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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第八章 竜たちの土地

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第36話 見えない道

 翌朝、エリアスが作業場へ着いたときには、すでにいくつもの荷が外へ運び出されていた。


「遅い」


 木箱の横で縄を確認していたネリスが、顔だけをこちらへ向ける。


「朝からって言っただろ」


「だから朝に来た」


「荷はもう外へ出てるよ」


「時間を言え」


「見れば分かるでしょ?」


「それ昨日から便利に使いすぎじゃないか?」


 ネリスは笑って、そのまま作業へ戻った。エリアスも文句を言いながら、邪魔にならない場所へ移動する。


 仕分けの始まりには間に合わなかったが、外に並ぶ荷にはまだ札と縄を確かめる人たちがいる。エリアスは帳面を開く前に、ネリスがどの荷から手をつけるか見た。


 ネリスが細長い木箱の前にしゃがんだ。


 留め具を確かめ、箱を軽く押す。それから片手を近づけると、ごく弱い魔力が動いた。


 風の術式。


 エリアスは目で追う。


 周囲の空気の動きを拾い、その一部をわずかに強調して返す。術式は単純で、魔力量も少ない。


(昨日と同じだな)


 続いてネリスは箱の側面へ触れた。


 今度は別の術式。


 箱そのものを動かすほどではないが、ほんの少しだけ振動を与えている。


 中身の偏りでも見ているのだろうか。


 エリアスはそう考えた。


 ところが、その隣に置かれた似た大きさの木箱には、風の魔法だけを使って終わった。


(……なんで?)


 重さも大きさも近く、行き先を示す札も同じ方向を指している。


 エリアスは黙って次を見る。


 革袋。


 ネリスが口を締め直し、軽く持ち上げる。


 魔法は使わない。


 次の革袋。


 今度は風を読む。


 さらに別の袋では、風の術式を使ったあと、ほんの少しだけ出力を変えた。


 強くした。


(条件が合わない)


 昨日より分からなくなった。


 エリアスは腕を組む。


 術式そのものは全部読める。


 分解もできる。


 風の強さを見る。


 荷の状態を見る。


 揺れを確かめる。


 方向を取る。


 一つ一つは、わざわざ論文にするほど難しい魔法ではない。


 なのに、それらをいつ使うかが分からない。


「ネリス」


「なに?」


「その袋、なんで今のだけ強くした?」


「こっちの方が必要だから」


「何が?」


「調整」


「何を見て?」


 ネリスが手を止める。


 少し考えてから、荷を指した。


「こっちの方が流される」


「風はほとんど同じだぞ」


「風だけならね」


 それだけ言うと、ネリスは次の荷へ移った。


 エリアスはその場に残り、今の革袋を見る。


 エリアスは周囲の空気と魔素、荷の位置、重さ、形を隣の袋と比べてみた。


(魔素の流れか?)


