第27話 雪の中の道
翌朝、エリアスが食堂へ下りると、昨日聞いた男たちの姿があった。
壁際の卓で朝食を取りながら、外へ出る支度をしている。厚手の外套に革の手袋。足元には荷物を括りつけた背負い袋と、雪へ突くための長い杖が立てかけてあった。
エリアスは盆を持ったまま、迷わずそちらへ向かった。
「昨日、向こうの集落まで行くって話してたよな」
男の一人が顔を上げる。
「ああ」
「俺も行っていい?」
「……何しに?」
「道を見たい」
「道?」
「雪の中でどうやって迷わないのか気になって」
男はしばらくエリアスを見たあと、隣の男へ目を向けた。
「オスカー、どうする?」
呼ばれた男は四十前後に見えた。日に焼けた顔に短い髭があり、周りより一段厚い外套を着込んでいる。
オスカーはエリアスの格好を上から下まで見る。
「旅の魔法使いってのは、お前か」
「たぶん」
「たぶんって何だ」
「他にいたら違うかもしれない」
「面倒くさそうな奴だな」
「よく言われる」
今度は本当に言われた。
オスカーは小さく笑った。
「足手まといにならんなら好きにしろ。ただし、道は俺が決める」
「それでいい。俺、雪道は詳しくないし」
返事が早かったからか、オスカーが少し意外そうな顔をした。
「魔法使いなら、自分でどうにかすると言うかと思ったが」
「海で似たようなことやったんだよ」
「海?」
「風が分かっても、船を動かす場所までは分からなかった」
船乗りには船乗りの判断があった。なら、雪道にも雪道を歩く人間の判断があるのだろう。
「だから今回は、最初から聞くことにした」
「そりゃ賢い」
「大賢者の弟子だからな」
「そこまで聞いてない」
エリアスは笑いながら席につき、急いで朝食を食べ始めた。
◯
町を出た直後は、道がどこにあるのか簡単に分かった。
雪の間に、人と荷車が何度も通った跡が残っている。
オスカーたちはその跡を辿りながら進んだ。
エリアスも歩く。
昨夜から雪は降っていたが、朝の空はまだ明るい。遠くには山の稜線も見えるし、ところどころに立てられた木の杭も確認できる。
「これなら迷わないな」
「今はな」
先頭を歩いていたオスカーが答える。
「雪が強くなれば、まず足元の道が消える。その次に杭が見えなくなる。山も見えなくなる」
「全部なくなるのか」
「見えなくなるだけだ。あるにはある」
「それが困るんだろ」
「分かってるじゃないか」
しばらく歩くと、オスカーが足を止めた。
杖で雪を探り、その下の硬さを確かめる。
そのまま真っ直ぐ進むのかと思ったら、数歩横へ逸れた。
「そっち、道じゃないだろ?」
「道だ」
「さっきまでの跡は向こうだけど」
「あっちは吹き溜まりになる」
オスカーは前方を見る。
エリアスも同じ方向を見たが、違いは分からなかった。
「なんで分かる?」
「風だ」
「風?」
「朝から向きが変わった。あそこは谷側から吹いた雪が溜まりやすい」
言われてみれば、木の枝に積もった雪の付き方が少し違う。
だが、それだけを見て進む場所まで判断するのは難しい。
「なるほどな」
エリアスは帳面を出そうとして、やめた。
歩きながら書けば転びそうだった。
「あとで聞く」
「そうしてくれ」
さらに進む。
昼前になると、空が少し暗くなった。
雪も細かくなり、風に流され始める。さっきまで見えていた遠くの山が、白い幕の向こうへ少しずつ消えていった。
「本当に見えなくなるな」
「まだましだ」
「これで?」
「これで」
雪国の基準はよく分からない。
やがて、前方に立っているはずの杭も見つけにくくなった。
オスカーが立ち止まる。
「ここで使う」
「魔法?」
「ああ」
待ってました、とばかりにエリアスが隣へ寄った。
「見せて」
「近い」
「見えないと意味ないだろ」
「分かったから少し離れろ」
