第18話 冒険者たちの戦い
夜が明けても、大型魔物は姿を見せなかった。だが、安心できたわけではない。
焚き火を消し、寝具をまとめ、荷馬車を動かせる状態へ戻すあいだも、冒険者たちの動きは昨日より明らかに慎重だった。
イネスは夜営地の外周を一周し、地面へ何度もしゃがみ込んでいる。
エリアスも近くまで行った。
「いた?」
「いたわね」
イネスが土を指す。
足跡拾いを使わなくても分かるほど、大きな跡だった。
「夜のうちに近くまで来てる。こっちへ寄って、また森へ戻ってる」
「襲わなかったんだな」
「焚き火と人数を嫌ったのか、様子を見てたのか。そこまでは分からない」
エリアスは森へ目を向けた。
朝の光が差していても、木々の奥までは見通せない。
「追えば見つけられる?」
「たぶん。でも追わない」
「やっぱり?」
「私たちは討伐隊じゃないもの」
昨日のガレスと同じ答えだった。
イネスは立ち上がり、足についた土を払う。
「向こうから来るなら戦う。避けられるなら避ける。それで隊商を向こう側まで通せれば仕事は終わり」
「合理的だな」
「冒険者は、生きて帰らないと報酬を使えないのよ」
「それは大事だ」
「そこはすぐ納得するのね」
「金は大事だから」
「大賢者の弟子らしくないわねえ」
「何回それ言うんだよ」
イネスが笑う。
その声を聞きながら、エリアスも少し笑った。
しかし、ガレスが全員を呼んだところで空気が切り替わった。
「今日は街道をそのまま進まない」
地面へ簡単な線を引きながら、ガレスが説明する。
「少し先に道が狭くなる場所がある。左右から森が迫ってる。あそこで襲われたら荷馬車を逃がせない」
「迂回するの?」
「一度こっちへ外れる」
指で示したのは、街道から緩く離れ、再び合流する道筋だった。
「足場は悪いが、見通しはまだいい。もし出てきても荷馬車を下がらせられる」
「なるほど」
「イネスが先を見る。俺と一人が前。エリアスは中央。残りは最後尾」
「分かった」
「魔物が出ても、勝手に前へ飛び出すなよ」
エリアスは眉を上げた。
「俺が?」
「お前だ」
「そんなに信用ない?」
「強いやつほど、倒せると思ったら行く」
否定しようとして、少し考えた。
「……まあ、倒せると思ったら行くかも」
「だろうが」
ガレスがため息をつく。
「まず荷馬車を逃がす場所を作る。それからだ」
「了解」
エリアスは素直に頷いた。
倒せることと、今倒していいことは別。
昨日から何度も見せられている話だった。
◯
一行はゆっくりと危険区域を進んだ。
先を行くイネスがときどき止まり、足跡拾いを使う。
エリアスにも痕跡は見えた。
けれど、イネスはそれ以上を見る。
イネスは跡の古さと向き、歩幅、踏み込みの深さを確かめる。魔物は何度か街道を横切り、森の中を行き来しているらしかった。
「近い?」
エリアスが聞く。
「近いわね」
「どのくらい?」
「それが分かったら苦労しない」
「足跡拾いでも?」
「足跡拾いだからよ。場所を教えてくれる魔法じゃないもの」
「そうだった」
エリアスが笑うと、イネスが呆れた顔をする。
「もう忘れたの?」
「分かってる。でも、つい便利な方を期待する」
「魔法使いって欲張りね」
「便利になるなら欲張るだろ」
「それはそうかも」
会話を交わしながらも、イネスの視線は周囲から外れない。
やがて彼女が急に立ち止まった。
片手が上がる。
全員が止まる。
エリアスも口を閉じた。
イネスは地面ではなく、森を見ていた。
少しだけ風が吹いている。
葉が揺れる。
その中で、右手側だけ妙に音が重かった。
イネスが草鳴らしを使う。
弱い風が広がった。
ざわ。
ざわざわ。
そして。
「右」
声が変わった。
「来る」
ガレスが即座に振り返る。
「荷馬車を下げろ! さっきの広い場所まで!」
御者たちが手綱を引く。
馬がいななき、荷車の車輪が土を噛んだ。
