第28話 吹雪の向こう
町を出たときには、雪はもう真正面から降っているようには見えなかった。風に叩きつけられ、白い粒が横から流れてくる。
数歩先を歩くオスカーの背中さえ、ときどき雪の向こうへ消えた。
「離れるな!」
風に負けないよう、オスカーが声を張る。
「分かってる!」
エリアスも返す。
救助に出たのは、オスカーを含めて六人。
地元の男たちは縄で互いの距離を保ち、前後を確認しながら進んでいた。
エリアスもその列に加わっている。
風を止め、広い範囲の雪を吹き飛ばすことはできる。しかし地形まで変えれば道が分かりにくくなる。進む方角と場所を決めるのは、ここを知るオスカーたちだった。
「次の印は?」
「右前だ!」
オスカーが手を向ける。
弱い魔力が流れた。
今朝見せてもらった、雪の中で方向と目印を確認するための魔法だ。
エリアスも同じ術式を使う。
意識を向けるべき方角が、わずかに掴みやすくなる。
だが、それだけだった。
目を凝らしても、白い雪しか見えない。
「見えないな」
「当たり前だ! この吹雪だぞ!」
「じゃあ、ちょっと借りる!」
エリアスは前方へ手を向けた。
風を消すのではない。
自分たちの前、ほんの狭い範囲だけ。
横から叩きつけてくる雪を流し、視界を確保する。
一瞬、白い幕が薄くなった。
「あった!」
少し離れた場所に、雪を被った杭が見える。
「維持できるか?」
「できる!」
「ならそのまま頼む!」
エリアスは術式を残したまま歩き出す。
雪を流して視界を確保し、身体から逃げる熱を補い、深い雪だけ踏み抜かない程度に固める。三つの術を同時に維持した。どれも大きな魔法ではないが、救助隊が一歩ずつ進むためには、その力加減を保つ必要があった。
「止まれ!」
突然、オスカーが腕を上げた。
全員が足を止める。
「どうした?」
「前は駄目だ」
エリアスには、何が違うのか分からなかった。
ただ白い斜面が続いている。
「なんで?」
「雪の付き方が変だ。風も当たってる。迂回する」
「遠くなるぞ」
「分かってる」
オスカーの返事に迷いはなかった。
エリアスは口を閉じる。
方角が合っていても、その斜面を通っていいとは限らない。オスカーが雪の付き方を見て迂回を決めるあいだ、エリアスは魔法で確保した視界を保った。
「分かった。どっち?」
「左だ。足元を見てくれ」
「任せろ」
エリアスは言われた場所へ魔法を向けた。
一人なら、雪を飛ばし、身体を浮かせて先へ行く方が速い。だが遭難者の居場所も地形も分からないまま急げば、探す場所を外すかもしれない。今はオスカーたちと進み、四人を見つけることが先だった。
◯
「ここで一度止まる!」
どれだけ歩いたのか。
空は暗くなり始めていた。
オスカーたちは風を避けられる低い場所へ集まる。
エリアスがその周囲へ風除けを張ると、轟々と鳴っていた風の音が少し遠ざかった。
「……すげえな」
救助隊の男が息を吐く。
「もう少し広げるか?」
「いや、このくらいでいい。広げすぎても外の様子が分かりにくい」
「了解」
エリアスはそれ以上触らなかった。
オスカーが膝をつき、雪の表面を見る。
「北東へ出たって話だったな」
「ああ」
「この天気なら、途中で戻るのは難しい。先へ進むより、どこかで風を避けた可能性が高い」
「林までは行ってると思うか?」
「たぶんな」
別の男が周囲を見る。
「東側の窪地か?」
「いや、あそこは雪が溜まる。林の手前に岩場がある。俺ならそっちへ行く」
エリアスは聞いていた。
どれも自分には判断できない。
けれど、決めてもらえればできることは山ほどある。
「岩場までの道、雪深い?」
「途中がひどい」
「じゃあ、そこだけ俺が開ける」
オスカーが頷く。
「頼む」
再び歩き始めた。
今度は積雪が一気に深くなった。
先頭の男の膝まで雪が沈む。
「ここか」
エリアスは手を向ける。
熱で全部溶かさない。
雪を吹き飛ばして地面を剥き出しにもしない。
歩く場所だけ。
数人が通れる幅だけ。
