↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大賢者の弟子は、忘れられた魔法を拾いに行く  作者: Atelier Lotus文庫
第五章 海の魔法

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/59

第22話 船の上の暮らし

 船で過ごす時間にも、エリアスはだいぶ慣れてきていた。


 最初のうちは足元が揺れるたびに無意識に踏ん張っていたが、今では多少傾いた程度なら帳面から目を離さずにいられる。


 船員たちの方も似たようなものだった。


「それ、何の魔法?」


「またか」


 朝から三度目の質問に、サイラスはもう呆れもしなかった。


「今度は何を見つけた」


「あれ」


 エリアスが指した先では、一人の船員が舷側から海面を覗き込みながら、片手を水へ向けていた。かすかな魔力が海面近くへ広がっている。


 風見とは違う。


 風ではなく、水そのものの動きを拾っている。


「潮見だな」


「やっぱりあるのか」


「何がやっぱりなんだよ」


「風を見るなら、潮も見るだろ」


「まあ見るけどな」


 サイラスについていくと、船員が魔法を使い終えたところだった。


 エリアスはすぐに海を覗き込む。


 水面は穏やかに見えるが、波も船も動いている。水が実際にどちらへ流れているか、目で追うだけでは分かりにくい。


「もう一回やってもらっていい?」


「お前、本当に飽きねえな」


「飽きる理由がない」


 船員が苦笑しながら、もう一度魔力を流した。


 エリアスは術式を追う。


 対象は船の周囲だけ。水を押したり引いたりせず、その動きが生むわずかな差を魔力へ拾わせている。


「なるほど」


 エリアスも手を伸ばした。


 術式を組む。


 海面近くへ薄く魔力を広げると、すぐに感触が返ってきた。


 一定ではない。


 船の進行方向とは少しずれた方向へ、水が流れている。


「こっちか」


 エリアスが指すと、サイラスが頷いた。


「今はな」


「今は?」


「潮は変わる」


「どのくらい?」


「場所と時間による」


「じゃあ、これで流れが分かれば航路も――」


「決まらねえ」


 言い切られた。


 エリアスはサイラスを見る。


「昨日と同じか」


「何が?」


「魔法は答えを出さない」


「そういうもんだ」


 サイラスは海を見る。


「流れが分かっても、その流れに乗るか避けるかは別だ。速く進めても、行きたくない方へ持っていかれたら意味がない。岸が近いなら、それも見る」


「岩礁とかは?」


「潮見じゃ分からん」


「浅瀬は?」


「分からん」


「危険な流れかどうかは?」


「俺たちが考える」


「徹底してるな」


「何がだよ」


 エリアスは笑った。


 これだけ便利な術を使っても、最後に進路を決めるのはサイラスだ。そういう使い方のために、潮見は残ってきたのかもしれない。


 エリアスなら、水そのものをもっと大きく動かせる。


 船を押す程度の流れを作ることもできる。


 だが船乗りたちは、まず海の動きを確かめる。


「面白いな」


「またそれか」


「だって面白いだろ」


「お前くらいだよ、潮見でそんな顔するの」


 それは褒め言葉として受け取っておいた。


     ◯


 昼になると、甲板の一角で簡単な食事が配られた。


 固いパン。


 塩気の強い肉。


 干した魚。


 温かい汁物。


 港の酒場ほど豪勢ではないが、船の上で食べるには悪くない。


 エリアスがパンを齧っていると、その近くで船員が木箱を開けた。


 中には食料が詰められている。


 箱を開いた途端、わずかに冷えた空気が流れ出した。


 エリアスの手が止まる。


「あ」


 船員も止まった。


「……何だよ」


「それ」


「今、飯食ってんだろ」


「食いながら見られる」


「器用だな」


 嫌そうな顔をしながらも、もう追い払われなくなっている。


 エリアスはパンを片手に箱を覗き込んだ。


 食料を少し冷やして傷みにくくするところは、港の魚箱に似ている。ただし、術式の組み方が少し違った。


「持続の方を優先してる?」


「知らん。そういうふうに教わった」


「魔力の流し方がかなり弱い。その代わり切れにくいな」


「船で何度もかけ直してられねえからな」


 別の船員が横から言った。


「荷も食い物も積める量が決まってる。腐らせたら困る」


 エリアスは箱の縁へ指を置いた。港の魚市場では、売るまでの短い時間、商品だけを冷やせればよかった。


 船では数日持たせなければならず、設備を増やすほど積荷を載せる場所が減る。大きな保存庫を持ち込むわけにもいかない。


「だから箱だけで済ませるのか」


「箱なら積めるだろ」


「それも、なるべく少ない魔力で長く」


「魔力が尽きて仕事できなくなったら馬鹿だからな」


 当然のように返される。


 エリアスは帳面を引き寄せた。


 農村で調べた蔵風も、家ごとに置かれたものや棚の位置に合わせて形が違った。ここではさらに、保管する場所ごと海を移動している。船は揺れ、潮気にさらされ、積める量にも限りがあった。


