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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第一章 旅立ち

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第3話 酒と飯と、美人

 町へ入った頃には、空の端がすっかり赤く染まっていた。エリアスが最初に探したのは、魔法を扱う店でも書物を売る店でもない。


 宿だった。


「寝台がまともで、飯がうまいところ」


 それが今日の条件だ。


 できれば酒もいい。


 安いに越したことはないが、旅の初日から硬い寝台で眠れぬ夜を過ごすのも馬鹿らしい。


 街道沿いの一軒目は安かったが、入口から覗くと食堂の椅子が妙に傾いていた。二軒目は見るからに立派で、値段もそれにふさわしかった。


「寝るだけでそんなに取るのかよ……」


 金は欲しいし、手元の金を無駄に減らしたくもない。


 三軒目は、その中間くらいだった。


 食堂を兼ねた一階から、焼けた肉と香草の匂いが流れてくる。


 そこでエリアスの判断は決まった。


「ここにしよう」


 部屋を一晩押さえ、荷物を置いた。寝台を手で押すと、硬すぎない。毛布は清潔そうで、窓もきちんと閉まる。


「合格」


 誰に聞かせるでもなく呟き、エリアスはすぐに一階へ戻った。


 食堂には、すでに夕食を取る客が集まっている。


 仕事帰りの男たちや旅人、商人らしい二人組に、酒だけを飲んでいる老人。皿と杯の音に話し声が混ざり、ほどよく賑やかだった。


 エリアスは空いている席へ腰を下ろした。


「何か、この辺でよく食うものある?」


 注文を取りに来た女へ尋ねる。


「初めて?」


「今日着いたばかり」


「なら肉料理にしときな。豆と根菜を一緒に煮て、最後に焼いた肉を乗せるやつ。パンもつくよ」


「それ。あと酒」


「強いの?」


 歩き疲れたうえ、まだ何も食べていない。最初から強い酒を入れると、料理より先に酔ってしまいそうだ。


「最初は軽いやつで」


「最初は、ね」


 女が笑って離れていく。


「旅先の酒場って感じだな」


 エリアスは椅子へ深く座った。


 とても悪くない。


 運ばれてきた木の杯に口をつけると、爽やかな酸味のあとに麦の香りが残った。


「うまい」


 もう一口、今度はゆっくり味わう。アウローラでも酒は飲めたが、知らない町で知らない酒を頼むのは、それだけで少し楽しかった。


 やがて料理も運ばれてきた。


 湯気の立つ豆と根菜の上に、表面を香ばしく焼いた肉が乗っている。


 肉汁が煮汁へ落ち、香草の匂いと混ざっていた。


「これは当たりだな」


 肉を切ると柔らかく、少し強めの塩気が歩いた身体にちょうどいい。豆と根菜にも肉の脂が染みていた。


「……もう一杯頼むか」


 まだ半分しか飲んでいないのに、そんなことを考える。


 魔法を探しに来たからといって、うまい飯と酒を逃す理由はない。寝台も当たりだった。あとは――。


 エリアスの手が止まった。


 食堂の奥に、一人で座る女がいた。二十代半ばほどだろうか。


 赤みのある長い髪を片側へ流し、細身の杯を手にしている。旅装ではない。町の人間らしい服装だが、飾り気がないわけでもなかった。


 横顔が綺麗だった。


「……なるほど」


 エリアスは肉を一切れ口に運び、噛んで飲み込んでからもう一度見た。やはり綺麗だ。角度の問題ではない。


「うん」


 確認終了。


 声をかけたいが、料理はまだ残っている。飯を冷ましてまで席を立つほど切羽詰まってもいない。エリアスは先に食べきった。


「酒、もう一杯」


「結局飲むんじゃないか」


「うまかったから仕方ない」


 新しい杯を半分ほど飲んでも、女の席には誰も来なかった。エリアスは杯を持って立ち上がる。


「隣、いい?」


 女が顔を上げる。


 近くで見ると、やはり美人だった。茶色い瞳がエリアスを一度上から下まで見る。


「空いてるけど」


「じゃあ遠慮なく」


「遠慮する顔には見えないわね」


「よく言われる」


「今考えたでしょう」


「今初めて言われた」


 女が小さく笑った。座った途端に追い払われるようなことはなさそうだ。


「旅の人?」


「今日着いたばかり」


「どこから?」


