第33話 同じ魔法ではない
翌朝、エリアスが仕事場へ着いたときには、窯の前ですでに何人かが動いていた。
「今日は遅くねえな」
バルクが言う。
「昨日、遅れるなって言われたからな」
「言われなきゃ遅れるのか」
「場合による」
「信用ならんな」
そう言いながらも、バルクは窯の前を顎で示した。
「今日は中を見るだけじゃねえぞ。火を入れたら、途中で勝手に開けたり止めたりできねえ」
「分かってる」
「本当に?」
「そこまで馬鹿じゃない」
「昨日、仕事場へ入る前に許可聞くの忘れてた奴が言うか」
「それは別問題だろ」
バルクは鼻で笑った。
窯の中には、すでに器が並べられている。皿や壺、杯など、大きさも形も違い、厚みのあるものもあれば薄いものもあった。
置くだけでも、考えることがありそうだった。
「置き方も関係ある?」
「当然だ」
「どこでも同じじゃない?」
「同じなわけあるか」
即答だった。
エリアスは帳面を開く。
バルクが器の厚みや形、土の具合を確かめながら置き場所を指す。火の入り方と熱の溜まり方が場所ごとに違うという。エリアスは窯に魔力が流れる前から帳面を開いていた。
「これ、全部覚えてるのか?」
「毎回同じじゃねえ」
「じゃあ経験?」
「経験だけでもない。今日の窯は今日の窯だ」
「面白いな」
「お前、それ言っとけばいいと思ってるだろ」
「本当に面白いんだよ」
バルクはもう何も言わなかった。
慣れたらしい。
◯
火が入ってしばらくすると、窯の周囲には熱が溜まり始めた。近づきすぎれば肌が焼けるように熱い。それでもバルクたちは窯の様子を見ながら、何度も位置を変えている。
エリアスは職人たちの動きと魔力の流れを交互に追った。バルクは昨日話したとおり、局所的な操作だけで熱を逃がし、別の場所へ流し、必要なところには留めている。
魔法式だけならすぐに分かるし、再現もできる。
だが、使う瞬間までは読めなかった。
「今の、なんで?」
エリアスが聞く。
「何がだ」
「右側だけ熱を逃がしただろ」
「上がりすぎた」
「どこ見て判断した?」
「窯の熱の回り方」
「だから、それをどこで」
「全部だ」
「全部?」
「火も見る。音も見る。煙も見る。中の置き方も覚えてる」
「魔力は?」
「それも見る」
エリアスは少し黙った。
エリアスなら魔法で内部の熱の分布を探れる。だが、分布が見えても、いま熱を動かすべきかは分からない。海では風を読み、雪道では方角を確かめた。そのときと同じように、窯で得た情報を仕事へつなぐのはバルクたちだった。
「……なるほどな」
「今度は何だ」
「いや。やっぱり同じだなと思って」
「何が同じなんだ」
「情報が分かっても、判断までは勝手についてこない」
バルクは一瞬だけエリアスを見た。
「当たり前だろ」
「そうなんだよな」
その当たり前を、何度も旅先で突きつけられている。
エリアスは帳面へ書き込んだ。
◯
昼を過ぎた頃だった。
「……待て」
バルクの声が低くなる。
空気が変わった。
さっきまで軽口を返していた職人たちも、一斉に窯を見る。
「どうした?」
「流れが変だ」
バルクが窯の横へ回る。
別の職人がしゃがみ込み、壁際を確認した。
「石がずれてる」
「どこ?」
「下だ」
エリアスも視線を向ける。
窯の通風に使われている石の一つが、わずかに位置を変えていた。
崩れてはいないが、片側へ熱が溜まり始めているのはエリアスにも分かった。
「動かす?」
すぐに聞いた。
「待て」
バルクが止める。
「でも、このままだと偏りが広がるぞ」
「分かってる」
「なら――」
「今動かしたら、もっと崩れるかもしれねえ」
エリアスは口を閉じた。
石を動かし、壁を支え、溜まった熱を逃がすことはできる。しかし、どこを先に触り、どこまで熱を逃がせば器が無事で済むのか。窯を見ているバルクの返事を待つあいだ、エリアスは手を下ろした。
「バルク」
「ああ」
「指示してくれ」
バルクが振り向く。
「できるのか?」
「動かすのも、支えるのも、熱を触るのもできる。細かくやれる」
「どこまで細かい?」
「指一本分より細かくても」
「本当か?」
「試す?」
「今は冗談言ってる場合じゃねえ」
「俺も本気だよ」
バルクは数秒だけ考え、それから窯を見る。
「まず、石は動かすな」
「分かった」
「こっちの熱だけ少し逃がせるか?」
「どこまで?」
「半分もいらねえ。ほんの少しだ」
「時間は?」
「ゆっくり。急に変えるな」
「了解」
エリアスは窯へ向けて魔力を伸ばし、熱へ直接触れた。
広く動かさず、指定された一部だけへ作用させる。
