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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第十章 消えかけた魔法

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第46話 覚えなくていい魔法

 若者たちは、思っていたよりもあっさりしていた。


「覚えないですね」


 エリアスが尋ねると、向かいに座った青年はそう答えた。嫌そうな顔をしたわけでもない。馬鹿にした様子もない。


 目の前の炉を見る限り、本当に使う機会がなさそうだった。


「使える人が減ってるのは知ってる?」


「知ってますよ。祖父が使えますから」


「じゃあ、教わろうとは?」


「子供の頃に少しだけ。でも、今はこっちがありますし」


 青年が指したのは、家の隅に置かれた新しい炉だった。


 火を落としても、翌朝になれば簡単な火の魔法で点け直せる。昔の家より隙間が少なく、燃料も手に入りやすい。火を残しておく必要そのものが薄れていた。


「嫌いなわけじゃないんだ?」


「祖父の魔法をですか? まさか」


 青年は笑った。


「冬の朝なんか、昔はあれがないと大変だったって聞いてます。便利だったんでしょうね」


「だった?」


「今は、なくても困りませんから」


 それだけだった。


 エリアスは手帳へ書き込む。


 術式も使い手もまだ残っている。ここへ来た日に聞けば、若者が覚えないのは惜しいと思ったかもしれない。今は古い炉も新しい炉も見た。青年が必要としていない理由が、目の前にある。


