第32話 土と窯の町
ミレナの町を離れてから、エリアスはまた一人で街道を進んだ。
鞄の帳面には、糸の張りを整える術、湿り気を動かす術、素材にかかる負担を逃がす術が記してある。魔法式は難しくない。けれど記録を開くと、ミレナがどの工程で使い、何を別の仕事として扱っていたかまで思い出せた。
「次も同じとは限らないよな」
歩きながら呟く。
ミレナはあの仕事場の布と糸について教えてくれた。別の土地なら素材も道具も違うだろうし、何を必要とするかも変わる。エリアスは次の町で確かめるつもりだった。
◯
次に入った町では、土の匂いがした。
正確には、濡れた土と、焼けた土と、薪の煙が混ざった匂いだった。
町の中を歩くと、店先や家の前に皿や壺、杯、水差しといった器が並んでいる。飾りの少ないものもあれば、表面へ細かな模様が刻まれたものもあった。
「焼き物か」
通りにはドワーフ族の姿が多い。エリアスは店先の器を眺めながら、この町では焼き物が仕事になっているらしいと考えた。なら、その手元に魔法があるかもしれない。
エリアスは一軒の仕事場の前で足を止めた。
戸口の向こうには、棚いっぱいに成形途中の器が並んでいる。その奥で、一人の男が器の縁を整えていた。
ドワーフ族の男だった。
年齢までは分からない。太い指で器を持っているが、動きは驚くほど細かい。そして、その手元から魔力が流れた。
「……水分か?」
エリアスが呟くと、男が顔を上げた。
「何だ?」
「今、器に魔法使っただろ?」
「使ったが」
「見せてもらっていい?」
「もう見てるじゃねえか」
「あ」
前の町でも似たようなことを言われた。エリアスは戸口へ一歩戻った。
「仕事場、入っていい?」
「順番がおかしいぞ」
「最近それをよく言われる」
「だろうな」
男は鼻で笑った。
「邪魔しねえなら勝手にしろ」
「助かる」
エリアスはすぐに帳面を取り出した。
「名前は?」
「バルク」
「俺はエリアス」
「それで、何が見たい」
「今の魔法」
「本当にそれだけか」
「今のところは」
「変な奴だな」
それも最近よく言われる。
バルクは作業台の上から、まだ柔らかさの残る器を一つ取った。
「こいつは、このまま乾かすと場所によって水の抜け方が偏る」
「割れる?」
「割れることもある。歪むこともある」
バルクが器の側面へ指を当てる。
弱い魔力が流れた。
エリアスはその構造を見る。水分を抜く魔法だが、作用は本当にわずかだった。
「この強さなのは理由があるんだろ?」
バルクが片眉を上げた。
「もっと強くできると思ったか?」
「できる」
「じゃあ、なんでやらねえ」
「壊れるからだろ」
「分かってるじゃねえか」
「前に似たようなの見たからな」
エリアスは帳面を開いた。
乾燥を急がせるのではなく、場所による乾き方の差を減らし、必要以上に水分を奪わない。その働きなら術式から読めた。
「いつ使う?」
「今みたいなときだ」
「もっと詳しく」
「面倒な奴だな」
「それもよく言われる」
バルクは器を棚へ戻した。
「形を作ってすぐ全部にやるわけじゃねえ。土の具合を見る。厚さも見る。天気でも変わる」
「同じ器でも?」
「同じ形でも同じ土とは限らねえだろ」
「なるほど」
エリアスはすぐに書き込んだ。
エリアスは術式と出力、対象に加えて、土の状態、器の厚さ、乾燥段階を聞きながら記した。工程の欄にもすぐ筆を走らせる。
バルクが帳面を覗き込んだ。
「そんな細かいことまで書くのか?」
「細かいところが面白い」
「魔法使いってのは分からんな」
「俺を基準に魔法使い全部を考えない方がいいぞ」
「自分で言うか」
「大事だからな」
エリアスは笑った。
◯
仕事場の奥に、火を落とした窯があった。その周りにもいくつか魔法の痕跡が残っていて、エリアスは足を止めた。
「ここでも使うのか?」
「ああ」
バルクは窯の側面を軽く叩いた。
「焼いてる途中で熱が偏ることがある」
「それを動かす?」
「必要ならな」
「どのくらい?」
「そのとき次第だ」
「それじゃ分からない」
「お前、そればっかりだな」
「知りたいから仕方ない」
