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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第六章 雪国の魔法

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第29話 命を守る小さな魔法

 翌朝になっても、エリアスの身体には昨日の疲れが残っていた。


 怪我はなく、魔力も眠ればかなり戻った。それでも頭の奥には薄い重さが残っている。長い時間、複数の魔法を同時に維持し続けたせいだろう。


「……眠い」


 宿の食堂で朝食を食べながら、エリアスは欠伸を噛み殺した。だが、その隣にはすでに帳面が開かれている。


 昨夜、町へ戻ってきた時点で書きたいことはいくらでもあった。しかしさすがに、まともに字を書ける状態ではなかった。


 だから今日になった。


 まず確認したいのは、岩陰で四人が使っていた保温魔法だった。


 術式は単純で、威力も小さい。宿で見つけただけなら、寒い日に便利な魔法として記録しただろう。だが、昨夜はあの魔法を切らさず使っていた四人に、岩陰で会えた。


「でも、あそこじゃ違ったんだよな」


 エリアスは残ったパンを口へ放り込み、帳面を閉じた。


 眠いし、疲れている。だからといって、気になるものを放っておけるほど大人しくもなかった。


     ◯


「これ、誰に教わった?」


「親父だよ」


「親父さんは?」


「そのまた親父からだと思う」


「いつ使う?」


「寒けりゃ使う」


「寒いって、どのくらい?」


「……寒いくらいだ」


「それじゃ分からない」


「そんなこと言われてもな」


 昨日救助された男が困った顔をする。


 エリアスは帳面を構えたまま、さらに尋ねた。


「ずっと使うのか?」


「いや。火が使えるなら火を使う。風を避けられる場所なら、まずそっちを探す」


「じゃあ、あれだけで何とかしようとはしない?」


「無理だろ」


「だよな」


 答えを聞きながら書く。


 保温魔法の発動方法、使用者、使用環境。併用する防寒具、風を避けられる場所の有無、火を使える状況かどうか。


 そして、その下へ一行加える。


 ――身体から熱が失われる速度を抑え、救助までの時間を稼ぐ。


 エリアスは筆先を止めた。


 用途も使い手も、これまで記録してきた。今度は、救助が来るまで持ちこたえるという使い手の目的を、自分が確かめた言葉で書ける。


「何のために……か」


「何だ?」


「いや、こっちの話」


 エリアスはもう一度、書いた文字を見る。


 宿の毛布と岩陰では、同じような保温でも使う場面が違う。昨夜、四人にとっては救助を待つ時間を延ばすための魔法だった。


 その後も町を歩いた。


 水桶の凍結を防ぐ魔法、雪を除けやすくする魔法、食料を凍らせすぎないための温度調整、雪の中で方向を見失わないための補助。


 誰に教わり、いつ使い、どこまで頼るのか。どういうときには魔法以外の方法を選ぶのか。


 術式を解析する楽しみは変わらない。その上で、使い手が魔法以外の何を選び、何を守ろうとしたのかも知りたかった。


「ここまで書いた方が分かりやすいな」


 なぜその形と強さが選ばれたのか。理由が分かるほど、術式を読み返すのも面白くなる。


「書くこと、また増えたな……」


 帳面の頁を見てため息をつく。


 だが口元は笑っていた。


「まあ、面白いからいいか」


     ◯


 夜には、さすがに身体が限界を訴え始めていた。


 エリアスは宿の食堂で酒を飲んでいた。


 一杯目はうまかった。


 二杯目も、たぶんうまかった。


 三杯目を頼もうとしたところで、目の前から杯が消えた。


「今日はもうやめておきなさい」


「え?」


 顔を上げる。


 そこにいたのはノーラだった。


 エリアスより、かなり年上の女性。落ち着いた顔立ちと、ゆったりした雰囲気を持っている。


 派手さはないが、目を向ければつい見てしまう魅力がある。既婚者だということも、エリアスはすでに聞いていた。


「まだ二杯しか飲んでない」


「三杯目を頼もうとしてたでしょう?」


「よく見てるな」


「あなた、朝からずっと町を歩き回ってたでしょう」


「研究だから」


「昨日は吹雪の中で人を助けて、その次の日に朝から研究?」


「気になったから」


「そう」


 ノーラは笑った。


「じゃあ、まず食べなさい」


 代わりに置かれたのは、湯気の立つ皿だった。


 肉と野菜の入った煮込み。


「酒は?」


「食べてから」


「厳しい」


「倒れられるよりいいわ」