オスカーが手袋を外し、片手を前へ向ける。
流れた魔力は弱かった。
術式も単純だ。
何かを探し出す魔法ではない。
自分たちが進んできた方向と、道沿いに残されている目印。その二つを照らし合わせるための、ごく小さな補助だった。
雪の向こうにある杭が光るわけでもない。
目的地を教えるわけでもない。
ただ、意識を向ける方向が少しだけ分かりやすくなる。
「あっちか」
エリアスが右前方を見る。
「そうだ」
「これ、目的地そのものは分からないんだな」
「そんな便利なもんじゃない」
「崖があっても?」
「分からん」
「雪崩が起きそうでも?」
「分からん」
「安全な道は?」
「自分で選べ」
「なるほど」
エリアスも術式を再現する。
魔力を流す。
すぐにできた。
感覚としては、昨日まで集めていた生活魔法と同じだった。
小さい。
単純。
目的が狭い。
「簡単だな」
「魔法はな」
オスカーが杖を雪へ突きながら言った。
「歩くのは簡単じゃない」
その言葉どおりだった。
方向は分かる。
それでも、オスカーは真っ直ぐ進まない。
雪の深さを杖で確かめる。
風を見る。
斜面を避ける。
ときには、目印のある方向から大きく外れて迂回する。
「杭はあっちだぞ」
「分かってる」
「でも逆に行くのか?」
「この先は足場が悪い」
「魔法じゃ分からない?」
「分からん」
「そっか」
エリアスは少し考える。
海でも同じだった。
風向きが分かる。
潮の流れが分かる。
それだけで安全に船を動かせるわけではなかった。
今も、進むべき方向は分かっている。
だが、そこへどう辿り着くかは別の話だ。
「方向が分かっても、道までは分からないか」
「そういうことだ」
オスカーは振り返らず答えた。
◯
午後には目的の集落へ着き、荷物を渡した。
エリアスは帰路でもオスカーへ質問を続けた。
「雪が柔らかいときと固いときで歩く場所変える?」
「変える」
「風が強い日は?」
「場所による」
「雪崩が起きやすい斜面ってどう見る?」
「一言じゃ言えん」
「じゃあ全部教えて」
「お前、本当にうるさいな」
「気になるから仕方ない」
オスカーは呆れていたが、答えられることには答えてくれた。
オスカーは雪の深さ、風、地形、目印、足元、天気を合わせて道を選ぶ。魔法が助けるのは、そのうちの一部分だけだった。
町が見えてきた頃、空は朝よりずっと暗くなっていた。
風も強い。
雪が横へ流れている。
「急ぐぞ」
オスカーの声から軽さが消えた。
「まずい?」
「思ったより早い」
町へ戻ると、通りの様子が慌ただしかった。
何人かが外套を着込み、縄や荷物を集めている。
「何かあったのか?」
オスカーが声をかける。
男の一人が振り返った。
「北へ出てた連中が戻ってない」
「何人だ?」
「四人」
「いつ出た?」
「朝だ。昼には戻る予定だった」
オスカーが空を見る。
さっきまでより雪が強くなっている。
「どっちへ?」
「北東の林の方だ」
「道は?」
「途中までは分かる」
周囲の空気が変わった。
さっきまで研究対象だった雪が、急に人を閉じ込めるものへ見えてくる。
エリアスは集められている荷物を見た。
縄。
灯り。
防寒具。
それから、雪の中で方向を確かめるための魔法を使える人間たち。
「探しに行くんだな」
「ああ」
オスカーが短く答えた。
「俺も行く」
「遊びじゃないぞ」
「分かってる」
オスカーに教わった魔法を試したいからではない。雪の向こうに帰れずにいる人間がいる。それで十分だった。
オスカーはエリアスを見たあと、頷いた。
「準備しろ。すぐ出る」
「了解」
エリアスは宿へ向かいかけて、一度だけ空を見上げた。
白い雪が、風に巻かれて町の向こうを覆い始めている。
朝には見えていた遠くの景色は、もうほとんど残っていなかった。




