第39話 相手の側から書く
翌朝、エリアスは宿の机いっぱいに紙を広げていた。
机には荷の種類、風と魔素と地形、使われた術式と順番を書いた紙が並ぶ。使った場合と使わなかった場合を比較した記録もある。横には、最初に自分で作った分類を置いた。
「……間違ってはいないんだよな」
エリアスは椅子にもたれた。
風を見る術式。
位置を確かめる術式。
荷の揺れを抑える術式。
構造だけなら、初日に見た段階でほとんど読めていた。
発動条件も書ける。
効果も説明できる。
再現しようと思えばできる。
だが、それだけを並べた紙を読み返すと、どうにも足りなかった。
これでは、ネリスたちが何をしていたのかが分からない。
例えば、風を読む魔法。
最初の記録では、
周囲の風向・風量を確認するための補助術式。
そう書いてある。
術式としては正しい。
けれど、ネリスたちは風だけを見ていたわけではなかった。
ネリスたちは風の来る方向から地形による変化を読み、魔素の偏りや荷の引かれる向き、次の風で揺れが崩れないかまで併せて見ていた。
「補助術式、だけじゃ駄目だな」
エリアスは最初の一文へ線を引く。
新しい紙を取った。
今度は、魔法式から書き始めなかった。
最初に仕事の流れを書く。人の姿で荷を仕分け、固定して状態を確かめ、竜の身体で集落まで運ぶ。飛行中は周囲と荷を見続け、必要なときに小さな魔法で調整する。そこまで書いたところで、エリアスは各術式の記録を添えた。
風と魔素を読み、荷の揺れを抑え、方向を確かめる術が並ぶ。ただし術ごとに独立した使用条件を決めつけず、ネリスが併せて見ていた情報を横へ書いた。
「……よし」
書きながら、ようやく昨日までの疑問が一つの形へまとまり始めた。
同じ程度の風でも魔法を使うときと使わないときがあった。
同じような荷でも調整の強さが違った。
エリアスの分類で例外に見えたのは、書き出した条件だけでは足りなかったからだ。
エリアスは次の紙へ移る。
使う場合。
使わない場合。
調整を強める場合。
弱める場合。
その理由を、ネリスから聞いた判断と結びつけていく。
たとえば荷が少し揺れても、ネリスはすぐには直さなかった。次の風で揺れが重なりそうなときは、その前に魔法を使う。エリアスは使わない場合の欄にも、彼女が何を見てそう決めたかを書いた。
それを術式へ戻せば、必要な出力の違いも説明できる。
「これならいけるな」
エリアスの筆が速くなる。
自分の魔法理論は使える。
むしろ、ここから先は得意分野だ。
小さな術式を分解し、魔力がどこを通り、何を捉えて作用するかを整理する。構造の横には、ネリスが荷と風のどこを見て、どの揺れを許し、いつ危険だと判断するかを書いた。
術式の説明だけで頁を作るより、紙の量は増えた。
だが、その分だけ意味は通る。
「本になったら、この方が面白いな」
金になるかどうかは大事だ。
売れるなら、なおいい。
だが、読んだ人間が再現できない記録では困る。
読めば術式が分かり、使われる場面も見える本にしたい。そうして面白く読めるなら、きっと売れる。
「完璧じゃないか」
誰もいない部屋で一人頷いた。
◯
「で、私にこれを読めって?」
昼過ぎ。
作業場の脇で、ネリスが紙の束を持っていた。
「全部じゃない。お前たちの仕事を書いたところだけ」
「十分多いよ」
「大事なんだ」
「昨日まで、私の話を酒のつまみにしてた人が?」
「酒を飲みながら研究してただけだ」
「それを酒のつまみって言うんじゃないの?」
ネリスは笑いながら紙へ目を落とした。
エリアスは隣に立つ。
「魔法式の部分は俺が見る。そっちは気にしなくていい」
「じゃあ、何を見ればいいの?」
「俺が、お前たちのやってることを変に理解してないか」
ネリスが顔を上げた。
「そこ?」
「そこ」
「大賢者の弟子なのに?」
