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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第八章 竜たちの土地

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第38話 同じものを見ていない

 町へ戻った頃には、空がすっかり赤くなっていた。荷を下ろし、残った仕事を片づけ、人型へ戻ったネリスがようやく肩を回す。


「疲れた」


「竜でも疲れるんだな」


「疲れるよ。何だと思ってるの?」


「竜」


「そのままだね」


 ネリスが呆れたように笑う。


 大きな身体で荷を運んだあとの疲れ方も聞いてみたいが、今夜は先に飛行中の判断を聞きたかった。


「酒、行くんだろ?」


「奢ってくれるなら」


「そこ覚えてたか」


「大賢者の弟子なんだから、それくらいできるでしょ」


「大賢者の弟子を財布だと思ってない?」


「そのうち金持ちになる予定なんでしょ?」


「まだ予定なんだよ」


 二人で町の食堂へ入る。


 運搬仕事を終えた者が何人か来ているらしく、店内にはすでに酒の匂いと話し声が満ちていた。


 エリアスは肉料理と酒を頼み、ネリスも同じように注文する。


「で?」


 酒が届くなり、ネリスが言った。


「今日は何を聞くの?」


「話が早くて助かる」


「ずっとあんな顔で飛んでたから」


「どんな顔?」


「面白い魔法を見つけた顔」


「分かるのか?」


「見れば分かる」


「またそれか」


 思わず笑う。


 それからエリアスは帳面を出した。


「昼間、風が荒れたとき」


「うん」


「俺が一度流れをずらした。そのあと、お前たちは右へ回った」


「回ったね」


「俺なら、そのまま抑えながら真っすぐ行くこともできた」


「できそう」


「でも、お前はそうしなかった」


「私にはできないもの」


「そこじゃない」


 エリアスは首を振った。


「仮に俺と同じ魔法が使えたとしても、お前は多分、右へ回っただろ」


 ネリスが少し考える。


「たぶんね」


「なんで?」


「その方が楽だから」


「楽?」


「風をずっと押さえ続けなくていいし、荷も暴れないし、少し回れば使える流れがあったから」


「どこで分かった?」


「どこでって?」


「何を見たら、そっちへ行けるって判断する?」


 ネリスは杯を口へ運びながら、少し黙った。


「風」


「それだけじゃないだろ?」


「魔素の流れも。地形も。荷の揺れ方も見る」


「全部?」


「うん」


「順番は?」


「順番?」


 ネリスが眉を寄せた。


 この反応は昨日も見た。


 本人にとっては当たり前すぎて、質問の意味そのものが分からないときの顔だ。


「風を見て、そのあと魔素を見る、とか」


「そんなふうには見てないよ」


「じゃあ?」


「一緒」


 昨日と同じ答えだった。


 エリアスは今度こそ、その言葉を流さなかった。


「一緒って、具体的には?」


「具体的にって言われても……」


 ネリスが店の外へ目を向ける。


 夕方の風が通りを抜け、軒先の布を揺らしていた。


「あの布、揺れてるでしょ」


「ああ」


「エリアスは何を見る?」


「風向きと強さ」


「私は、それだけじゃない」


 ネリスは指を伸ばした。


「風がどこから来て、どこへ抜けるか。その先に何があるか。魔素が寄ってるところはないか。荷を持ってたら、その荷がどっちへ持っていかれるか」


「一度に?」


「たぶん」


「たぶん?」


「そんなの普段考えないから」


 ネリスは笑った。


 エリアスは帳面へ書きつける。


 風向きと風量、魔素、地形、荷。エリアスは帳面に並べた項目を丸で囲み、線で結んだ。


「じゃあ、昼間の風を俺が見たとき、俺は『危険な乱流』だと思った」


「乱流?」


「風がぶつかって安定してない場所。魔法で崩せる」


「うん」


「お前は?」


「避けた方がいい場所」


 エリアスの筆が止まった。


「……それだ」


「何が?」


「俺は現象を見てる」


「私も見てるよ」


「違う。いや、同じものを見てる。でも見方が違う」


 エリアスは帳面を横へ置いた。


「俺は、どういう風が起きてるのかを見る。どれくらい強いのか。どういう魔力を使えば変えられるのか。お前は最初から、その中を荷を持って通るならどうするかを見てる」


「仕事だからね」


「そう。それ」


 エリアスは風の状態とそれを変える術を先に見た。ネリスは、荷を持って通る道として同じ風を見ていた。作業場で条件をばらばらに並べても噛み合わなかったのは、それぞれを何のために見ているかを書かなかったからだ。


