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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第九章 旅人の失敗

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第43話 懲りない旅人

 宿へ戻った頃には、夜もかなり深くなっていた。エリアスは部屋へ入るなり鞄を開き、帳面を取り出した。


 酒はもう抜け始めている。眠気より先に、書いておきたいことが山ほどあった。


 美人局の連中のところで借りた紙を卓へ広げる。


 急いで書いたせいで文字は少し乱れていたが、必要なことは残っている。


 紐ほどきと戸鳴り止め。どちらも、魔法そのものは難しくない。


 エリアスは灯りを少し近づけ、帳面の新しい頁を開いた。


「まず、紐ほどきからだな」


 小さく呟いて筆を取る。


 対象は単純な結び目。固く締めたものや二重に結んだものには向かず、近づかなければ使えない。そこまで記したところで筆を止め、酒場でのセラを思い返す。結び目の状態や袋の重さを見て、相手が座り、別のことへ注意を向けた時にだけ使う。直後には腰へ意識を戻させない。聞き取った手順を、一つずつ帳面へ移した。


 セラは笑いながら肩や腕に触れ、少しずつ距離を縮めた。エリアスが彼女の顔ばかり見ていたところで、腰へ手を伸ばしたのだ。


「……上手かったな」


 認めたくはないが、術の使い方が上手かった。


 紐ほどきだけを見れば、エリアスにとって大した術ではない。


 エリアスなら強い力で結び目を解き、遠くの物を動かすこともできる。だが、それでは目立つ。この弱さが、人の動きへ術を紛れ込ませていた。


 エリアスはその一文を帳面へ足した。


 次は戸鳴り止め。


 扉の軋みを完全に消すわけではなく、蝶番や木と金具の擦れる部分へ、小さな力を加える。隣室で待ち、合図を受け、相手の注意がセラへ向いている時に使う。音を抑えるのは扉を開ける一瞬だけでいい。


「魔法じゃなくて、手順まで一緒に書かないと意味ないな」


 自分で言って、少し笑った。


 術式と土地や使い手を併せて見てきた旅と、やることは変わらない。今回は、その使い手が盗人だった。


 エリアスは筆を止めた。


「盗人、か……」


 これまで見てきた魔法の多くは、料理や農作業、海や雪の中での仕事と暮らしを支えていた。今回の術は、人を騙して金を取るために使われた。その違いに、少し変な気分になる。


 だからといって、魔法そのものが悪いわけでもない。


 戸鳴り止めなど、使い方を変えれば夜中に扉を静かに開けるだけの術になる。


 紐ほどきも、固くなった荷物の結び目を緩めるなら便利かもしれない。


 使い道を決めているのは人間だ。


「まあ、だからってあいつらが悪くないことにはならないけど」


 金を取られかけた当人として、美人局まで肯定する気はなかった。


 帳面へ最後の注記を加え、筆を置いた。


 ひとまず完成。


 後日、自分で術式を再現し、条件ごとの差も確認した方がいいだろう。


 紐の太さや結び方、扉の材質や蝶番の傷み具合でも差が出るだろう。調べたいことはいくらでもあった。


 そこまで考えたところで、エリアスは椅子の背へ身体を預けた。


「……成果はあったな」


 知らない小魔法を二つ拾い、術式だけでは分からない使い方まで聞けた。魔導書へ載せる材料としても面白い。ただ、犯罪の手順をそのまま並べればいいわけではない。術と使い手について、どう書くかは考えたい。


「うん。いいな」


 大賢者の弟子が各地の名もない魔法を集めた本だ。売れれば金が入り、名前も売れる。


 そうなれば。


「女にもモテる」


 そこまで口にして。


 エリアスは黙った。


 今日のことを思い出した。


 栗色の髪の美人が酒場で笑いかけ、腕を絡めてきた。静かなところへ行こうと言われ、ついていった先で男に金を要求された。その前に金袋の紐まで緩められていた。


「……」


 帳面の上に額をつけたくなった。


 研究成果を眺めている間は忘れられる。


 だが、どうしてこの成果を得たのかまで考えると、途端に情けなくなる。


「普通に騙されてるからな、俺……」


 しかも、まったく怪しいと思わなかったわけではない。


 大通りから離れたあたりで、一度は考えた。


 少し出来すぎていないか。


 知らない街で、夜に人気の少ない場所へ入って大丈夫か。


 そこまで考えて。


 セラの顔を見て。


 まあいいか。


 となった。


「言い訳できないな」


 エリアスは天井を見る。


 相手は手慣れていて、小さな魔法まで使っていた。それでも、警戒する材料は途中で見つけていた。引き返さなかったのは、セラが美人で、今夜はいけると思ったからだ。


「……師匠から、こういう女には気をつけろって言われてたんだけどな……」


 ぽつりと呟く。


 旅先で親しげに近づく相手を何でも信用するな、と言われていた。とくに女に弱いおまえは気をつけろ、とも。当時はそこまで言わなくていいと思ったが、言われるだけの理由はあった。


「完全に俺のせいだな」


 認めるしかない。


 知らなかったわけでも、教わらなかったわけでもない。浮かれて、使える頭を使わなかった。それが一番格好悪かった。


 エリアスは椅子から立ち上がり、寝台へ倒れ込んだ。


「次はもう少し気をつけよう」


 少なくとも、知らない街で向こうから近づいてきた女についていくなら。


 相手が何者で、どこへ行くのか。都合がよすぎないか。そのくらいは考えた方がいい。


 今度こそ。


 そう思う。


 だからといって。


「女遊びやめるのは違うよな」


 そこまで反省する必要はない。


 美人を見れば目で追うし、話が合えば飲みたい。互いにその気なら、その先まで行きたい。今回まずかったのは、そこへ気を取られて警戒を忘れたことだ。


「うん」


 自分なりに納得する。


 次は気をつける。それでも、美人には目が行くだろう。


 エリアスは灯りを消した。


 暗くなった部屋で、しばらく天井を見つめる。


 研究成果は悪くない。


 旅も悪くない。


 失敗は、まあ。


「二度は嫌だな」


 そう呟いて目を閉じた。


     ◯


 翌朝。


 エリアスは早めに宿を出た。


 荷物を背負い、帳面と昨日の記録を鞄へ収める。


 金袋の紐は、いつもより少しだけ固く結んだ。


 念のためである。


 街はもう動き始めていた。


 店が開き、荷車が行き交い、通りのあちこちから声が飛ぶ。


 この街で拾ったのは、思いも寄らず盗人の小魔法だった。歩いてみるまで分からないものだ。


 エリアスは街門へ向かう。


 次の土地でも知らない魔法を探し、うまい飯があれば食う。酒も飲む。魔導書へ載せる材料を増やして、売れる本にしたい。金も名声も欲しい。そして――


 前から歩いてきた女へ、視線が止まった。


 明るい色の髪を結い上げた、旅装の若い女だった。


 成人しているように見える。


 すれ違う。


 エリアスの目が自然にその姿を追った。


 二歩。


 三歩。


 そこで昨日のことを思い出す。


「……いや」


 顔を前へ戻す。


 少しだけ早かった。


 だが、見なかったことにはならない。


「美人だったな」


 それはそれである。


 エリアスは苦笑した。


 反省はした。次は、少なくとも昨日より警戒するつもりだ。それでも金も酒もうまい飯も女も好きで、何より魔法が好きだった。そのどれかを捨てるつもりはない。


 エリアスは街門を抜けた。


 道はまた先へ続いている。


 肩の荷物を背負い直し、一人で歩き出す。


 次の土地に何があるのかは、まだ知らない。


 だからこそ、見に行くのだった。

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