「……場所が違うだけじゃないな」


「何が?」


 船員が魚を齧りながら聞いてきた。


「いや、こっちの話」


「また研究か」


「仕事だから」


「お前、金もらってんのか?」


「まだもらってない」


「じゃあ仕事じゃねえだろ」


「本にすれば金になる」


「結局金かよ」


「大事だろ」


「そこは妙に普通なんだな」


 笑われた。


 エリアスも笑い返し、続きを書く。


 船の保存魔法。狭い範囲で低出力、長時間。重い設備を要さず、揺れる船でも使える。


 ただ「保存する魔法」とだけ書くのでは足りない。


 どうしてこの形なのか。


 そこまで分かって初めて面白い。


     ◯


 午後、エリアスは甲板の端で網を見ていた。


 輸送船だから本格的な漁をするわけではない。


 それでも航海中に使う簡単な釣り具や網は積まれているらしい。


 船員が網を畳みながら、湿気を飛ばすために弱い風を通している。


「それも港で見た」


「ああ?」


「縄を乾かすやつ」


「似たようなもんだ」


「でも弱いな」


「強く吹かせたら網が絡むだろ」


「なるほど」


「分かったなら引っ張るなよ」


 すでに触ろうとしていた手を止めた。


「まだ何もしてない」


「顔で分かる」


「船乗り、勘がいいな」


「お前が分かりやすいんだ」


 船員たちとのやり取りにも、ずいぶん遠慮がなくなっていた。


 エリアスは網から手を離し、甲板全体を見る。


 縄、積荷、食料、水。それぞれ陸でも扱うが、揺れる船に積んで運べば、置き方も手入れも変わってくる。帆と舵が加われば、仕事場そのものが動き出す。


 同じ仕事でも場所によって魔法は変わる。船では、足元そのものが移動する。風が変われば進み方が変わり、潮が変われば流され方も変わる。昨日見ていた岸はもう、船の後ろへ遠ざかっていた。


「船って、でかい家みたいなもんか」


 近くにいたサイラスが顔をしかめた。


「家?」


「暮らしてるだろ。飯食って、寝て、道具置いて、仕事して」


「まあな」


「でも家ごと動いてる」


「船だからな」


「それが変なんだよ」


「俺にはお前の方が変だ」


 もっともだった。


 エリアスは笑いながら帳面へ書き足した。


 仕事、場所、使える道具、持ち運べる量、動く環境。同じ魔法でも条件が変われば、使いやすい形は変わる。職業だけを書いても、この船のことは説明できない。


 その仕事を、どこで、どう暮らしながらやっているのか。


 そこまで見なければ分からない。


 書いている途中で、エリアスは顔を上げた。


 風が少し冷たい。


 さっきまでとは違う方向から吹いているように感じる。


 空を見る。


 遠くに雲が増えていた。


「雨でも降るのか?」


 誰に聞くでもなく呟いた。


 その直後だった。


「サイラス!」


 ベルンの声が飛んだ。


 今までとは明らかに違う声だった。


 サイラスがすぐ舵の方へ戻る。


「風、変わったな」


「ああ。早い」


「どっちへ寄せる?」


「岸から少し離す。今のうちに回せ」


「了解」


 エリアスは帳面を閉じた。


 甲板の空気が変わっていた。


 船員たちが一斉に動き始める。


「帆、少し落とせ!」


「前の荷、縛り直せ!」


「そこの縄もだ! 緩んでるぞ!」


 命令が飛び交う。


 さっきまで笑っていた男たちが、迷わず持ち場へ走る。


 帆が調整される。


 積荷を固定する縄が一本ずつ確認される。


 船体が波を越えるたび、甲板の傾きが少し大きくなった。


 エリアスも海を見る。


 波が高くなり、風も強くなっている。ただエリアスには、まだ天気が崩れ始めたようにしか見えなかった。


「そんなにまずいのか?」


 近くを通ったベルンへ聞く。


 ベルンは立ち止まらなかった。


「まだまずくはない」


「まだ?」


「だから今やるんだ」


 短い返事だった。


 エリアスはもう一度、海を見る。


 船員たちは違う。風見を使う者、潮見を確かめる者がいて、帆や波、岸との距離まで見ている。それぞれが確かめたことを、ベルンの指示につないでいた。


 エリアスは帳面を旅鞄へしまった。


 今は書いている場合ではなかった。風がまた強くなった。


 帆が大きく鳴る。


 船体が傾き、海水が舷側へ叩きつけられた。


 遠くの空は、さっきよりずっと暗い。


 それまで面白がって眺めていた小さな魔法を、船員たちは今も同じように使っている。


 けれど、その顔から笑いは消えていた。


 エリアスもようやく理解する。


 海が悪くなっている。


 しかも、自分が思っていたより早く。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。