「アウローラ」


 女の眉が少し上がる。


「遠いわね」


「まだ旅を始めたばかりだから、これからもっと遠くなる予定」


「へえ。何しに?」


「魔法を探しに」


「魔法?」


「各地にある、あんまり知られてない魔法。見つけて、調べて、論文にして、そのうち本にする」


「学者さん?」


「魔法使い」


「同じじゃないの?」


「そこは結構違う」


 エリアスが笑うと、女も杯を傾けた。


 食事と酒の話から、旅の話になった。女は生まれも育ちもこの町らしく、エリアスの食べた料理について話すと、他にも何軒か店を教えてくれた。


「じゃあ、明日の昼はそこに行ってみようかな」


「旅を急いでるんじゃないの?」


「うまい飯を食う時間くらいはある」


「魔法より?」


「さすがに魔法の方が上」


「悩んだわね?」


「ほんの少し」


 また笑われた。その笑い方が気に入って、エリアスは少し椅子を寄せた。女は距離を取らない。誘ってみようか。


「このあと、もう少し静かなところで飲まない?」


 女が杯から口を離した。


「二人で?」


「もちろん」


「どうして?」


「美人と飲めたら、酒がもっと美味くなるかもしれない」


 少し考えたあと、女は笑った。


「慣れてる?」


「何に?」


「そういうこと言うの」


「どう見える?」


「慣れてる男は、そんな自信満々に聞かないと思う」


「なるほど」


 痛いところを突かれたが、まだ負けたとは限らない。


「じゃあ、これから慣れるってことで」


「残念」


 女は楽しそうに言った。


「今日はその練習には付き合わない」


「ああ」


 エリアスは一瞬だけ黙った。


「駄目?」


「駄目」


 はっきりした返事だった。怒っているわけではない。ただ、彼女にその気はない。


「そっか」


 エリアスは素直に椅子を引いた。


「残念」


「もう少し粘らないの?」


「嫌だって言ってる相手に粘って、何かいいことある?」


「ないでしょうね」


「じゃあ終わり」


 女が少し意外そうな顔をして、それから笑った。


「そのくらいなら、嫌いじゃないわ」


「今からでも?」


「そういうところは嫌い」


「難しいな」


 エリアスも笑った。


 そこまで言われて、なお粘る気はなかった。


「店を教えてくれてありがとう」


「どういたしまして」


「じゃあ、いい夜を」


「あなたもね」


 席を離れる。


 自分の卓へ戻り、まだ残っていた酒を飲んだ。


「……惜しかったな」


 かなり好みだったから、残念ではある。だが、それで酒がまずくなるわけでもない。


 杯を空にすると、さっきとは違う酒を一つ頼んだ。


 ついでに、小さな皿料理も追加する。


「まだ食うの?」


 注文を取った女に笑われた。


「振られたから」


「やけ食い?」


「いや。腹に余裕ができた」


「どういう理屈?」


「俺にも分からない」


 運ばれてきた料理をつまみながら、エリアスは新しい酒を味わった。


 今度の酒は少し強く、喉が熱くなった。香りがよく、食後に飲むにはちょうどいい。


 周囲の客の声を聞きながら、ゆっくり杯を傾ける。旅の初日を振り返った。


 街道で知らない人間を助け、知らない町でうまい飯を食った。酒も当たりだ。美人には振られた。


「まあ、十分か」


 できれば口説きもうまくいってほしかったが、駄目だったものは仕方がない。まだ旅は始まったばかりで、町も酒場もこの先いくらでもある。美人だっているだろう。


「長い旅になりそうだな」


 それは悪い意味ではなかった。


 酒を飲み終える頃には、身体に心地よい疲れが戻ってきていた。


 エリアスは代金を払い、二階の部屋へ上がった。


 寝台に腰を下ろし、手で確かめた柔らかさを今度は身体で確かめる。


「やっぱり、ここにして正解だったな」


 旅鞄を確認し、帳面と紙がきちんと入っているのを見てから横になる。


 明日もまた歩く。どこへ行き、何を見るかは、まだ分からない。知らないものを探しに来たのだから、それでいい。


 エリアスは満足そうに息を吐き、目を閉じた。


 女には振られた。


 それでも、旅の最初の夜としては悪くなかった。

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