。瞳の奥に何かが宿ったことも、雪さんとの容姿の話も。あの日、月愛姉が知らずに済んだことは、今もまだ知られていない。
隠しているつもりはない。ただ、話す機会がまだ来ていないだけだ。
そう、自分に言い聞かせる。
「それにしても、翠くんは昔から変わらないね。優しくて、危なっかしくて」
「否定はできないかな」
苦笑しながら、私は紅茶を飲み干した。
「そういえば……」
不意に、月愛姉が何かを思い出したように口を開いた。
「一年前のあの夜のことで、ずっと気になっていることがあるの」
「気になっていること?」
「あの日の捜索の記録に、少しだけ辻褄が合わない部分があるらしいの。私が見つかるまでの時間が、あまりにも早すぎたって」
月愛姉は、紅茶のカップに視線を落としたまま続けた。
「翠くんが見つけられた時のこと、何か覚えてる? 捜索隊が、最初から待ち構えていたような、そんな感じはなかった?」
問われて、私は記憶を辿った。
──あの時は、意識を保つだけで精一杯だった。ただ、今になって思い返せば。
茂みの向こうから、複数の灯りが迷いなくこちらへ向かってきた。まるで、最初からこの場所を知っていたかのように。
「……言われてみれば、そんな気もする。ただ、意識も朦朧としてたから、確信は持てないけど」
「そう……」
月愛姉は、小さく頷いた。
「お父様は、大した問題じゃないって仰るんだけど……」
その言葉に、私の中で、かつて感じた違和感が静かに疼いた。
──転移術で煙のように姿を消した紫の刺客たち。「この落とし前、あんたが思ってるより大きいことになるぜ」という、あの男の言葉。そして、今日。剛さんの、あの不自然な不在。
点と点は、まだ線にならない。けれど、線になる予感だけは、確かにあった。
「翠様」
不意に、桔梗さんが静かに口を開いた。
「そろそろ、お夕食の準備が整ったかと」
「……うん、行こうか」
私は席を立ち、もう一度だけ窓の外に目を向けた。
夕暮れに染まる庭の向こう、遠く霞んで見える桜島。
あの日と同じ山が、今日も静かに、この街を見下ろしていた。
『……何か、動き始めている気がする』
※第二章ー完ー
その予感の正体を、私はまだ知らない。