バルクがため息をつく。
それでも追い出しはしなかった。
「強く動かせばいいってもんじゃねえ。急に熱を変えりゃ、中のもんが駄目になる」
「少しずつ?」
「少しずつだ」
エリアスは術式の痕跡を追った。
熱を移し、局所的な温度差を小さくする。構造だけを見るなら、それほど特殊な魔法ではない。だが、重要なのはどの時点で使うのかということらしい。
「乾かしてる途中にも熱を触る?」
「触ることはある」
「焼いてる途中にも?」
「ああ」
「焼き終わったあとも?」
「必要ならな」
同じような熱操作が何度も出てくる。エリアスは筆を止めた。
「全部、似たような魔法?」
「似てるって何がだ」
「熱を動かすところ」
「仕事は違うぞ」
すぐに返ってきた。
エリアスは思わず笑った。
「やっぱりそうか」
「何がおかしい」
「前の町でも似たこと言われた」
「前の町?」
「織物を見てた。術式が似てても、使う工程が違えば別の仕事だって」
「そりゃそうだろ」
バルクにとっては当然らしい。
エリアスは窯を見る。
乾燥中なら水分の抜け方を整え、焼いているあいだは熱の偏りを抑える。焼き終えてからは、器が急に冷えないようにする。魔法式を並べれば同じ系統だが、窯の前では使う時点ごとに判断が要った。
「じゃあ、逆にこれ」
エリアスは棚の器を指した。
「乾かすとき、水分も触るし、熱も触るだろ?」
「ああ」
「魔法としては別だけど、仕事としては?」
「乾かす仕事だ」
「やっぱり」
水分と熱では術式の系統が違う。それでもバルクには、一つの器を乾かすための仕事だった。ミレナの織物でも似た区別を見たが、扱う素材も道具も、失敗したときに壊れるものも違う。この二つの仕事場を見ただけで種族の習慣とは言えない。エリアスはバルク自身の言葉として帳面へ書いた。
「面白いな」
「さっきからそれしか言ってねえぞ」
「面白いんだから仕方ないだろ」
「安上がりな奴だな」
「酒と飯と女には金かかるぞ」
バルクが手を止めた。
「急に何の話だ」
「安上がりじゃないって話」
「知らん」
呆れたように言われた。
エリアスは笑いながら帳面へ書き続ける。
魔法式と出力に続けて工程を書き、バルクが一つの仕事と考える範囲にも印をつける。帳面の項目がまた増えた。面倒だが、器がどうできるかまで追えるのは面白かった。
「で、窯を実際に使うのはいつ?」
「明日だ」
エリアスが顔を上げる。
「明日?」
「ああ。朝から焼く」
「見ていい?」
「また一日いる気か」
「そのつもり」
「暇なのか?」
「旅の目的だよ」
バルクはしばらくエリアスを見た。
「お前、何者だ?」
「旅の魔法使い」
「それだけじゃねえだろ」
「大賢者アドルフ・ヴァイスの最後の弟子」
バルクの眉が上がった。
「……先に言え」
「聞かれなかったから」
「普通は言うだろ」
「言ったら仕事見せてくれる?」
「別に変わらん」
「じゃあ同じだろ」
「そういう問題か?」
バルクは頭を掻いた。
それから窯を見る。
「明日は火を入れるところからだ。途中で帰るなら見る意味ねえぞ」
「帰らない」
「熱いぞ」
「魔法使いにそれ言う?」
「窯仕事を知らねえ奴には言う」
エリアスは少しだけ黙った。
それから笑う。
「なるほど。じゃあ聞いとく」
「素直なのか生意気なのか分からんな」
「両方じゃない?」
「自分で言うな」
また同じようなことを言われた。
エリアスは帳面を閉じる。
今日は器を作り、乾かし、状態を整えるところまで見た。明日は火が入った窯の前で、バルクが何を見て魔法を使うのか確かめられる。
「じゃあ、明日。朝から来る」
「遅れるなよ」
「最近それも言われたな」
「知らん」
仕事場を出ると、夕方の町に薪の煙が漂っていた。
エリアスは宿へ向かいながら、今日の記録を頭の中で並べ直す。
織物と焼き物。どちらの仕事でも、術式の類似だけでは使い手の区別が分からなかった。窯で火を扱う瞬間、バルクが何を見て決めるのかは、まだ聞いていない。
「明日だな」
窯へ火が入れば、もっと分かる。
そう思うと、もう明日の朝が楽しみだった。




