第42話 盗人の小魔法
「さっきの魔法、どうやった?」
エリアスがそう聞くと、部屋の空気が妙な形で止まった。床へ押さえつけられている男たちは、何を言われたのか分からないような顔をしている。
セラも同じだった。
「……何?」
「だから、これ」
エリアスは金袋の紐を持ち上げた。
「どうやって緩めた?」
「今、それ聞くの?」
「今だから聞いてる」
「私たち、あんたから金取ろうとしたのよ?」
「知ってる」
「怒ってないの?」
「怒ってるというか、恥ずかしい」
危険だったかどうかで言えば、大したことはない。だが、美人についてきて宿へ連れ込まれ、金まで取られかけた。その事実は何をどうしても消えない。
「それと魔法は別だろ」
「別なの……?」
「別」
セラは理解できないものを見る目でエリアスを見た。
その反応にはもう慣れている。雪国でも、海でも、竜族の土地でも、自分が夢中になる魔法に同じような顔をされた。
「まずこれ」
エリアスは金袋を卓へ置いた。
「酒場で腰に触ったときに使ったんだよな?」
セラは答えない。
エリアスは床にいる三人を見る。
「別に言わなくても、術式自体はだいたい分かるけど」
「だったら聞くなよ……」
一人が苦しそうに言った。
「術式が分かるのと、使い方が分かるのは別なんだよ」
男がますます嫌そうな顔をした。
エリアスは金袋を腰帯へ留める紐を結び直す。
旅の途中で付け外しするものなので、結び方は単純だった。
「これくらいの結び目ならいける?」
セラが少し迷ってから答えた。
「……いける」
「固く締めても?」
「限度はあるわよ。きつく締めすぎたら無理」
「二重に結んだら?」
「それも難しい」
「なるほど」
エリアスは指先で紐を摘まんだ。
残っていた魔力の流れを思い出す。
力任せに引くのではなく、結び目の一部をわずかに動かし、締まった箇所をずらして緩みを作る。エリアスにも、似た現象なら今すぐ起こせる。
「名前は?」
「何が?」
「魔法」
「……紐ほどき」
「そのままだな」
「そういう魔法なんだから仕方ないでしょ」
エリアスは少し笑った。民俗魔法には、用途がそのまま名前になったものが多い。嫌いではなかった。
「でも、これだけじゃ金は盗れないよな」
セラの表情が少し変わった。
「どういう意味?」
「俺が立ってるところから離れた場所で使っても意味ないだろ。金袋の紐へ届かない」
「当たり前でしょ」
「だから近づく必要がある」
エリアスは酒場での場面を思い返した。
セラが笑った。
肩が触れた。
腕へ手を置いた。
そして一度だけ、腰へ手が触れた。
「触れるのが自然な状況を作る」
セラは黙っている。
「酒場でいきなり腰に手を伸ばしたら怪しい。でも、酔って距離が近くなってからなら気にされにくい」
「……まあね」
「しかも、触った瞬間に紐が落ちるほど緩めない」
「そんなことしたら気づくでしょ」
「だよな」
そこが面白かった。
強い拘束は解けず、遠くから金袋を奪うこともできない。それでも人の動きと一緒に使えば、この小さな術が金袋を狙う手段になる。
「どこまで緩める?」
「落ちないくらい」
「基準は?」
「見て分かるでしょう?」
「だから、それを聞いてる」
セラが眉を寄せた。
「結び目と、袋の重さ。あと、その人がどう動いてるか」
「歩いてる最中は?」
「やらないこともある。揺れて落ちたら面倒だから」
「座ってるときの方がいい?」
「そうね」
エリアスの目が少し細くなる。
術式の外にある、使い手の判断だ。結び目だけでなく袋の重さや相手の動きまで見て、使わない時も決める。旅の初めから術式と使い手の両方に目を向けてきたが、こうして当人の判断を一つずつ聞くと、まだ書くべきことが出てくる。相手が盗人でも変わらなかった。
「俺のときは?」
「酒場で座ってたし、あんた、こっちばっかり見てたから」
「……」
「かなりやりやすかった」
「それは言わなくていい」
「聞いたのあんたでしょ」
正論だった。
エリアスは少しだけ顔をしかめる。
研究としては重要な情報だ。
自分の恥ずかしさとは別に。
「あと、使った直後に話しかけた?」
セラが今度こそ驚いた顔をした。
「よく分かったわね」
「注意をそらすため?」
「それもあるけど、相手が腰を気にしないように」
「なるほど」
エリアスは頭の中へ順番を並べていく。
近づき、相手の視線を自分へ向けさせ、触れるのが自然になったところで結び目を緩める。その直後も会話や接触で意識をそらす。魔法だけを切り取れば小さいが、手順を聞いて初めて、なぜ気づけなかったのかが分かった。
「……面白いな」
「褒められてる気がしない」
「褒めてない。魔法の使い方が面白いって言ってる」
「同じじゃない?」
「違う」
騙された側として、犯罪を褒める気はない。それでも、魔法の使われ方には興味があった。
エリアスは今度は扉へ向かった。
床にかけていた魔法は維持したまま、男たちの横を通る。