「大賢者の弟子だからだよ」
「どういう意味?」
「俺は魔法を読むのが仕事。お前は、この仕事を実際にやってる」
エリアスは紙を指した。
「術式として正しいかどうかと、お前たちが何のためにそれを使ってるかは別だ」
ネリスは少しだけ目を細めた。
それから、もう一度読み始める。
最初は黙っていた。
途中で一度、首を傾げる。
「ここ」
「どこ?」
「『荷の安定を優先する』って書いてるけど、ずっと荷が一番ってわけじゃないよ」
「昨日言ってたな。無事に着くこと」
「そう。荷を守るために危ないところへ入ったら意味ないし」
「じゃあ、そこ直す」
エリアスはすぐに書き込む。
ネリスが少し驚いた顔をした。
「本当に直すんだ」
「そのために見せてる」
「大賢者の弟子が、私の言った通りに?」
「魔法理論を決めてもらってるわけじゃないぞ」
「分かってるけど」
「俺が、お前の仕事を勝手に違うものにしたら駄目だろ」
「……変な人」
「知ってる」
ネリスは笑った。
そのあとも何箇所か指摘が入った。
エリアスが「使わない条件」と書いた部分に、ネリスが「使わないというより、使うほどじゃない」と言う。
風を避ける、とまとめた箇所では、「避けるだけじゃなくて、使えるなら乗る」と直された。
術式に書き直しはない。それでも、作業場でネリスが何を選んでいたかを示す文章は、そのたびに正確になった。
「なるほど」
エリアスは書き直した紙を眺める。術式の分類は残したまま、その横でネリスの選択を書き分けられた。
「これでいいと思う」
ネリスが最後の紙を返した。
「助かった」
「それ、ちゃんと本に載るの?」
「採用する」
「売れたら私にも何かちょうだい」
「いきなり金の話?」
「昨日ずっと大金持ちになるって言ってた人に言われたくない」
「確かに」
二人で笑った。
エリアスは紙を揃える。
術式の欄と、ネリスに直してもらった仕事の欄が並ぶ。エリアスは荷を仕分ける手、空から見た風、彼女が教えた判断を思い返した。竜族全体の話ではなく、この運送の仕事でネリスが使う魔法の記録ができた。自分の理論で整理した術式も、ここにきちんと収まっている。
◯
翌朝。
エリアスは宿で荷物をまとめた。
帳面。
完成した記録。
旅道具。
財布。
全部確認する。
町を出る前に作業場へ寄ると、ネリスはもう仕事を始めていた。
「行くの?」
「ああ」
「もう少しいればいいのに」
「そうすると本が完成しない」
「大金持ちにもなれない?」
「それも困る」
「モテなくなる?」
「一番困る」
ネリスが声を上げて笑った。
「昨日、断られたばっかりなのに元気だね」
「昨日キスはしたからな」
「それはそれ」
「分かってる」
昨日宿へは来ないと言われたあとも、二人は酒を飲んで話した。ネリスはここで仕事を続け、エリアスは旅へ出る。朝の挨拶に気まずさはなかった。
「じゃあな、ネリス」
「うん。また変な魔法探しに行くの?」
「それが旅の目的だからな」
「今度は、ちゃんと最初から人の話聞きなよ」
「聞いてるだろ」
「最初の頃のエリアス知らないから」
「今の俺だけ見とけばいい」
「それ、ちょっと格好つけてる?」
「ばれた?」
「見れば分かる」
「便利だな、それ」
ネリスが手を振る。
エリアスも軽く手を上げて、町を離れた。
鞄には、ネリスが読んで直した記録が入っている。風の術式と、荷を運ぶ彼女の判断。その両方を記した頁を思うと、次の土地の仕事も見たくなった。
山道へ入る前、向こうから旅人の一団が歩いてきた。
先頭を歩いていた女性に、エリアスの視線が一瞬だけ向く。
美人だった。
エリアスは歩きながらもう一度、その女性の方を見た。
「……次の町、酒うまいといいな」
できれば飯も。
さらに言えば、美人もいるとなおいい。
エリアスは上機嫌に歩き出した。




