第50話 そんな魔法、どこで拾ったの?
「これ、どこで拾ったの?」
リリアナの指先が、一枚の論文の端を押さえていた。
エリアスは横から覗き込む。
「ああ、それか。最初の方だな。宿場町で見つけたやつ」
「宿場町?」
「雨の多いところ。泥が靴とか荷車にまとわりつくだろ。それを離れやすくする」
リリアナは紙へ視線を戻した。
「……これを?」
「そう」
「誰が考えたの?」
「知らない」
「術者は?」
「町の人間。普通に使ってた」
「名称は?」
「なかった」
リリアナの眉がわずかに動いた。
「なかった?」
「だから面白かったんだよ」
エリアスは笑って、別の紙束を引き寄せた。
「向こうじゃ珍しい魔法でも何でもない。雨が降って、泥がついたら使う。それだけ。使ってる本人たちも、わざわざ研究するようなものだと思ってなかった」
「……それを、あなたが術式まで起こしたの?」
「一応な」
「一応って」
リリアナは論文を最初から読み直した。再会したばかりだというのに、エリアスより紙を見ている。
「相変わらずだな」
「何が?」
「いや、なんでもない」
返事をしながら、リリアナの横顔を見る。
学校にいた頃から美人だとは思っていたが、久しぶりに見る横顔には前より落ち着きがある。もっとも、その目はエリアスではなく論文に向いていた。
「こっちは?」
次の紙を取られる。
「農村」
「何に使うの?」
「家仕事。布を乾かすのを少し手伝う風の魔法」
「風魔法?」
「分類するならそうなる。ただ、普通に習う風魔法と組み方がちょっと違う」
「どう違うの?」
「それはそこに書いてある」
「説明して」
「読むんじゃないのかよ」
「本人がいるのに?」
当然でしょう、とでも言いたげな顔をされる。
エリアスは椅子を引き、リリアナの隣へ座った。
「じゃあ、ここ」
術式の一部を指で示す。
「風を強くするんじゃなくて、布の周りだけ流れを作る。使ってる本人たちは、洗濯物を煽るくらいにしか考えてなかったけどな」
「出力を上げる必要がないのね」
「そう。だから魔力も大して食わない」
「これ、誰から?」
「村の女たち」
「何人?」
「何人だったかな……何人か。使い方が少しずつ違ったから、比較した」
リリアナが顔を上げた。
「比較までしたの?」
「するだろ」
「普通は、そこまでやって持って帰ってこないわよ」
「俺は研究しに行ったんだから、するだろ」
「……そうだったわね」
何かを思い出したように、リリアナが小さく笑った。
「あなた、昔から変なところだけ妙に真面目だった」
「変なところって言うなよ」
「女性を見る目は真面目じゃなかったでしょう」
「そこも真面目だよ」
「どういう意味?」
「美人を美人だと思ったら、ちゃんと美人だと言う」
リリアナが横目でこちらを見る。
「例えば?」
「今とか」
一拍。
リリアナはエリアスを見た。
エリアスも普通に見返す。
エリアスは笑うか、呆れるかと反応を待った。
「それより、次」
「それより?」
「次の論文」
「……俺、結構自然に口説いたと思うんだけど」
「聞こえてたわよ」
「なら少しくらい反応してくれてもいいだろ」
「帰ってきても変わってないことは分かった」
「褒めてる?」
「全然」
そう言いながら、リリアナは次の束へ手を伸ばした。
エリアスは苦笑した。
口説き文句は流されたが、彼女と魔法の話を続けるのも嫌いではなかった。
「これは冒険者の街?」
「ああ」
「……これ、追跡用?」
「正確には、痕跡を見落としにくくするための補助だな。あいつら、こういう小さい術式を実際の仕事に合わせて使ってた」
「戦闘魔法じゃなくて?」
「そっちじゃない。野営とか索敵とか、移動とか。毎日使う方」
「へえ……」
リリアナの指が術式の脇へ滑る。使い手から聞いたことを書き添えた欄まで、読んでいた。
「この人、どうしてこの使い方を?」
「森の中だと普通のやり方じゃ都合が悪かったらしい」
「だから変えた?」
「たぶんな。本人は改良したつもりもなかったけど」
「……面白い」
「だろ?」
エリアスは少し得意になった。
自分が作った魔法ではない。
それでも、自分が見つけて、自分で調べ、自分で書いたものを面白がられるのは気分がいい。
リリアナはまた次を取った。
「これは海?」
「船の上」
「風向き?」
「それと方角。漁に使うものもある」
「こっちは?」
「保存」
「食料?」
「魚が多かったな」
次。
「雪国?」
「そう」
「この術式、小さいわね」
「小さいけど役に立つ。吹雪の中じゃ特に」
「どういうこと?」
エリアスが説明すると、リリアナは紙の気になる箇所を指して、次々に質問を重ねた。
気づけば机の上には、旅先ごとに分けられた論文がいくつも広がっていた。
宿場町と農村、冒険者の街、海と雪国。異なる種族の土地で見たものも、使い手が減っている魔法の記録も、机に並んだ。