 わずかな違いはある。


 だが、その差だけで出力を変える理由になるとは思えない。


 地形、外から吹き込む風、建物の位置、積み方、中身。考え始めれば候補はいくらでも増えた。


 エリアスはようやく帳面を開いた。


 魔法式を記すためではない。


 条件を整理するためだった。


 荷の大きさと形、行き先、置かれた位置、風向きと魔素の流れ、ネリスの使った術式とその出力を順に書いていく。


 十個ほど並べたところで、一度見直した。


「……違うな」


 法則にならない。


 似た条件で違う判断をしている。


 逆に、違う条件なのに同じ処理をしているものもあった。


 エリアスは眉間を揉んだ。


 こういうとき、魔法式なら楽だった。


 術式には構造がある。


 魔力がどこから入り、どこを通り、何へ作用するか。


 分解すれば見える。


 変化があれば、その理由を探せる。


 だが今知りたいのは、ネリスがその術式を使うかどうか決めるまでの判断だった。


「難しい顔してる」


 いつの間にか戻ってきたネリスが、エリアスの帳面を覗き込んだ。


「お前のせいだ」


「私、何かした?」


「してる。さっきから同じ条件に見えるのに使い分けてる」


「同じじゃないもの」


「だから、どこが違うんだ」


「見れば――」


「分かるは禁止」


 先に言うと、ネリスが口を閉じた。


 少し不満そうな顔をしてから、荷の方を見る。


「じゃあ……あれ」


 ネリスが積み上げられた三つの木箱を指した。


「一番上、どう見える?」


「どうって?」


「飛んだらどうなると思う?」


 エリアスは見る。


 三つとも縄で固定されている。


 重量の偏りも大きくない。


「多少揺れるだろうけど、問題ない」


「私は嫌」


「なんで?」


「右へ引かれるから」


「風で?」


「それもある」


「他は?」


「そこが薄い」


 ネリスの指が、箱ではなく、その少し横を示した。


 エリアスもそちらを見る。


 魔素の流れがある。


 確かに均一ではない。


 わずかに筋が乱れている。


「これ?」


「近い」


「近い?」


「でも、それだけじゃない」


 また分からなくなった。


 エリアスは思わず笑った。


「面白いな」


「分からないのに?」


「分からないから」


 即答すると、ネリスが変なものを見る目をした。


「普通、困らない?」


「困ってるぞ」


「楽しそうだけど」


「困るのと面白いのは両立する」


「変な人」


「昨日も聞いた」


 ネリスが肩をすくめる。


 そのあとも仕事は続いた。


 エリアスは観察し、条件を書き、予想する。


 次は使う。


 そう思った荷では使わない。


 これは弱くする。


 そう考えたところで強くする。


 ときどき当たる。


 だが、当たった理由まで分からない。


 昼前には、帳面の半分が数字と条件で埋まっていた。


 そして、そのほとんどに横線が引かれていた。


「駄目だ」


「諦めた?」


「逆」


 エリアスは帳面を閉じる。


 今までの聞き方が悪かった。


「なあ、ネリス」


「今度は何?」


「その魔法、何をする魔法だ?」


「風を見る」


「それはもういい」


「じゃあ何を聞いてるの?」


 エリアスは少し考える。


 術式を聞いても駄目だ。


 効果を聞いても、使う理由までは出てこない。


 自分が知りたいのは、彼女がどう判断しているかだ。


「さっきの箱」


「どれ?」


「上に積んでた三つ。お前、右へ引かれるって言っただろ」


「うん」


「そのとき、何を見た?」


 ネリスが瞬きをする。


「何を?」


「風じゃなくていい。魔素でも、荷でも、地形でも何でもいい。お前が『これは調整する』って決めた瞬間、どこを見てた?」


 今度は、ネリスがすぐには答えなかった。


 作業場の外を見る。


 少し離れた屋根。


 その向こうの丘。


 空。


 そして、積まれた荷。


「……向こうから風が来てた」


「うん」


「でも、真っすぐじゃない。あの屋根で一度上へ逃げて、そのあと落ちてくる」


 エリアスも目を向ける。


 言われてみれば分かる。


「それから?」


「荷の横に魔素が溜まってた」


「さっき言った薄い場所と同じ?」


「違う。あれは流れが切れてた。こっちは寄ってる」


「なるほど」


 帳面を開く。


「それで?」


「箱の重心が少し右だった」


「そこまで全部見たのか?」


「見たっていうか……普通に」


 ネリスが困ったように笑う。


「だから、見れば分かるって言ったの」


 エリアスの手が止まった。


 そこだった。


 エリアスは風、魔素、荷の重心、位置、地形を別々の欄へ書き、どれが使用条件になるのか探していた。ネリスはそれらを一緒に見ているらしい。屋根から落ちる風と、魔素の寄りと、箱の右側の重さまで。


「……もう一個いいか?」


「まだ聞くの?」


「もちろん」


「本当に好きね」


「魔法が?」


「こういうのが」


「好きだな」


 ネリスは少し笑った。


 今度は嫌そうではなかった。


 エリアスは次の荷を指す。


「今、これは何を見た?」


「まず風」


「その次は?」


「次っていうか、一緒」


「一緒?」


「風を見たら、周りも見えるでしょ」


「俺には別々だ」


「そうなの?」


「そうらしい」


 二人は同じ荷の前に立ち、同じ風を受けていた。それでもエリアスの帳面の項目と、ネリスが荷を運ぶときに見ているものは重ならない。


 エリアスは帳面の余白に大きく線を引いた。


 術式の分類は残したまま、その横にネリスの判断を書ける欄を作る。そうしなければ、風の術式がどう働くかは分かっても、あの箱へいつ使うのかを説明できない。


「明日、飛ぶんだよな?」


「その予定」


「一緒に行く」


「空まで?」


「ああ」


 ネリスがエリアスを見て、少しだけ笑う。


「そこまで見たい?」


「ここまで来て地上だけ見て帰れるか」


「本当に変な旅人」


「褒め言葉として受け取っとく」


 作業場の外では、午後の風が少しずつ強くなっていた。


 ネリスはそれを一度見上げてから、何事もないように次の荷へ手を伸ばす。


 ネリスの一瞥だけでは、まだ何を見て決めたのか分からない。だがエリアスは、次に尋ねるべきことなら帳面へ書けた。彼女は風を見るとき、荷とその先の道をどう見ているのか。


 帳面を閉じる。


 明日は、それが実際に空で何を意味するのかを見る。

 

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