 エリアスは反論しようとして、腹が鳴った。


 ノーラが何も言わずに見る。


「……食べます」


「よろしい」


 匙を取る。


 温かい。


 腹へ入ると、思っていた以上に身体が緩んだ。


「うまい」


「でしょう?」


「これ食ったら酒くれる?」


「急がなければね」


「じゃあゆっくり食う」


「それはそれで遅くなりそうね」


 ノーラは向かいに座った。


 エリアスが研究の話を始めると、きちんと聞いてくれた。


「昨日のあの魔法、すごく弱いんだよ。でも、その弱さで――」


「ええ」


「いや、弱いって言っても悪い意味じゃなくて。むしろあれくらいだから――」


「分かったから、食べながら話しなさい」


「はい」


 食べながら研究の話をし、酒を少し飲んではまた話す。そのうち言葉が途切れがちになった。


「それで……保温の方は……」


「うん」


「使う場所によって、同じくらいの出力でも……」


「うん」


「……」


「眠い?」


「眠くない」


「目、閉じてるけど」


 エリアスは目を開けた。


「考えてただけ」


「そういうことにしておきましょうか」


 ノーラは笑う。


 妙だった。


 普段なら、相手が魅力的な女性ならエリアスの方から話を振る。笑わせ、距離を詰め、どうにかしてこちらを意識させようとする。


 ノーラはかなり好みだ。独身なら間違いなく口説いている。でも彼女には夫がいる。今夜はそれ以上を考えずに話し、食べられることが、妙に楽だった。


「これ、食べなさい」


「まだあるの?」


「少しだけ」


「太る」


「昨日あれだけ動いた人が言う台詞じゃないわね」


「じゃあ食う」


「素直ね」


「疲れてるからな」


「知ってる」


 その返事が、不思議なくらい心地よかった。


 大賢者の弟子だからでも、昨日人を助けたからでもない。ノーラは疲れた客に飯を食わせ、酒を止め、休ませようとしている。それが心地よかった。


「もう部屋へ戻った方がいいんじゃない?」


「まだ帳面が……」


「明日でいいでしょう」


「忘れるかもしれない」


「今のあなたが書いた字、明日読めると思う?」


「……たぶん読めない」


「でしょう?」


 エリアスはしばらく帳面を見た。


 それから閉じた。


「分かった。寝る」


「はい、おやすみなさい」


「子供扱いしてない?」


「してないわよ」


「本当に?」


「早く行きなさい」


 追い払うように手を振られる。


 エリアスは立ち上がった。


 身体が重い。


 でも嫌な重さではなかった。


 張り詰めていたものが、いつの間にか抜けている。


「……こういうのも悪くないな」


「何か言った?」


「何でもない」


 自室へ戻る。


 寝台へ身体を落としたところで、ノーラの顔が浮かんだ。


「独身だったら絶対口説いてたのにな……」


 それだけ呟いて、エリアスは眠った。


 その夜は、夢を見る暇もなかった。


     ◯


 翌朝。


「よく寝た」


 頭の重さはすっかり消えていた。


 エリアスは伸びをして、窓の外を見る。


 雪は止んでいる。昨日までとは違って、空も明るい。階下へ降りる途中、若い女性とすれ違った。


 思わず目で追う。


「……美人だな」


 いつもの自分だった。


 少し安心する。


 食堂へ入ると、ノーラの姿もあった。


「おはよう。今日は顔色いいわね」


「おかげさまで」


「ちゃんと寝た?」


「寝た。すごく寝た」


「ならよかった」


 エリアスは席につきながら、ほんの少しだけ惜しく思う。


 人妻じゃなかったらなあ。


 まあ、それはそれだ。


 朝食を終えると帳面を開いた。


 暖房、雪解け、凍結防止、保存、方向確認、保温。


 並べてみると、どれも大きな魔法ではない。それでも、意味は同じではなかった。


 誰がどこで使い、何を守るために必要としたのか。昨日聞いた話を添えて読み返すと、その形になった理由が前よりよく見えた。


「よし」


 エリアスは最後の頁を閉じた。


 雪国で拾った魔法は、ひとまずまとまった。


 まだ知らないものはいくらでもあるだろう。でも、それはここだけではない。他の土地にもある。


 金も欲しい。


 うまい飯も食いたい。


 酒も飲みたい。


 女にもモテたい。


 そして何より、まだ知らない魔法を見たい。


「じゃあ、行くか」


 荷物を背負う。


 外には白い道が伸びていた。


 エリアスは一人で、次の土地へ向かって歩き出した。

 

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