表面を押さえ、深く沈まない程度に整える。
「進める!」
声が上がる。
「じゃあ次!」
魔法を先へ送る。
一歩進むごとに次の足場を整える。視界を開き、風除けを動かしながら続けても、エリアスの魔力にはまだ余裕がある。ただ、どの術も切らさず、場所に合わせて動かし続けなければならなかった。
「エリアス!」
オスカーが前を指差す。
「何かある!」
視界を遮る雪を流す。
白い中に、黒い影が浮かんだ。
岩だった。
その陰に、人影がある。
「いた!」
救助隊が走る。
四人。
全員いる。
「おい! 分かるか!」
「……ああ」
弱い返事があった。
エリアスも岩陰へ入る。
遭難者たちは身を寄せ合い、外套の上からさらに布を巻いていた。
雪の上へ直接座らないよう、荷物や枝を敷いている。
そして。
「……魔法?」
エリアスが目を細める。
四人の周囲に、ごく弱い魔力が流れていた。
昨日まで町で何度も見たものと似ている。
保温。
だが、宿の毛布よりさらに弱い。
「これ、ずっと使ってたのか?」
一人が震えながら頷く。
「交代で……切らさないように」
エリアスは手を伸ばし、魔力の流れを読む。
身体を温めたり、火の代わりをしたりはしない。ただ、逃げていく熱をほんの少し減らしている。
「こんな弱い魔法で……」
言いかけて、止まった。
弱い。
確かに弱い。
自分なら、この何倍どころか何十倍もの熱を簡単に作れる。
けれど。
「……ここまで持たせたのか」
吹雪の中で少しずつ熱を守り、救助が来るまで持ちこたえた。その積み重ねが、今ここで四人の返事を聞ける時間につながっていた。
出力だけなら、取るに足らない。
それでもこの場所では、その小ささが命と死の間にあった。
「エリアス、動かせるか?」
オスカーの声で意識を戻す。
「ああ。任せて」
今度はエリアスの仕事だった。
◯
まず、岩陰の風をさらに弱める。
冷え切った身体へいきなり強い熱をぶつけるのではなく、周囲の温度を少しずつ整える。
濡れた部分を乾かし、保温を重ねる。
「これ、持てるか?」
「ああ……」
「無理なら言って。格好つけるところじゃないから」
遭難者の一人がかすかに笑った。
「それ、あんたが言うのか」
「俺は格好いいからいいんだよ」
「元気だな……」
「そっちは喋れるならまだ大丈夫そうだな」
エリアスは軽く返しながら、別の術式を組む。
四人の身体をそれぞれ保温し、救助隊を風から守る。さらに前方の視界、帰路の足場、方向確認へも術式を伸ばした。
救助隊の一人が目を見開いた。
「全部やってるのか?」
「全部ってほどじゃない」
「十分全部だろ」
「道は分からないぞ」
エリアスはオスカーを見る。
「帰り、頼む」
「ああ」
短い返事だった。
それで十分だった。
歩ける者は支えながら。
難しい者は交代で運ぶ。
エリアスが道を作る。
だが進む方向を決めるのはオスカーたちだ。
「次、右!」
「右な!」
視界を開く。
「そこ深い!」
「じゃあ固める!」
足場を作る。
「風が変わった!」
「風除け、向き変える!」
魔法を動かす。
雪も風も止まらないが、足を運べる道と身体を守る力を置けば、救助隊は進める。
町の灯りが見えたとき、誰かが大きく息を吐いた。
「見えた!」
そこからは早かった。
待っていた人々が駆け寄ってくる。
遭難者四人は、そのまま暖かい建物の中へ運ばれた。
全員、生きて帰った。
エリアスは入口の脇へ寄り、壁へ背中を預けた。
「……疲れた」
魔力はまだ残っている。それでも長いあいだ複数の魔法を細かく動かし続けて、頭の奥が重かった。
オスカーが隣へ立つ。
「助かった」
「俺だけじゃ見つけられなかった」
「俺たちだけでも、あの時間じゃ厳しかった」
「じゃあ半分ずつだな」
「そういうことにしとくか」
エリアスは目を閉じた。
目を閉じると、岩陰で途切れずに流れていた保温の魔力が浮かぶ。あの小さな術で四人は救助を待っていた。エリアスなら何十倍もの熱を作れるが、今は術の強さだけを書いて済ませる気にはなれなかった。