「最後尾、後ろを見ろ! 別の個体がいないか確認!」
「分かった!」
「エリアス!」
「ここにいる」
「まだ撃つな!」
「分かってる!」
直後、森の奥で木が折れた。
鈍い音。
次いで枝が大きく揺れる。
姿を現したのは、馬車よりも頭一つ高い獣型の魔物だった。
太い四肢。
泥と樹皮をまとったような硬い皮膚。
口から突き出した牙。
巨体が木々を押し分け、街道へ飛び出してくる。
「でかいな」
エリアスが呟く。
「感想はあと!」
イネスが叫ぶ。
魔物はそのまま荷馬車へ向かおうとした。
だがガレスたちが前へ出る。
「こっちだ!」
盾を叩く音。
怒鳴り声。
魔物の注意がそちらへ向く。
ガレスたちは倒そうとしていない。
街道の中央から、少し開けた斜面側へ誘導している。
エリアスにもようやく意図が見えた。斜面側なら荷馬車からも森からも少し離れ、魔法を撃つときに巻き込みにくい。
「エリアス!」
ガレスが叫ぶ。
「まだ!」
大型魔物がガレスへ突進する。
ガレスは正面から受けず、ぎりぎりまで引きつけて横へ跳んだ。
別の冒険者が横から盾を打ちつけ、さらに向きを変える。
怒った魔物がそちらへ首を振った。
その間にも荷馬車は後方へ下がっていく。
イネスは戦場ではなく森を見ていた。
「左はなし!」
声が飛ぶ。
「後ろも来てない!」
別の冒険者が返す。
ガレスが位置を確認した。
「よし!」
剣を振り上げる。
「エリアス!」
「待ってた!」
ここからは、自分の仕事だった。
エリアスが杖を向ける。
魔力が一気に集まった。
最初に放ったのは地の魔法。
魔物の前脚の周囲だけ、土が瞬間的に沈む。
巨体が前につんのめった。
だが、それだけでは止まらない。
次。
風。
横から叩きつけた風圧が魔物の進路をさらにずらす。
荷馬車とは反対側へ。
そして同時に、水の帯が後脚へ絡みついた。
三つの魔法が、ほとんど間を置かずに重なる。
「は?」
誰かの声が聞こえた。
エリアスは気にしない。
魔物が咆哮する。
水の拘束を引きちぎり、沈んだ土から前脚を抜こうと暴れる。
「結構力あるな」
「そこで冷静に言うこと!?」
イネスの声が飛んできた。
「大丈夫。もう終わる」
エリアスが杖先を上げた。
炎が生まれる。
野営で見た火守りとは比べものにならない。
圧縮された炎が細く、鋭く形を整えていく。
ただ大きく燃やすだけなら簡単だ。
だが森で大きく燃やせば火が移る。荷馬車も近い。炎を狭く絞り、魔物だけを狙う。
魔物が顔を上げた。
その瞬間。
炎が一直線に走った。
轟音。
熱風が一瞬だけ周囲を抜ける。
だが炎は広がらなかった。
巨体の一点へ集中し、硬い皮膚を貫く。
魔物が大きく揺れた。
それでも倒れない。
「まだ立つか」
エリアスは感心しながら、もう一つ魔法を組む。
今度は風だった。
刃のように圧縮された空気が、先ほど炎で崩した一点へ正確に重なる。
一撃。
大型魔物の身体が沈んだ。
地面が揺れる。
しばらく誰も動かなかった。
エリアスは杖を下ろす。
「終わった?」
ガレスが魔物を見て、それからエリアスを見る。
「……たぶんな」
「たぶん?」
「お前、もう少し達成感とかないのか?」
「倒せると思ってたから」
「腹立つな、その台詞」
だがガレスは笑っていた。
◯
すぐに警戒が解かれたわけではなかった。
イネスたちは周囲を確認し、別の魔物がいないことを確かめる。
ガレスは荷馬車の損傷と馬の様子を見て回った。
負傷者もいない。
荷物も無事。
それを確認して、ようやく全員が息を吐いた。
「すごかったわね」
イネスが戻ってきた。
「何が?」
「全部よ。三つ同時に使ってなかった?」
「三つ。あとは順番」
「聞かなきゃよかった」
イネスが額を押さえる。
「昨日、石割ったのなんて確認にもなってなかったじゃない」
「あれはあれでちゃんとやったぞ」
