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大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第六章 雪国の魔法

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第25話 雪の町

 海を離れて北へ向かうほど、空気は少しずつ冷たくなっていった。


 最初は朝晩に息が白くなる程度だった。それが数日も進むと、街道の脇に雪が残るようになり、さらに北へ入る頃には、道そのものが白く埋まっていた。


「……寒いな」


 エリアスは吐いた息が白くほどけていくのを見た。


 寒いが、困るほどではない。簡単な術式を組んで、身体の周りへごく弱い熱を巡らせる。冷気に奪われる分を補うだけで、指先の強張りが解けた。


「まあ、魔法使えばどうにでもなるか」


 雪を踏んで歩き出す。


 街道の両側には針葉樹が増えていた。枝へ積もった雪が、ときおり風に揺れて落ちる。遠くの山も白い。


 海では、船が移動することまで魔法の使い方に関わっていた。あれ以来、帳面には術式と使い手のほかに、いつどこで使い、どんな道具を持ち込めるかも書いている。聞くことが増えて、面倒にはなった。


「でも、その方が面白いんだよな」


 その分、なぜその形になったのかが見える。なら、書く手間くらいは安いものだった。


 昼を少し過ぎた頃、雪の向こうに屋根が見えた。


 低い建物が並び、その一つ一つから煙が上がっている。屋根には厚く雪が積もっていたが、入口の前だけはどこもきれいに道が開いていた。


 町へ近づくと、人の姿も増える。


 雪を掻く者、薪を運ぶ者、荷車の車輪についた雪を落とす者。手を止めて寒さを嘆く人間はいなかった。


 ここでは、これが普通なのだろう。


「とりあえず宿だな」


 寝床を決めて、飯を食い、酒を飲む。研究はそのあとでもできる。


 そう思って町の通りを歩いていたとき、エリアスの足が止まった。


 一軒の店先で、男が扉の金具へ指を当てている。


 魔力が、ごくわずかに流れた。


「ん?」


 エリアスは思わず振り返った。


 男が取っ手を引く。さっきまで白く凍りついていた金具が、何事もなかったように動いた。


「今の、もう一回やってもらっていい?」


 男が怪訝な顔をする。


「何がだ?」


「扉」


「扉?」


「その金具に使った魔法」


 男は自分の手元を見た。


「こんなのか?」


 もう一度、指先から魔力が流れる。


 火は生まず、熱も広げない。金具の表面と内側で凍りついた部分にだけ、少し熱を渡している。


 術式は単純だった。


 エリアスなら見ただけで再現できる。


「……弱いな」


「は?」


「あ、いや。悪い意味じゃなくて」


 エリアスはしゃがみ、金具を見る。


 もっと強く温めることは簡単だ。


 この程度の金属なら、すぐに熱くできる。


 なのに男は、氷が外れるぎりぎりまでしか温めていない。


「なんで、もっと強くしないんだ?」


 男は今度こそ妙なものを見る顔をした。


「取っ手を熱くしてどうする」


「……それもそうか」


 握れなくなる。


 言われてみれば当然だった。


 男は肩をすくめて店へ入っていく。エリアスはその背中を見送ってから、帳面を取り出した。


 凍結した金具に、ごく狭い範囲で必要なだけ熱を渡す。そこまで書いて顔を上げた。


「雪国、面白そうだな」


 宿を探す予定だったことは、少しだけ後回しになった。


     ◯


 結局、宿へ入ったのは日が傾き始めてからだった。


 その間にも、妙なものをいくつも見つけた。


 家の前で雪を掻いていた女は、地面すれすれへ弱い熱を流していた。


 雪を全部溶かさず、地面に貼りついた下側だけを緩めて、剥がしやすくしている。


「それ、どうやってる?」


「これ?」


「そう。それ」


 女は不思議そうにしながらも、もう一度見せてくれた。


 エリアスも同じように手をかざす。


 術式を読む。


 出力を合わせる。


 雪の下側だけがわずかに緩んだ。


 木の雪掻きを差し込むと、固まっていた雪がまとまって持ち上がる。


「なるほど」