「次、こっち」
「まだやるのかよ……」
「やる」
扉の蝶番へ指を近づける。
残っていた魔力は、もうかなり薄い。
それでも流れは追える。
「これは何て呼んでる?」
誰も答えない。
「じゃあ勝手に名前つけるぞ」
「戸鳴り止めだ」
床の男がすぐに答えた。
「あるんだ」
「勝手な名前つけられるよりましだ」
「戸鳴り止め」
エリアスは蝶番を見る。
こちらも術式は単純だった。
音そのものを消すのではなく、扉が動くとき、蝶番や木と金具の擦れる場所へほんの少し力を加えている。軋みを出にくくする術だ。
「ずっと効く?」
「そんな便利なもんじゃねえ」
「扉を開ける前だけ?」
「ああ」
「毎回かけ直す?」
「必要ならな」
やはり弱い。
だが、弱いから駄目なわけではない。
エリアスは扉を一度動かした。
きい、と小さく鳴る。
「普通ならこれくらい鳴る」
もう一度、蝶番を見る。
「男たちはどこにいた?」
セラが部屋の奥を指した。
「あっち」
小さな扉がある。
さっき、男の一人が立っていた場所だった。
エリアスが開けると、狭い隣室へつながっていた。
椅子と小さな卓だけが置かれている。
三人で待つには狭い。
「ここで待ってた?」
「そう」
「合図は?」
「壁を二回叩く」
「それだけ?」
「それだけ」
エリアスは壁を見る。
セラが相手を連れ込み、頃合いを見て壁を叩く。隣で待つ男たちは戸鳴り止めを使って入り、セラに注意を向けた相手は、扉の動きに気づきにくい。
「……そういうことか」
術式だけ見れば、夜中に家族を起こさず扉を開けるのにも使えそうな魔法だ。待機場所と壁の合図、相手の視線まで組み合わせて、彼らはそれを犯罪の道具にしていた。
「これ、この辺じゃよく使うの?」
エリアスが聞くと、男の一人が顔をしかめた。
「俺たちみたいなのが使うことはある」
「みんな?」
「知らねえよ。他所の連中まで知るか」
「この街では?」
「似たことやってる奴なら知ってるやつもいるだろうけどな」
「それでいい」
少なくとも、彼らと、この街で似たことをする者の一部は知っているらしい。他所まで広げて書く根拠はない。
エリアスは頷いた。
「紙ない?」
「は?」
セラが聞き返す。
「紙。あと書くもの」
「……何するの?」
「忘れる前に書く」
「ここで?」
「ここで」
自分の帳面は、最初に取った宿の鞄へ入れたままだ。
戻ってから清書すればいい。
セラはしばらく無言でエリアスを見たあと、隣室の卓を探った。
使いかけの紙と、短い筆記具が出てくる。
「これでいい?」
「十分」
エリアスは椅子へ座った。
床には美人局の男たち。
壁際にはセラ。
そして自分は、その真ん中で紙へ文字を書き始める。
「紐ほどき。対象は単純な結び目。強く締めたもの、複雑な結び目には不向き……」
「本当に書くのかよ」
「静かにして。忘れる」
「忘れねえだろ、こんなの」
「細かいところは忘れるんだよ」
紐ほどきについては術式、届く距離、失敗する結び方から、接触の位置、使う時機と直後の会話まで記す。戸鳴り止めには扉の構造と軋みの出る箇所、隣室で待つ位置、合図と相手の注意を書き加えた。
書けば書くほど、今回自分がなぜ気づかなかったのかも見えてくる。
魔法が高度だったからではない。小さく、目立たない術だったから、人の動きの中へ紛れ込んだのだ。
「なるほどな……」
エリアスは筆を止めた。
暮らしや仕事を助け、海や雪の中で生きるために使われる魔法を、これまで数多く拾ってきた。今回の使い道は褒められたものではない。それでも、誰かが必要として使っている小さな魔法であることは確かだった。
「こんな使い方もあるのか」
エリアスが呟く。
セラが呆れたように息を吐いた。
「あんた、本当に変な人ね」
「よく言われる」
「普通、騙された相手から魔法習おうとしないわよ」
「俺も普通ならそう思う」
「じゃあ、なんで?」
エリアスは紙を見る。
「面白いから」
それ以上の理由は、今のところ必要なかった。
知らなかった魔法と使い方があった。だから知りたいし、魔導書へ書けるくらい正確に理解したかった。
エリアスは最後まで書き終えると、紙を折った。
「よし」
「終わった?」
「とりあえずな」
きれいに整理するのは宿へ戻ってからだ。
術式も、自分でもう一度組み直して確かめたい。
特に紐ほどきは、結び方による差を試す必要がある。
戸鳴り止めも、扉の材質や蝶番の状態で効き方が変わるだろう。
まだ調べることはいくらでもある。
その前に。
エリアスは折った紙を懐へ入れた。
自分がなぜこんな場所で、この連中から魔法の話を聞くことになったのか。
そこだけは、研究ではごまかせない。
美人に誘われて浮かれ、ついてきた結果、騙された。
「……帰ったら、それも考えるか」
小さく呟く。
研究成果は拾えた。
だが、失敗まで成果に変わったことにはならない。
そこは別だった。




