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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第七章 異なる暮らし

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第30話 糸のあいだの魔法

 雪の残る土地を離れて何日か進むと、街道の景色は少しずつ変わっていった。


 白い地面から土が覗き、針葉樹ばかりだった森にも葉の広い木が混じる。朝晩はまだ冷えるが、吐く息は白くならない。エリアスは外套の前を開けて歩いた。


 鞄には雪国でまとめた帳面がある。暖房、雪解け、凍結防止、保存、方向確認、保温。小さな術ばかりだが、誰がどこで何を守るために使うのかで、同じ程度の強さでも意味が変わった。


「次は何があるかな」


 それを考えると、自然と足が速くなる。


 昼を過ぎた頃、道の先に町が見えてきた。


 石造りと木造りの建物が混じる小さな町で、通りには荷車と人が行き交っている。旅の途中で聞いたとおり、エルフ族の姿も多かった。それ以上にエリアスの目を引いたのは、通り沿いの店だった。


 食料を売る店や道具屋、酒場、宿。そして、何軒か並んだ織物の仕事場。


「飯は……あとでもいいか」


 腹は減っている。


 宿も取っていない。


 だが、開け放たれた仕事場の奥で魔力が動いた。


 そうなると、そちらが先だった。


 エリアスは入口の近くまで寄り、中を覗く。


 何台もの織機が並び、木の鳴る音と糸の擦れる音が規則的に続いている。布が少しずつ形になる、その手元でまた小さな魔力が動いた。


「……今の何だ?」


 思わず声が出る。


 織機の前に座っていた女性が顔を上げた。


「何が?」


「今、糸に魔法使っただろ?」


 女性は手元を見た。


「使ったけど」


「もう一回やってくれない?」


「いきなり来て、それ?」


「あ」


 エリアスは少し考えた。


 確かに順番がおかしい。


「エリアス。旅の魔法使い」


「そうじゃなくて」


 女性が笑う。


「普通は、仕事場に入っていいか聞く方が先じゃない?」


「なるほど」


「なるほどじゃないわよ」


 追い出されるかと思ったが、女性は笑ったままだった。


 エリアスは改めて入口へ一歩戻る。


「仕事、見せてもらっていい?」


「今さら?」


「順番は直した」


「遅いけどね」


 女性は織機へ向き直った。


「邪魔しないならいいわよ」


「助かる」


 エリアスはすぐに帳面を取り出した。


「それで、さっきのもう一回」


「本当にそれしか頭にないのね」


 呆れたように言いながら、女性が糸へ指を触れる。


 ほんのわずかに魔力が流れた。


 エリアスは目を細める。


 術式そのものは簡単だった。


 複数の糸へごく弱い力をかけているが、同じ強さで引っ張ってはいない。緩んだところだけをわずかに引き、張りすぎた部分にはほとんど触れなかった。


「張りを揃えてるのか」


「分かるの?」


「術式はな」


 エリアスは空中で指を動かして同じ構造を組み、目の前に垂れた数本の糸へ魔力を流す。ばらついていた張りが揃った。


 女性が少し目を見開く。


「一回見ただけで?」


「これくらいなら」


「へえ」


 今度は女性の方がエリアスを観察するように見る。


「旅の魔法使いって、みんなそんなことできるの?」


「いや。俺が結構すごい」


「自分で言うんだ」


「事実だからな」


 女性が吹き出した。


 悪くない反応だ。しかも、笑うと落ち着いた雰囲気が少しほどけて、かなり綺麗だった。エリアスは帳面を開きながら聞いた。


「名前は?」


「ミレナ」


「ミレナか。俺は――」


「エリアス。さっき聞いた」


「覚えてた?」


「今聞いたばっかりでしょう」


「それもそうか」


 ミレナはまた笑った。


 エリアスは少しだけ機嫌がよくなった。


 魔法も見つかり、話しやすい美人とも知り合えた。いい町かもしれない。


     ◯


 しばらく見ていると、別の魔法も見つかった。


 ミレナが布へ指先を滑らせると、ごく狭い範囲から水分が抜けた。


「乾燥?」


「少しだけね」


「全部乾かさないのか?」


「乾かしたら困るもの」


「なんで?」


「このあと扱いにくくなるから」


 エリアスは帳面へ書き込みながら、布を見る。


 術式だけなら簡単な水分調整だ。似た魔法なら、保存や洗濯、農作業、船の上でもいくつも見たことがある。


「もっと均等に抜けるけど」


 エリアスが言うと、ミレナは首を振った。


「均等じゃ困るのよ」


「ここだけ?」


「そこだけ」


「なんで?」


「次にこっちを通すから」


 ミレナが作業を続ける。


 布の端へ少し湿り気を残しながら、別の部分だけを調整する。


 そのあと別の糸を通して位置を整え、また別の場所へわずかな魔力を流した。エリアスは筆を止めた。


「待って」


「何?」


「今の魔法、さっきとほとんど同じだよな?」


「どれ?」


「湿り気を動かしたやつ」


「ああ。それなら違うわよ」


「術式はほとんど同じだぞ」


「でも違うでしょう」


 ミレナは当然のことのように言った。


 エリアスは布を見る。


「何が違う?」


「使うところ」


「それだけ?」