じわじわと、熱の流れを変える。
「もっと弱く」
「これより?」
「そうだ」
「分かった」
さらに絞る。
弱く、狭く、その位置に留める。バルクの指示どおりに魔力の流れを細くすると、熱の動きがさらに緩やかになった。エリアスにはまだ十分な余裕がある。
別の職人が窯の様子を見ながら声を上げた。
「戻ってきた」
「まだだ」
バルクが言う。
「エリアス、そのまま」
「了解」
しばらくすると、熱の偏りが少し緩んだ。
「次だ」
バルクが石を指す。
「ここをほんの少しだけ戻す」
「どっちへ?」
「左。いや、待て」
バルクが別の職人と短く言葉を交わす。
エリアスは石に触れず、二人の判断を待った。
「……よし。左へ。これくらいだ」
バルクが指で幅を示す。
「それだけ?」
「それだけだ」
「分かった」
エリアスは魔力を石へ絡ませた。
周囲へ余計な力をかけず、浮かせるほどでもなく、位置だけをほんのわずかにずらしていく。
「止めろ」
バルクの声で、即座に止めた。
「そこだ」
「これで?」
「ああ」
見た目では、ほとんど変化が分からない。だが、熱の流れは確かに変わっていた。
「次、下を支えろ」
「どこ?」
「そこ」
「範囲は?」
「石二つ分」
「分かった」
エリアスは魔力を固定し、窯の壁へ余計な負担をかけないよう、必要な箇所だけを支える。熱も動かしすぎない。
バルクたちが窯を見る。状態を判断し、必要な指示を出す。
エリアスはその指示を受け、正確に魔法を使った。
それを何度か繰り返したところで、バルクが長く息を吐いた。
「……よし」
「終わり?」
「今はな」
職人たちの肩から力が抜ける。
エリアスも魔法を解いた。
「器は?」
「まだ分からん。焼き上がるまでな」
「全部駄目ってことは?」
「たぶんねえ」
「ならよかった」
エリアスは窯を見る。
エリアス一人でも石は動かせたが、あの熱の中でどこまで触るかは決められなかった。バルクたちには判断があっても、短い時間に熱と石をあれほど細かく動かす手が足りない。窯の前には、両方が要った。
「便利だな、お前」
バルクが言う。
「もっと褒めていいぞ」
「調子に乗るからやめとく」
「もう乗ってる」
「じゃあ意味ねえな」
バルクが笑った。
◯
焼き上がった器を確認できたのは、かなりあとになってからだった。
すべてが無傷というわけではない。それでも、駄目になった数はバルクたちが最初に心配したほどではなかった。
「残ったな」
「ああ」
バルクは器を一つ持ち上げ、光へかざす。
「助かった」
「俺も面白かった」
「普通はそこで、どういたしましてだろ」
「それも言っとく。どういたしまして」
「遅えよ」
仕事が落ち着いたあと、エリアスは隅に座って帳面を開いた。
今日エリアスが使ったのは、熱を移し、石を動かし、窯を支える三つの術式だ。それぞれ違う魔法でも、バルクの指示のもとでは、焼いている器を守る一続きの仕事になった。
昨日までの帳面には、同じ熱操作を乾燥中と焼成中に使い分ける話もある。織物の記録を開くと、ミレナも似た術を工程ごとに別の仕事として扱っていた。エリアスは二冊の頁を並べた。
「……同じ魔法じゃないんだな」
「何が?」
近くにいたバルクが聞く。
「俺から見れば、同じ系統の術式に見えるやつでもさ」
「だから?」
「暮らしの中じゃ、同じとは限らない」
エリアスは帳面へ新しい線を引いた。
術式と出力、使用環境、工程の欄に加え、使い手自身が一つの仕事として扱う範囲に印をつけた。なぜ区別するのかも、バルクに聞いた言葉で書く。失敗すれば器が割れるという話は、今日の窯を見たあとでは書き落とせなかった。
「増えたな」
バルクが帳面を覗き込む。
「何が?」
「書くこと」
「旅に出た頃よりずっと増えた」
「面倒じゃねえのか」
「面倒だよ」
「じゃあ減らせ」
「嫌だ」
「なんでだ」
「その方が分かるから」
エリアスは笑った。
アウローラで学んだ体系があるから、二つの術式を比べ、構造の違いを説明できる。一方、窯を救ったときに三つの術をどの順に使ったかは、バルクたちの判断を聞かなければ記せなかった。両方を載せた頁の方が、エリアスにもずっと面白く見えた。
「よし」
エリアスは帳面を閉じた。
「何がよしなんだ」
「また調べ方が増えた」
「お前、本当に面倒な奴だな」
「知ってる」
窯の近くには、無事に焼き上がった器が並んでいる。
それを見てから、エリアスは織物の帳面を隣に置いた。窯の熱がまだ肌に残っている。明日の朝、糸と器の記録を並べれば、また違いが見つかりそうだった。