「そういう話じゃない」
それから、彼女は倒れた魔物を見た。
「でも、助かった」
「イネスたちが場所を作ったからな」
「場所?」
「荷馬車から離してくれただろ。あれがなかったら、もっと面倒だった」
魔法そのものは、最初から撃てた。だが護衛対象を巻き込まずに済む場所へ魔物を動かしたのはガレスたちで、襲撃を先に見つけたのはイネスだ。御者たちは荷馬車を逃がし、別の冒険者は二体目がいないか見張っていた。誰か一人でも勝手に動けば、もっと厄介になっていただろう。
「足跡拾いも草鳴らしも」
エリアスは魔物を見る。
「魔物を倒すための魔法じゃないんだな」
「そうね」
「見つけて、避けて、先に気づいて。必要なら戦える場所を作る」
イネスが少しだけ目を細める。
「冒険者らしくなってきたじゃない」
「まだ二日目だけど」
「じゃあ見習いね」
「大賢者の弟子なのに?」
「それとこれとは別でしょ」
エリアスは笑った。
「確かに」
イネスも笑う。
戦いの直後だからか、妙に気分が高い。
距離も昨日より近く感じた。
イネスがエリアスの腕を軽く叩く。
「それにしても、あれだけ強いなら最初から言いなさいよ」
「大体使えるって言っただろ」
「あれで伝わると思う?」
「ガレスにも同じこと言われた」
「でしょうね」
「でもイネスも頼りになった」
「今さら気づいた?」
「昨日から気づいてる」
「じゃあもっと早く褒めなさい」
「美人で腕がいいって言った」
「それ、半分口説いてるでしょ」
「半分?」
イネスが一瞬こちらを見る。
口元が上がった。
「そこ食いつくんだ」
「気になるだろ」
「帰ったら教えてあげる」
「本当に?」
「酒を奢ったらね」
「よし」
即答すると、イネスが声を立てて笑った。
少し離れたところからガレスが怒鳴る。
「いちゃつくのは街に戻ってからにしろ!」
「いちゃついてない!」
イネスが返す。
エリアスは少し考えた。
「俺は別に――」
「あなたは黙ってなさい」
「はい」
◯
大型魔物を倒したあと、一行は再び隊商を進めた。
危険区域を抜けるまで警戒は続いたが、二度目の襲撃はなかった。
森が薄くなり、街道の先に開けた土地が見えたころ、ガレスがようやく肩の力を抜いた。
「ここまで来れば大丈夫だ」
御者たちから安堵の声が上がる。
エリアスも振り返った。
今まで歩いてきた森が遠ざかっていく。
足跡拾いも火守りも草鳴らしも、大型魔物を倒せる術ではない。だが一行が襲われる前に気づき、夜を越え、荷馬車を守って帰るために働いた。
小さくても、必要な魔法だった。
「エリアス!」
前から声が飛ぶ。
イネスだった。
「置いてくわよ」
「今行く」
エリアスは足を速めた。
危険区域を抜けたあとも、安全な道へ出るところまでは隊商に同行した。
そこで護衛は終了となり、御者たちと別れる。
エリアスたちは来た道を引き返し、冒険者都市へ戻ることになった。
◯
冒険者都市の外壁が見えたのは、日が傾き始めたころだった。
街門をくぐると、ガレスが大きく伸びをした。
「これでほぼ終わりだな」
「報酬は?」
エリアスが尋ねる。
「心配するところがそこか」
「大事だろ」
「明日には受け取れる」
「よし」
イネスが横から覗き込む。
「魔法と金と女。本当に分かりやすいわね」
「飯と酒もある」
「増えた」
「大事なものは多い方がいい」
イネスは呆れながら笑った。
ガレスが振り返る。
「細かい手続きは明日だ。今日は解散でいい」
「じゃあ」
イネスがエリアスを見る。
「飲む?」
「もちろん」
「全員でな」
ガレスが割り込む。
「分かってるわよ」
「俺は二人でもいいけど」
「まず仕事仲間で乾杯でしょ」
「それもいいな」
危険区域を抜け、隊商も無事で、魔物まで倒した。あとは飲むだけだ。
エリアスは街の明かりを見ながら笑った。
今夜の酒は、かなり美味そうだった。