「それだけって……」


 ミレナは困った顔をした。


「こっちは糸を通す前。さっきのは仕上げる前。やってることが違うもの」


 エリアスはもう一度、術式を思い返す。


 構造も作用も似ているから、魔法理論では同系統の術式としてまとめられる。だがミレナの手元では、使う場所も作業の段階も目的も違っていた。


「じゃあ、これとこれを同じ魔法って言われたら?」


「嫌ね」


「嫌なの?」


「だって違うもの」


 即答だった。


 エリアスは少し笑った。


「面白いな」


「何が?」


「いや、こっちの話」


 さらに仕事を見ていく。


 糸の張りを揃え、湿り気を動かし、ほんの少しだけ素材へかかる力を逃がす。


 どれもエリアスなら、もっと強く、広く、速く使える。けれど、この仕事に要るのは今触れている範囲だけだ。雪国でも見た、その使い方の先に、もう一つ気になることがあった。


「なあ、さっきの張りを揃えるやつ」


「まだ聞くの?」


「まだ聞く」


「好きねえ」


「知らない魔法だからな」


 ミレナは手を止めずに答える。


「何?」


「あれ、いつ使う?」


「必要なとき」


「それじゃ分からない」


「あなた、面倒くさい人ね」


「よく言われる」


「でしょうね」


 それでもミレナは答えてくれた。


 糸を掛けた直後や、途中で張りが崩れたときに使う。素材によっては使わないこともあり、使いすぎれば逆に糸を傷める。


「じゃあ最初からずっと効かせておけばいいわけじゃない?」


「そんなことしたら駄目になるわよ」


「やっぱりか」


 エリアスは発動方法、対象、出力、使う工程、使わない場合と使いすぎた場合まで書いた。ひとまず一つの術の記録はできたが、目の前ではミレナが次の作業へ移り、また別の魔力が動く。


 一枚の布を織るあいだ、小さな術は単独で完結しない。仕事の順番に沿って、何度も挟まれていた。


「……なるほどな」


「今度は何?」


「使う順番まで見ないと分からないのか」


 ミレナが手を止めた。


「何が?」


「この魔法」


「魔法?」


「そう。俺は術式を見れば、何をしてるかは分かる。でも、それだけじゃ足りないみたいだ」


 エリアスは帳面を見る。


 同じような術式なのに、ミレナは別のものとして扱う。逆に、術式としては別々に分けられる魔法を、一つの仕事の流れの中では当たり前のようにつなげて使っている。


 術式による分類と、使い手が仕事の中で区別する技術。その二つは重ならないことがある。


「面白い」


「本当に楽しそうね」


 ミレナが呆れ半分で笑う。


「楽しいぞ」


「大賢者の弟子って、みんなそんな感じなの?」


 エリアスの手が止まった。


「なんで知ってる?」


「さっき、通りの人が教えてくれたわよ。旅の魔法使いが来たと思ったら、大賢者アドルフ・ヴァイスの最後の弟子らしいって」


「噂、早くない?」


「小さい町だから」


「便利なんだか怖いんだか分からないな」


 ミレナは少しだけエリアスを見る目を変えた。


「本当に大賢者の弟子なの?」


「そうだけど」


「へえ」


「もっと驚かない?」


「驚いてるわよ」


「そう見えない」


「じゃあ、明日から私の代わりにこれ全部できる?」


 エリアスは織機を見る。


 術式なら全部再現できる。


 だが、どの糸へ、どの順番で、どこまで、いつ使うのか。そこまで判断しろと言われると、話が違う。


「……無理だな」


「でしょう?」


 ミレナは満足そうに笑った。


「大賢者の弟子でも?」


「大賢者の弟子でも」


「じゃあ、ちゃんと覚えて帰りなさい」


「そのつもり」


 エリアスも笑った。


 大賢者の弟子でも、知らない仕事の判断まで見ただけでは分からない。なら、聞いて、見て、覚えればいい。その方が面白い。


 日が傾き始める頃、ミレナがようやく手を止めた。


「今日はここまで」


「もう?」


「もうって、ずっと見てたじゃない」


「途中からだっただろ」


「朝から来るつもりだったの?」


「明日は朝から見たい」


 ミレナが瞬きをした。


 それから、少し笑う。


「本気?」


「本気」


「仕事よ?」


「だから見たいんだよ。一日の最初から最後まで見た方が、どこで何を使ってるか分かる」


 ミレナはしばらくエリアスを見ていた。


 大賢者の弟子を見る目ではなかった。


 妙な旅人を見るような、少し面白がっている目だった。


「じゃあ、明日。朝から来れば?」


「いいの?」


「邪魔しないなら」


「質問はするぞ」


「それはもう諦めた」


「よし」


 エリアスは帳面を閉じた。


 宿もまだ取っておらず、飯も食っていない。腹はとっくに減っている。


 それでも、悪くない一日だった。


 知らない魔法があり、術式だけではまだ分からないことも残っている。明日また最初から見られるのが楽しみだった。


 仕事場を出る前、エリアスは振り返った。


「じゃあ、また明日。ミレナ」


「ええ。また明日、エリアス」


 名前を呼び返されて、少しだけ気分がよかった。


 さて。


 宿を探して、飯を食って、できれば酒も飲もう。


 そう思いながら歩き出しても、頭の中ではもう、明日見る魔法のことを考えていた。

 

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