「……待って」
しばらくして、リリアナが手を止めた。
「何?」
「これ、本当に全部あなたが調べたの?」
「そうだけど」
「一人で?」
「旅は一人だったな。現地じゃ当然いろんな人に聞いたけど」
「何年分?」
「旅に出てからだから……」
エリアスが数えようとすると、リリアナは首を振った。
「いい。今はいいわ」
「聞いたのそっちだろ」
「思っていたより多い」
彼女は机を見渡した。
まだ鞄の中にも記録が残っている。
「あなたが旅に出たのは知ってた。各地の小さな魔法を調べるっていうのも聞いてた。でも……」
「でも?」
「せいぜい何本か面白い論文を持って帰ってくるくらいだと思ってた」
「ひどくない?」
「普通はそうでしょう」
「俺だぞ?」
「それを今、認識し直してるところ」
「そこは最初から高く評価してくれよ」
「大賢者の弟子なのは昔から知ってるもの」
「うん」
「魔法が上手いのも知ってる」
「うん」
「女好きなのも知ってる」
「そこは今いらなくない?」
「でも、これだけ大量の民俗魔法を本当に歩いて集めて、術式まで解析して持って帰ってくるとは思わなかった」
リリアナは一枚を持ち上げた。
「しかも、途中から書き方が変わってる」
エリアスは少しだけ目を細めた。
「分かる?」
「分かるわよ」
初期の論文には発動条件や魔力の流れ、既存の式との比較が大きく割かれている。土地と使い手のことも書いていたが、旅を進めるうちに、その記述はずっと詳しくなっていた。
「ここ。使っていた人の仕事」
「必要だったからな」
「こっちは土地の環境」
「同じ術式でも、場所が違えば意味が変わる」
「これなんて、使われなくなった理由まで書いてある」
「最近調べたやつだ」
リリアナは紙から目を離さない。
「術式だけじゃないのね」
「まあな」
「誰が使って、どうして必要で、どういう暮らしの中にあったのかまで記録してる」
「その方が面白いだろ」
「研究としても面白いわ」
「だろ?」
今度こそ、エリアスは堂々と胸を張った。
リリアナはそれを見て少し笑う。
「得意そうね」
「褒められてるからな」
「まだ褒めてないけど」
「今のは褒めてたよ」
「そういうことにしておく」
ようやく彼女の視線が紙から離れた。
エリアスは機を逃さない。
「じゃあ、続きは飯でも食いながら話す?」
「何の続き?」
「旅の話」
「ここで聞けるでしょう」
「酒もつけよう」
「飲んだら記録が読みにくくなる」
「そこまで飲まなきゃいい」
「だったら今読めばいいじゃない」
「……お前、俺より紙の方が好きじゃない?」
「今はそうかもしれない」
「即答する?」
リリアナは楽しそうに笑った。
それから、ふとエリアスの手元を見る。
正確には、紙を押さえている手。
「ねえ」
「ん?」
「旅の間、ずっとこういう魔法を扱ってたのよね」
「そうだけど」
「土地ごとに術式も違った?」
「かなりな。基本は同じでも癖が違ったり、逆に組み方から全然違ったり」
「実際に使ったものもある?」
「解析するときはな。できるものは自分でも試した」
「何十種類も?」
「数えてない」
リリアナが紙から顔を上げた。笑みは薄れ、今度はエリアスの手をじっと見ている。
「……何?」
「ちょっと気になっただけ」
「その顔で言われると信用できないな」
「あなた、昔より変わってない?」
「どこが?」
「魔法」
エリアスは眉を上げた。
「腕なら昔からいいぞ」
「そういう意味じゃなくて」
リリアナは椅子から身を乗り出し、エリアスの目を見た。
「これだけ違う土地の、違う術式に触れて、実際に解析して、使ってきたんでしょう?」
「ああ」
「だったら……あなた自身の魔力の使い方にも、何か出てないのかしら」
「何か?」
「癖とか。適応とか。昔と違う流れ方とか」
論文を見ていた時と同じ熱が、その目に戻ってきた。ただ、今度は視線の先がエリアス本人だった。
「……ようやく俺に興味が出てきた?」
エリアスが笑う。
「ええ」
即答だった。
思ったより素直な返事に、少しだけ気をよくする。
だが。
「かなり」
続いた言葉とともに、リリアナの視線がエリアスの腕から肩、胸元へと移っていく。
美人に見つめられるのは嬉しいはずなのに、リリアナの視線は妙に落ち着かなかった。
「……リリアナ」
「何?」
「その目、女が男を見る目じゃないよな?」
「そう?」
「研究者が珍しい標本を見る目だよ」
リリアナは否定しなかった。
それどころか、机の上の論文とエリアスを見比べて、小さく笑った。
「だって今、紙よりあなたの方が面白そうなんだもの」
「それ、喜んでいいやつ?」
「私はすごく楽しいわよ」
エリアスはしばらく黙った。
エリアスは苦笑した。彼女の興味を引けたのは確かだが、望んでいたのとは違う方向らしい。