「もう一つ」


「まだあるの?」


「ある」


「酒飲む暇ないんだけど」


「飲みながら答えろ」


「横暴だなあ」


「奢ってるからな」


「そういう使い方するんだ、大賢者の弟子」


 ネリスは笑いながら杯を傾ける。


「どこまでなら大丈夫なんだ?」


「何が?」


「荷が揺れるとか、風に流されるとか。全部避けるわけじゃないだろ」


「避けてたら進めないよ」


「じゃあ、どこで調整する?」


 ネリスは少し真面目な顔になった。


「荷が戻らなくなる前」


「戻らなくなる?」


「少し揺れるくらいなら、そのまま飛べる。でも揺れが重なると、次の風で大きく持っていかれることがあるから、その前に直す」


「今の揺れじゃなくて、その次を見るのか」


「そういうときもある」


「なるほど」


 昨日、まだ揺れは小さいのにネリスが魔法を使った荷があった。彼女が見ていたのはその瞬間の揺れだけでなく、次の風で重なる揺れでもあった。


「じゃあ、一番守ってるのは荷か?」


 エリアスが尋ねると、ネリスは少しだけ考えた。


「無事に着くことかな」


「荷が?」


「荷も。私も。一緒に飛ぶ人も」


 そこで答えを切る。


「仕事だから、届けばいいってものでもないでしょ」


「それも判断に入ってるわけか」


「たぶんね」


「また『たぶん』か」


「エリアスに聞かれて、初めて考えてること多いもの」


 ネリスが肉を口へ運ぶ。


 エリアスも酒を飲みながら、帳面を見た。


 エリアスは帳面を引き寄せた。ネリスが何を見て、どの揺れを危ないと考え、どこまでならそのまま飛ぶのか。聞いた言葉を記しておけば、術式の出力が違う理由もアドルフから学んだ魔法理論で説明できる。体系と彼女の仕事の両方を使える頁にしたかった。


「満足した?」


 ネリスが聞く。


「かなり」


「じゃあ、そろそろ普通の話していい?」


「普通の話?」


「旅の話とか」


「それも普通か?」


「少なくとも魔法式よりは普通」


 エリアスは笑った。


「何が聞きたい?」


「ずっと一人で旅してるの?」


「ああ」


「寂しくない?」


「町に着けば人いるしな」


「そういう意味?」


「女もいる」


「……そっちは聞いてない」


「大事な話だぞ」


 ネリスが呆れた顔をする。


「本当に女好きなんだ」


「隠した覚えはない」


「じゃあ、旅の目的も女?」


「違う。魔法集めて本にする」


「まともだった」


「売って大金持ちになる」


「戻った」


「有名にもなる」


「うん」


「そうしたらもっとモテる」


「結局そこなんだ」


 ネリスが声を立てて笑う。


 エリアスも笑い、酒を足した。


「お前は?」


「何が?」


「この仕事、好きなのか?」


「好きだよ」


 答えは早かった。


「飛べるし、いろんな場所に行けるし。荷を持って行った先で待ってる人がいるのも好き」


「人型で暮らす方は?」


 ネリスは少しだけ首を傾ける。


「普通」


「普通?」


「私にはね」


 それから、自分の手を見る。


「町ではこっちの方が暮らしやすいし、仕事の準備もしやすい。飛ぶときは竜の身体の方がいい。だから使い分けてるだけ」


「どっちが好きとかは?」


「あるけど、それは私の好み」


 ネリスはそう言って笑った。


「竜族みんなが同じだと思わないでね、研究者さん」


「分かってるよ」


「ならいい」


 エリアスも笑う。


 彼女自身の好みと竜族全体の話をきちんと分ける。そう言って笑うネリスを見ていると、エリアスは研究以外の話も続けたくなった。


 酒が少し進んだ頃には、二人の距離も自然に近くなっていた。


 ネリスがこちらを見る時間が長くなる。


 エリアスも遠慮する理由はない。


「ネリス」


「なに?」


「今日、改めて思ったんだけど」


「うん」


「美人だよな」


 数秒、沈黙が落ちた。


「急だね」


「思ったときに言う方だから」


「昨日から思ってたんじゃないの?」


「ばれてた?」


「見れば分かる」


「それ万能だな」


 ネリスが笑う。


 ネリスは笑ったまま、エリアスと目を合わせている。エリアスは少し身体を寄せた。


「嫌なら言えよ」


「言う」


「じゃあ、今は?」


「まだ言ってない」


 十分だった。


 エリアスが顔を寄せる。


 ネリスも逃げない。


 唇が重なった。


 短く離れて、互いの顔を見る。


「……思ったより普通」


 ネリスが言う。


「何を期待してたんだよ」


「大賢者の弟子だから、もっとすごいのかと」


「そこに魔法使う?」


「使えるの?」


「使わない」


 また笑う。


 今度はネリスの方から軽く唇を重ねた。


 それで、十分に気持ちは分かった。


 エリアスとしては、もう少し先まで行ってもよかった。


 もちろん、かなり。


「このあと、俺の宿――」


「それは行かない」


「早いな」


「そこは別」


 ネリスは笑ったまま、今夜は宿へ行かないと決めている。エリアスはそれ以上誘わなかった。


 エリアスは少しだけ天井を見る。


「そりゃ残念」


「怒らないんだ」


「なんで怒るんだよ」


「口説いてたから」


「口説いたら絶対うまくいくなら、もっと人生楽だぞ」


 ネリスが吹き出した。


「慣れてる?」


「成功にも失敗にもな」


「自慢にならないよ」


「俺は結構好きだけどな、この人生」


 酒を飲む。


 ネリスも杯を合わせる。


 エリアスは杯をネリスの杯へ軽く合わせた。キスが嬉しかったことも、誘いを断られて残念なことも、そのまま飲み込める。


 むしろ明日の方が忙しい。


 帳面を見る。


「明日、これまとめる」


「まだ仕事するんだ」


「本になるからな」


「大金持ちになるために?」


「それと、ちゃんと書きたい」


 ネリスが少しだけ目を細めた。


「じゃあ、変なこと書かないでね」


「それを明日確認してくれ」


「私が?」


「お前たちの仕事なんだから」


 魔法式は自分で確かめる。だがネリスの仕事をエリアスがどう書いたかは、彼女自身にも読んでもらいたかった。風を見ながら荷を運ぶとき、エリアスが聞き違えたことがあれば分かる。


 明日は、それを形にする。

 

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