第17話 繋いだ手に、世界が震えた
「あなたを私にください」
私の言葉に、雪さんは大きく目を見開いた。
「……え?」
「言葉どおりの意味です。終さんを救うには、私一人の力だけでは足りません。あなたの魔力と、私の力を『繋ぐ』必要があります」
私は静かに、けれど有無を言わせぬ口調で続けた。
「治癒魔法と私の神力は、性質が少し違います。あなたの魔力を『媒介』として、私の力を終さんの体内まで届かせたいのです。そのためには──あなたの手を、ずっと握っていていただく必要があります」
「な、なんだ、そういう……」
雪さんは一瞬だけ顔を赤らめ、それからすぐに真剣な表情に戻った。
けれど、その真剣さの奥に、私は一瞬だけ──別の色を見た気がした。
戸惑いでも、羞恥でもない。もっと別の、何かに気づいてしまったかのような表情だった。
「雪さん……?」
「……いいえ、なんでもありません。終さんを救えるなら、私の手なんて、いくらでも」
彼女はすぐに、いつもの気丈な表情に戻った。
「ありがとうございます」
私はそう言うと、簡易的な結界を張った。
淡い光の膜が、私たち三人を優しく包み込む。
「では、始めます」
私は終さんの傷口に片手をかざし、もう片方の手で雪さんの手を握った。
体温が混ざり合う。
細く、けれど芯のある指先。震えてはいなかった。ただ、確かな意志の強さだけが、そこにあった。
私の中に眠る神力──治癒に特化したその力を、意識の奥底から引きずり出す。
同時に、雪さんの魔力が、繋いだ手を通してゆっくりと流れ込んでくるのを感じた。
『これは……』
私は思わず息を呑んだ。
雪さんの魔力は、ただの治癒魔法とは違う、もっと根源的な『何か』を孕んでいた。まるで、色そのものが意志を持っているかのような、深く澄んだ青。
──こんなにも、すんなりと馴染むのは、なぜだ。
初めて触れる他人の魔力のはずなのに。
まるで最初からそうなることが決まっていたかのように、私の中の何かと呼応している。
その違和感を振り払うように、私は目の前のことに意識を集中させた。
「集中してください、雪さん。終さんの内臓の損傷──ここです」
私は自分の神力を雪さんの魔力に『乗せる』ようにして、終さんの体内へと送り込んでいく。
傷口が淡く発光し始めた。
砕けた骨が、少しずつ元の形を取り戻していく。
損傷した内臓が、まるで時間を巻き戻すかのように修復されていく。
「す、すごい……! こんな治癒、見たことがない……!」
李花さんと杏さんが、驚愕の声を上げた。
けれど、私の中では何かがおかしくなり始めていた。
──熱い。
自分の中の神力が、想定以上の速さで、まるでザルから水が漏れるように流れ出していく。
雪さんの魔力と混ざり合ったことで、力の『質』そのものが変質しているのが分かる。
『まずい……これは、思っていたより……』
終さんの傷は、みるみるうちに塞がっていく。
けれど、それと引き換えに、自分の身体の輪郭がどんどん希薄になっていくような感覚があった。
視界が、ぐにゃりと歪む。
「陵さん……? 顔色が……!」
雪さんが、繋いだ手の向こうから私の異変に気づき、叫んだ。
「終さんの治療を……最優先で……」
もう、視界がほとんど霞んでいた。
自分の手が、腕が、まるで光の粒子となって解けていくように、輪郭を失っていく。
そして──その瞬間だった。
──ドクン。
世界そのものが、脈打った。
結界の中だけではない。それは、まるで大地の底から突き上げるような、巨大な『何か』の振動だった。
遠く離れた都市では、屋敷の窓ガラスが理由もなく一斉に震えた。
各陣営の魔導士たちは、突如として襲いかかった眩暈に膝をつき、口々に同じ言葉を漏らした。
「……世界が、裏返った……?」
魔力に敏感な者ほど、その感覚は鮮明だった。
まるで、世界という布の裏地を一瞬だけ覗き見てしまったかのような、根源的な違和感。
──白陣営、とある屋敷の一室。
剣の稽古を終えたばかりの少年が、不意に足を止めた。
胸の奥に、覚えのある温かさが灯る。
それは、ずっと昔──まだこの世界に来る前、いつも隣にいた誰かの気配によく似ていた。
「……兄さん?」
少年は、誰もいない空間に向かって、そう呟いた。
自分でも、なぜそう思ったのか分からない。
けれど、確信だけはあった。
──兄さんが、この世界のどこかに来た。
少年は、しばらくその場から動けずにいた。
『ああ……そうか……』
私は、そんな遠くの出来事など知る由もなく、どこか他人事のように、自分の身体が解けていく感覚を受け入れていた。
これは、代償なのだ。
この世界に迷い込んだ、正体不明の私という存在が、この世界に『馴染む』ための代償。
──本当に、これは『迷い込んだ』だけなのだろうか。
消えゆく意識の片隅で、ふとそんな疑問が頭をよぎった。
けれど、それを深く考える余裕は、もう残されていなかった。
視界の端で、終さんの傷が完全に塞がり、彼の胸がゆっくりと上下し始めるのが見えた。
『良かった……間に合った……』
そう安堵した、次の瞬間だった。
繋いでいた雪さんの手が、かすかに震えていることに気づいた。
それは、恐怖でも興奮でもない、何か別の理由による震えだった。
まるで──予期していた何かが、本当に起きてしまった、とでも言うような。
「雪、さん……?」
問いかけようとした声は、もう言葉の形を成さなかった。
私の意識は、深い闇の中へと沈んでいった。