「何が?」


「全部溶かさないんだな」


「当たり前でしょ。びしゃびしゃになるじゃない」


 また当然のように言われた。


 エリアスは少し笑った。


 次に見つけたのは宿だった。


 入口をくぐった瞬間、暖かい空気が頬へ触れる。


 大きな暖炉がある。


 当然、火も燃えている。


 けれど、エリアスが見たのは炎ではなかった。


 暖炉から離れた場所にも、妙に暖かさが残っている。


「……これも魔法か」


 荷物を置くより先に壁へ目を向けた。


 薄い魔力の流れが、部屋の外周に沿って巡っている。


 熱を作っているわけではない。


 外へ逃げようとする熱を、ほんの少しだけ内側へ留めている。


 受付にいた宿の主人が、エリアスの視線に気づいた。


「部屋なら上だよ」


「いや、これ」


「何だ?」


「壁に流してる魔法。暖炉の熱を逃がしにくくしてるだろ」


 主人は一瞬黙った。


 それから壁を見た。


「まあ、そうだが」


「誰が考えた?」


「知らん」


「いつから使ってる?」


「俺が子供の頃にはもうあったぞ」


「出力って変える?」


「寒い日は少し強くするな」


 エリアスはもう帳面を開いていた。


 主人が呆れたように見る。


「泊まりに来たんじゃないのか?」


「泊まる。飯も食う。酒も飲む。で、これも聞きたい」


「忙しい客だな」


「よく言われる」


 本当は、それほど言われたことはない。


 だが旅に出てからなら、そのうち言われる気がした。


 部屋を取って荷物を置いたあとも、エリアスは宿の中を見て回った。


 客室の寝台には、厚い毛布が重ねてある。


 その一枚へ手を触れると、ここにも薄い魔力の痕跡があった。


 身体から逃げる熱を少しだけ留める。


 それだけ。


 扉の金具、道に貼りついた雪、暖炉、寝具。見かけた術はどれも単純で小さい。エリアスならもっと強く使えるが、町ではこの大きさのまま、何度も使われていた。


「なんで、わざわざこんな弱くしてるんだろうな」


 呟いてから、昼間の男の言葉を思い出した。


 取っ手を熱くしてどうする。


 雪を全部溶かしたら、びしゃびしゃになる。


 暖炉の熱を留めすぎれば、今度は暑くなりすぎる。


 毛布だって、眠れないほど熱を持たせる必要はない。


 そこでようやく、エリアスは帳面の文字を見直した。


 弱い。


 そう書きかけて、線を引く。


「違うな」


 必要な場所へ、必要なだけ。強くしたらかえって使いにくくなる。


「これで足りるのか」


 言葉にすると、妙にしっくりきた。


     ◯


 夜。


 食堂で運ばれてきたのは、厚く切った肉と根菜を煮込んだ料理だった。


 湯気と一緒に香草の匂いが立つ。


 ひと口食べる。


「うま」


 塩気が強い。


 だが寒い中を歩いた身体にはちょうどいい。


 根菜は柔らかく、肉の脂をよく吸っていた。


 酒は濃い色の麦酒だった。


 冷たいものを出されるかと思ったが、ほんの少し温めてある。


「こっちじゃこう飲むのか」


 口に含むと、香りが強く立った。


 悪くない。


 かなりいい。


 エリアスは皿を空にしながら、昼間から書き続けていた帳面を開く。


 凍った金具。


 雪掻き。


 暖炉。


 寝具。


 威力だけなら、どれも大した魔法ではない。だが町の人は、朝も昼も夜も使う。寒さは倒して終わりにはできず、明日もその次の日も来る。そのたびに大きな魔法を使うより、毎日使える形の方が役に立つのだろう。


 暮らしに合わせて、必要な分だけ使えればいい。


 エリアスは酒を一口飲んだ。


「……雪国、当たりだな」


 帳面の空いている頁はまだ多い。


 今日一日歩いただけで、これだけ見つかった。


 なら、明日はもっとある。


 水や食べ物、道具、屋根、荷物。凍る場所で暮らすなら、困るものは他にもいくらでもある。


 エリアスは帳面を閉じた。


「もう一杯」


 明日から本格的に見て回ろう。


 今夜はまず、温かい飯と酒を楽しむ。


 雪国には、まだ拾っていない魔法がたくさんありそうだった。

 

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