 別の家でも答えは似ていた。


「母には習いましたよ。でも、使いませんね」


「昔の家なら役に立ったんじゃないですか」


「うちの子にも? いやあ、わざわざ覚えさせなくてもいいでしょう」


 若者だけではない。


 古い魔法を知る側も、妙に淡泊だった。


「覚えさせないんですか?」


 エリアスが尋ねると、以前話を聞いた老人は不思議そうに眉を上げた。


「なんでだ?」


「いや、使える人が減ってるから」


「そりゃ減るだろ。使わんのだから」


 あまりにも当然のように返されて、エリアスは言葉に詰まった。


「寂しくない?」


「少しはな」


 老人は炉の前に腰を下ろし、煤のついた石を撫でた。


「俺が若い頃は、これを覚えてないと朝が面倒だった。親父に何度も叩き込まれたもんだ」


「じゃあ、孫にも」


「今の家じゃ、朝になったら火を点けりゃいい」


「……まあ、そうだよね」


「必要もないもん覚えろって言ったら、そっちのほうが嫌われるわ」


 老人が笑う。


 エリアスもつられて笑った。


 そういうものなのかもしれない。


 優れた術式を整理し、改良して後世へ渡すことも魔法使いの仕事だ。だが今聞いているのは、暮らしが変わって、使う理由の方がなくなった魔法の話だった。


 だったら。


 エリアスは手帳へ一行を書き加えた。――継承されないことと、価値がなかったことは同じではない。


 昔必要だったものが、今は使われなくなる。そのことを失敗と呼ぶ気にはなれなかった。老人も、孫に無理に覚えさせるつもりはないのだ。


「……覚えなくていい魔法、か」


 呟くと、老人が横から手帳を覗き込んだ。


「なんだそりゃ」


「今思いついた」


「変なこと考える魔法使いだな」


「よく言われる」


 本当に言われたことがあるかはともかく、エリアスはそう答えて手帳を閉じた。


 調べることは、だいぶ減ってきた。


 術式と発動条件、使い方に加え、家屋や燃料、冬の朝に火を残した理由と、今は使われない理由まで聞けた。


 残りはもう多くない。


 それでも、エリアスはこの土地を出る前に、もう少しだけ書いておきたいと思った。


     ◯


「……エリアス?」


 聞き覚えのある声に振り返った。


 最初は、似た声の誰かだと思った。


 別れた相手の声が、別の町で聞こえるとは思わなかった。


「リディア?」


 そこにいたのは、間違いなく以前知り合った女だった。


 リディアは驚いた顔のまま数歩近づき、それから笑った。


「やっぱり。何してるの、こんなところで」


「それ、こっちの台詞じゃない?」


「私はいいのよ」


「ずるいな」


「旅人なんてそんなものでしょ」


「それを言われると弱い」


 二人で笑った。


 久しぶりでも、話し始めると気まずさはなかった。リディアが目の前で笑っている。それだけでエリアスも嬉しくなった。


「時間ある?」


「少しくらいなら」


「じゃあ飲もう」


「昼から?」


「再会したんだから、それくらいいいだろ」


「理由になってないわよ」


 そう言いながら、リディアは断らなかった。


     ◯


 結局、酒が一杯で終わるはずもなかった。


「相変わらずなのね」


「何が?」


「女の人を見てるところ」


「それは仕方ない」


「何が仕方ないのよ」


「綺麗なものに目が行くのは、人間として自然な――」


「はいはい」


「雑になったなあ」


「前から知ってるもの」


 リディアは笑いながら杯を傾けた。


 エリアスも飲む。


 妙な感じだった。


 以前一緒に飲んだことも、口説いて断られたことも、エリアスは覚えている。道が分かれれば会わなくなるのが旅だと思っていたが、今はリディアが目の前で笑っていた。


「どうしたの?」


「いや」


「変な顔してたわよ」


「失礼だな。考え事してただけ」


「魔法?」


「だいたい魔法」


「本当に好きね」


「好きだから旅してるんだよ」


 エリアスは杯を置いた。


「今、使う人が減ってる魔法を調べてる」


「へえ」


「昔は必要だった。でも今は、なくても困らない。だから若い人は覚えない」


「なくなっちゃうの?」


「たぶんね」


 そう答えてから、少し考える。


「でも、それでいいのかもしれない」


「記録しに来たのに?」


「記録することと、使い続けてもらうことは別だろ」


 口にしてみると、思った以上にしっくりきた。


 リディアは少しだけ目を細めた。


「じゃあ、なくなるのを止めたいわけじゃないのね」


「うん。昔の暮らしには必要だった。でも、今の人に必要ないなら、無理に覚えさせる理由もない」


「それでも書くの?」


「書くよ」


 答えはすぐに出た。


「使われなくなったからって、なかったことにはならないから」


 リディアはしばらくエリアスを見ていたが、やがて小さく笑った。


「それなら、あなたが書く意味はあるんじゃない?」


「だろ?」


「そこで得意そうな顔するから台無しなのよ」


「褒められたと思ったのに」


「半分くらいは褒めたわ」


「残り半分もくれよ」


「欲張り」


 杯が軽く触れ合った。


 それからは、魔法とは関係のない話をした。


 旅先で食べたもの。


 ひどかった宿。


 妙に高かった酒。


 どうでもいい話ほど、久しぶりに会った相手とは楽しい。


 やがて窓の外が赤く染まり始めた頃、リディアが席を立った。


「そろそろ行くわ」


「もう?」


「あなたも旅の途中でしょう?」


「まあね」


「なら、またどこかで会うかもしれないわよ」


「ずいぶん簡単に言うなあ」


「今日だって会えたじゃない」


 それはそうだ。


 エリアスも立ち上がる。


「じゃあ、また」


「ええ。またね、エリアス」


 それだけだった。


 約束はしない。


 次に会う場所も決めない。


 それぞれに行くところがある。


 けれど、店を出て別の道へ歩いていくリディアの背中を見送りながら、エリアスは妙に納得していた。


 別れても、あの土地でリディアと会ったことは消えなかった。火を残す魔法も、使われなくなればそれで終わりとは言えない。使った人がいて、必要だった朝があった。そのことを書いておける。


 宿へ戻ったエリアスは、机の上に手帳を広げた。


 調査は、ほとんど終わっている。


 あとは散らばった記録を整理し、ひとつの形へまとめればいい。


 ペンを走らせていると、不意に別の顔が浮かんだ。


 ヴァネッサ。


 ここ数日、食事や酒を一緒にすることが増えた女。


 自分が口説いているつもりなのに、ときどきどちらが口説いているのか分からなくなる。


 少なくとも、前の町で引っかかったような類ではない。


 それはもう、ほぼ確信していた。


 ただ。


 彼女が自分をどれくらい気に入っているのか。


 そこだけは、まだ少し見誤っていた。

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